【戦国TV】賤ヶ岳の七本槍って呼ばないで? | 軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

軍師 官兵衛 (地元兵庫県民)のブログ

2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を地元兵庫県からお贈りします。

【戦国TV】賤ヶ岳の七本槍って呼ばないで?武将浅成


秀吉方で功名をあげた兵のうち以下の7人は
後世に賤ヶ岳の七本槍と呼ばれる。

【賤ヶ岳の七本槍】

福島正則(1561年 - 1624年)
加藤清正(1562年 - 1611年)
加藤嘉明(1563年 - 1631年)
脇坂安治(1554年 - 1626年)
平野長泰(1559年 - 1628年)
糟屋武則(1562年 - 1607年)
片桐且元(1556年 - 1615年)


実際に感状を得、数千石の禄を得たのは桜井佐吉、
石川兵助一光も同様である。

7人というのは語呂合わせで、
『一柳家記』には「先懸之衆」として

七本槍以外にも石田三成や大谷吉継、
一柳直盛も含めた羽柴家所属の14人の若手武将が
最前線で武功を挙げたと記録されている。

後年七本槍は豊臣政権において大きな勢力を持つに至ったが、
譜代の有力な家臣をもたなかった秀吉が自分の子飼いを過大に
喧伝した結果ともいえる。

福島正則が「脇坂などと同列にされるのは迷惑だ」
(中傷の意図も否定できない)と語ったり、

加藤清正も「七本槍」を話題にされるのを
ひどく嫌ったなどの逸話が伝えられており、
当時から「七本槍」が虚名に近いという
認識が広まっていたと推定される。