宮城県は女川町に行ってきました!
最初の二回は、震災後のお片づけボランティアのため。
そのあと二回は、復興してゆく町の様子を見るために。
毎年3月、友だちに会いに行くみたいな感覚で行ってます。
女川町は、海辺の町。
石ノ森章太郎記念館などもあって観光客も訪れる町だったみたいだけど
津波で壊滅的に流されてしまったのです。
女川町を襲った大津波の証言というページによると
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死亡率=(死者数+不明者数)/(死者数+不明者数+避難者数)×100としたとき、
東日本大震災で最も高い死亡率となったのが女川町の55.9%だった。
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という数字も。。。
のこされた方々の心中、察しきれません。。。
にぎやかな仙台から車で2時間。
どんどん建物はまばらになり、ついには見渡すかぎりの更地に。このへんで唯一建物が残った、高台の病院から撮影。
2015年。4年たってやっとこれなんですよ。
ちなみに4年前はここ一帯がまさにがれきの町でした。
上のパノラマの左半分くらいのところを撮影したものです。
緑いろの部分は屋上なんですね。完全に横倒し。
この建物は震災のシンボルとして、ここに残そう、という声もあったそうですが、
結局撤去されたんですね。
献花台がいろんなところにありました。
献花台がいろんなところにありました。
去年と同じ、病院の敷地内にある献花台にお花とお線香をあげて、黙祷。
「千年後の命を守るために
ここは津波が到達した地点です
もし大きな地震が起きたら
この石碑より上へ逃げてください
もし逃げない人がいても、ここまで
無理矢理にでも連れ出してください
家に戻ろうとしている人がいれば
絶対に引き止めてください
女川中学校卒業生」
でもね、今日は、しんみりするために来たんじゃないんだぜ!
そう!
復”幸”祭!
長らく「代行バス」しか来なかったこの女川に、
JRの駅がやっと再び開通したのです!
これが駅舎!
これが駅舎!
屋根のフォルムはカモメをイメージしたのかなー
4年前、ガタガタのレール以外は跡形もなく流されてしまった、駅、だった場所、に
うちら呆然と立ち尽くしたのを覚えてます。
はためく「幸せの黄色い布」
今回のテーマカラーだったみたい。
いろんな人の復興への思いが一枚一枚に書き込まれてます!
「きらきら・いきいき港 おながわ」
町のみなさんによる太鼓の演奏
これがかなり本格的!
左にいる男の子が特にうまくてしびれたー(≧∇≦)
左にいる男の子が特にうまくてしびれたー(≧∇≦)
いっぱい練習したんだね。
お祭には欠かせない、地元のおいしいものブースもたくさん!
お祭には欠かせない、地元のおいしいものブースもたくさん!
みんなお金落としていきましょー!笑
焼き牡蠣に牛タン、ツブ貝などどれも安くて美味しい!
おわん山盛りのムール貝蒸しが200円
ちいちゃい男の子がパセリふるお手伝いしてたよ。
おわん山盛りのムール貝蒸しが200円
ちいちゃい男の子がパセリふるお手伝いしてたよ。
ホヤのクリーム煮。うまかた。。。
即興で絵を描くアーティストさんもいたりして。
さんまの「おふるまい」!
即興で絵を描くアーティストさんもいたりして。
さんまの「おふるまい」!
食べかけ写真ですみませぬ。。。
一人一尾限定ですが、2015尾があっという間に品切れてました(≧∇≦)
じつは、この日は女川にももクロちゃんたちも来てライブをやるというので
会場はモノノフだらけ
まりんが取ってくれたチケットで、私たちもライブ楽しみました!
私、初ももクロライブ!(笑)
どこまでもフラットな会場だったのでほとんど見えなかったけど!^_^;
まわりのノフの方々のテンションが愛にあふれてて楽しかった(・∀・)
ライブの最後には、映画『幕が上がる』の主題歌『青春賦』を
女川の子どもたちと一緒に
そして最後には会場全員で大合唱してて。
そりゃ泣くって。
ももクロちゃんたちの女川への想いもしっかり感じるいいライブでした☆
ももクロちゃんだけを目当てに来る人も多いんだろうなあと、
はじめは複雑な気持ちだったけど
きっとみんなが復興を気にかけるきっかけにもなったはずだ!
突然ですが、駅には温泉もついてるんだよ!
突然だな!
駅はできたものの、まわりはまだまだこれからな女川町。
でも、近くの小島への遊覧船も運行再開したりして
ちょっとずつ、ちょっとずつ、みんなの歩みが実りつつあるのを感じました。
今度はJRで行きたいね(*^_^*)
そして、宮城のラストはここ
奇跡のおいしさとリーズナブルさを誇る
新鮮・上質! ひとめでうまいとわかる美しい肉たち!
ごちそうさまでした
またね、宮城!