今日は、虎ノ門の客先打合せから直帰。そのまま南古谷の病院に向かいました。

川越線で、荒川・入間川を越える眺めは、なかなか雄大でした。

戦国時代は、この位置には荒川が無く(現在の元荒川が当時の荒川)、入間川だけが流れていたと言います。しかしそれでも、入間川を境界に、東の岩付領側と、西の河越領側とに大きく大地が別たれていたことが、今回見た眺めから容易に想像できました。

そして入間川を越えて現れる古谷の水田風景。
かつても、入間川が運ぶ「河肥」がここを生産力豊かな土地にしていたのだろうと、空想を広げました。

【追記】
帰路、南古谷駅から大宮駅に向かう途中の日進駅で、ふと「この辺りが高麗豊後守の領地か」と気づきました。岩付を追放された太田資正・梶原政景親子と連携したことで知られる高麗豊後守は、日進の領主。このありが本拠だったんですよね。

頭で分かっていても、実際に近くを通るとしみじみします。

川越線で荒川入間川を越える