ナミのリハビリがありました。
今は、いくつかの場所でリハビリの先生に見てもらっていますが、先生方が共通して話してくれることがあります。
将来社会に出て使わないような勉強は必要ないという考え方。
例えば、時速何キロで走る車と時速何キロで走る車が出会うのはどこでしょうか的な問題。
そんなの学校を出てからやった試しがないのでやっても無駄だと。
これはナミのような障がいの子の話の場合です。
健常児はまた違うと思います。
みんなが漢字を5個書く間にナミは1個ぐらいしか書けません。
折れ線グラフも角度も重さも目盛を見るのが苦手です。
この子達の見え方は特徴があって、私もどんな見え方しているのか正直わかりませんが、おそらく歪んでみえたり、視野が狭かったりしているのでしょう。
なんでこんなことがわからないの?って声をあげてしまっていた時期もありました。
普通の子と同じ勉強をさせようと思ったら、時間がどれだけあっても終わらない。
やったとしても頭に入るとは思えない。
だからこそ、社会に出る上で必要なものだけをかいつまんで要領よくやっていくことの方が大切なんだということかもしれません。
でも私の中には葛藤があって、普通の子と同じことをさせたい、もっと勉強したらもしかしたらできるようになるんじゃないかという浅はかな期待をしてしまいます。
心の中では出来ない事をわかっているのに・・・
高校で特別支援学校に行くと、通常の授業のカリキュラムで勉強する一部の人を除き、高卒の資格はもらえません。
それを知ったときショックでした。
それがその先、必要になることはほぼないかもしれないです。
でも親としては、納得できず、なかなか受け入れることができません。
リハビリの先生は、たくさんの子供達を見た経験上の話をしてくれています。だからこそほぼ正しい意見だと思います。
勉強ばかりを頑張りすぎて、身体のことを疎かにしまい、大人になった時、体が痛くなったり、固まってしまったり、取り返しがつかなくなってしまうことが多いと話す先生もいます。
そのバランスを考えていくことはとても難しいです。
これから中学生になり、新しい学校では肢体不自由児を受け入れたことがないので先生方も戸惑うはずです。
親である私が、勉強も身体のこともどうしてほしいかをはっきり話していかなければなりません。先生方にもナミにも不安をなるべく持たせたくありません。
子供の意見を尊重しつつ、親の思う方向性を決めていくことが大切だと思います。時には修整しつつ。
考えることを後回しにしてきた自分に、こうやってブロクに書くことで発破を掛けているのかもしれません。
明るい未来への架け橋になってあげたいです。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございました