朗読用物語15.『ニワトリの鳴き声』(連作「ちょっとずつ」第3話) | enjoy Clover

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朗読用物語15.『ニワトリの鳴き声』(連作「ちょっとずつ」第3話)


 一般企業への内定が決まって、教育実習なんて消化試合のはずだった。だからと言って教育実習を舐めていたわけではないが、まさかこんなことをやることになるなんて。


 「手、止まってるよ。せっかく手伝ってあげてるんだからあんたがサボんないでよ。ほら、佐伯くんもさっきからテレビばっかり見てないで。」


 佳織がハサミでダンボールを切りながら言った。佳織と佐伯は同じゼミの仲間で、実習先の学校も同じだった。俺達のゼミは特別支援教育専攻ゼミなので、実習先も普通の学校ではない。俺達の実習先は、耳の聞こえない生徒が通うろう学校だった。


 「ごめんごめん。なんか懐かしい怪獣映画やってたからさ。ほら、ヒヨコ、完成。」


 佐伯はヒヨコの絵が書かれたダンボールの裏にマグネットを貼り付けた。明日は、教育実習の最後の難関、査定授業だ。授業科目は国語。単元は、「動物の鳴き声」。俺より一足先に査定授業を終えた二人は、俺が明日の査定授業で使う教材作りを手伝ってくれている。


 「でも、耳の聞こえない子たちに動物の鳴き声を教えるのってけっこう難しいよねー。せめて手話が使えたらいいんだけど、うちの学校は授業中の手話禁止だしね。」


 佳織が言うように、俺達の実習先は口語教育法という教育方針で、授業中の手話は禁止だった。生徒は相手の唇の動きや喉の動き、舌の動きで判断し、手で触った感覚や目で見た唇の形から発音を覚えていかなければならない。実習が始まったばかりの時に佳織が「それじゃ生徒たちが大変だ」と言葉を漏らしたことがあったが、担任の菊池先生から「あなたがこの子たちをかわいそうだと思っても、この子たちは自分のことをかわいそうだなんて思っていません。ハンデを背負って生まれてきたんだからそれを跳ね返せるくらいの強さを身につけないと。」と言われて、俺たちは何も言えなくなってしまった。確かに、そうかもしれない。一歩社会に出たら、手話を使ってくれる人はいったいどれくらいいるのだろうか?俺もまだ学生の身なので、社会の厳しさなんて何も分からないのだが。


 「ま、なんとかなるっしょ。二人にも手伝ってもらったんだし、明日は頑張ってみるよ。」




 いよいよ査定授業当日。生徒は耳の聞こえない子どもが8人。教室の後ろには、生徒の数よりも多くの先生が審査・採点のために並んでいる。先に査定授業を終えた佐伯と佳織も見学に来ている。授業開始のベルがなり、一礼をした後でついに査定授業が始まった。


 「今日の、国語は、いろんな、動物の、鳴き声を、勉強しましょう。」


 大きな声ではっきりと、しかし不自然にゆっくりになり過ぎないように言った。子どもたちは「はぁい」と返事をしてくれた。今回の授業の目標は、動物たちの鳴き声を理解してもらうだけではなく、それを自分たちで発音できるようになることだ。俺は、黒板の中央にスズメの絵とチューリップの絵を貼り付けた。


 「これは、なんですか?」


 俺はスズメの絵を指しながら質問した。前の席に座っていたチエミが手を挙げ、「スズゥメです。」と答えた。難しい濁音の発音もなんとかクリア。


 「では、これは?」


 次に俺は、スズメのとなりのチューリップの絵を指した。同じくチエミが「チューリィプです」と答える。これは次の問題への布石だ。


 「では、このふたつのうち、鳴き声を出すのは、どちらですか?」


 8人全員が手を挙げた。今度は窓際のマサシが「スズィメです。」と答える。そしていよいよ本題の質問。


 「では、スズメは、なんと鳴きますか?」


 またチエミが手を挙げて元気よく答えた。「チュン、チュンと、鳴きます!」よし、うまくいった!難しい「チュ」の発音もバッチリ。我ながら完璧な流れだ。



 こんな調子で、授業は順調に進んだ。いよいよ、最後の動物ニワトリの鳴き声だ。最後のニワトリの問題は、気合を入れて準備をしてきた。なんせ絵を張り出していた今までと違って、最後は段ボール製のとさかと羽根で、俺自身がニワトリを演じるのだ。…しかしこれが大失敗だった。


 俺がとさかと羽根を付けて、おおきく羽ばたいてみせたら、ツトムが勘違いして怪獣の名前を叫んだのだ。そうか。確かにこいつは昨日佐伯が見ていた映画に出てくる怪獣にそっくりだ。子どもたちは大喜びを通り越して大騒ぎ。ツトムは席から立ち上がりヒーローの変身ポーズを真似しだす。教室はパニック状態だった。後ろの先生たちは厳しい表情で俺を睨みつけている。授業時間が終わるまでは、先生たちは決して助けてはくれない。

 
 俺はなんとか自分がニワトリであることを分かってもらおうと、「コケコッコー」と叫びながら教室をピョンピョン跳ね回る。誰か分かってくれ。こいつはラドンではなくニワトリだ。そのまま5分が過ぎ、10分が過ぎ、子どもたちも次第に飽きてシラけ始めていた。…にも関わらず「コケコッコー」と叫んで跳ね回る俺を見て、子どもたちの間にも「これはおかしいぞ」という空気が漂い始めた。そんな中でチエミがはっと気づいたように叫んだ。


「ニワトリは、コケコッコーと鳴きます!」


それは、今までで一番綺麗な発音だった。俺はニワトリの真似をやめてチエミを見つめた。彼女は、得意そうな笑顔でもう一度答えた。「ニワトリは、コケコッコーと鳴きます。」


音のない世界にいる少女は、ピョンピョン跳ね回る怪獣のような俺のことをニワトリだと分かってくれたのだ。しかも、この怪獣のような俺の口をまっすぐ見つめて、複雑な喉と唇の動きで「コケコッコー」という鳴き声を分かってくれたのだ。彼女の笑顔は、今まで見たどんなものよりも眩しく思えた。終業ベルが鳴り始めた中、俺はダンボールのとさかと羽根をふるわせて、その場で泣き出してしまった。




査定の結果は散々だった。「教育はクイズじゃありません。」「テーマの見えない授業でした。」など、結果を告げる用紙には酷評が並んでいた。しょうがないか。俺が苦笑いをすると、担任の菊池先生が「お疲れ様です」と声をかけてくれた。


「あなたは卒業後は、教師になるんですか?」


俺は正直に、一般企業から内定をもらっていることを伝えた。


「それは残念です。あなたなら、きっといい先生になれただろうに。でもね。教師の道に進まなくても、今日のことはどうか忘れないでください。だって、チエミやマサシ、ツトムはきっと生涯忘れることはありませんよ。ニワトリは、コケコッコーと鳴くことを。」


先生は俺をまっすぐ見つめて言った。大人が子どもを信じる時の目は、こんなにまっすぐなんだ。こんな目、今の俺にはまだできない。だけど、だけど俺だって、きっと一生忘れないだろう。「チューリップ」や「スズメ」の発音が難しいこと。そして、ニワトリはコケコッコーと鳴くことを。子どもたちの顔を思い出して、俺はもう一度肩をふるわせた。


(完)

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