今日は振替休日。
午前は妻の病院に付き合い(経過観察の血液検査はとても良い結果でした)、帰りは清河寺温泉へ。昼からのんびりと湯に浸かりました。

湯上りの散歩で、清河寺まで足を伸ばしました。
清河寺は、さいたま市岩槻の戦国武将・太田資正天文二十三年に送った書状が残る寺。
資正が、岩付城に入ったのは天文十六年の暮れですから、その数年後には、川越(河越)に程近いこの地域までを、その支配下におさめていたことがわかります。

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清河寺温泉


清河寺温泉の案内板
太田資正と清河寺の関わりのことも書かれており、非常によくできた案内板です。
断言できます。清河寺温泉のオーナーは“できる”人に違いありません。


清河寺のオオケヤキ


清河寺入り口


清河寺山門


清河寺


清河寺本堂

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寺の建築は新しいもので、資正の時代を偲ばせるものは遺されていませんでした。
しかし、周辺を歩くと、大宮台地の西端に築かれた寺院であることがよく分かります。西に向かって下る傾斜の向こうに入間川、さらにその先に、後北条氏の重要拠点である河越城(川越城)があることがイメージできました。

それは、太田資正がこの清河寺に対して書状を出しているのは、己の領国西端の境界を確定する意図もあったのではないか、と感じさせる地形でした。

清河寺

河越城と清河寺