お山の樂校では、子どもたちがお山に来る時に持つお金について特にルールは決めていない。
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お小遣いとして自分でお金を持っていたり、「電車通学の途中の何かあった時のために」と
親がお金を持たせていたり、自由に使えるお金は持っていなかったり、各家庭によって様々。
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よく学校では「トラブルの元になるからお金は持って来ない」というルールがあったりするけど、お山ではそんなトラブルは一切ない。
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なんてことは全くなく!
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お金のトラブル起こる。起こる。
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”ドラゴンボールカードと現金を交換してきたんです”
”1000円がお小遣いからなくなってて、聞くと何かと交換したみたいなんです”
”もしものためのお金なのに預けると全部なくなってるんです”
”コンビニ寄って毎日お菓子を買って食べてるみたいなんです”
”小さい人が大きい人にお菓子を買わされているみたいなんです”
”親の財布からお金を取ってたんです”
などなど、想定外の行動でおとなをもやもやイライラさせることをいっぱいやってくる。
それでもお山では「じゃあお金を持って来ないことにしよう」とはならない。
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子どもはまだお金の価値をわからない
小さいうちは使い方を知らない
自分で稼いだお金じゃないから大人の管理が必要
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とか、そういう考えももちろんあると思うけど、お山では「ほんとにそうなんだろうか」ってことを一度おとなが考えてみたい。
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【ドラゴンボールカードとドラゴンボールカードの交換だったら何にも思わないのに、それが現金になったらおとなは”え!?”って思う。カードだってそもそもお金で買ったものだから現金が姿を変えたもの。だとしたら…】
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【コンビニ寄ってお菓子を買うことにイライラするのはなんでなんだろう?「喉が乾いて水を買った」って言われるのと「ジュース買った」って言われた時の親の心の反応が違うのはどうしてなんだろう】
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【朝からお菓子を買いに子どもがコンビニに寄るのをよくないと思うのはなんでだろう。おとなは好きな時にコーヒー買いに寄るけどそれと何が違うんだろう】
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とか、おとなが当たり前と思っている概念を一度崩して組み立て直してみる。
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子どもの行動をなんとかしたい意図はなんなのか。
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体に悪いから...とか、あなたのために...とか、社会とは...とか、いろんな思いがあるけれども、
それは子どものためなのか、自分のためなのか。
困るのは子どもなのか、自分なのか。
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もちろんおとなの視点を伝えて、子どもたちとも話し合う。
”していいこと悪いこと”を考える話し合いではなく、おとなのその視点も聞いた上で、自分たちはどう思うか、どうしたいと思うか、という意見を出し合って混ぜ合わせる。
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そしてそれぞれが次の行動を自分で決める。
本人たちだって、お金を使いすぎたり、もしもの時にお金がなかったり、気前よく交換したものの返して欲しくなって、でも言えなくて、言っても返してもらえなくて、とか、体験としてうまくいかなかったこともつどつど味わってきている。
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そこにはおとなから見たら未熟だ、わかってない、と感じるような選択や判断もあるかもしれないけど、その時点でのその人が選ぶものはその人のもの。それでまたトラブルがあった時に、この選択ではうまくいかなかったと氣づき、また考える。
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そうやって日々を重ねてきたお山っこは、1年生の時と6年生になった今とではお金との付き合い方が全然違う。
「それ500円の価値ないけん交換したら損よ」とか「なんでもお金で解決できると思うなよ」なんてことを言ってくれたりするようになった。
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(えっ!?昔自分もやってたよね!?なんてこともいっぱいある(笑))
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その変化の過程には、親が子どもの行動を決めつけずに根氣強く付き合ってきた時間があって、当然その間イライラしたりもやもやしたり、うまくいったりいかなかったりしながら親も子どもと一緒に経験を重ねてきた。
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だからこそ、新しく入ってきた親たちの葛藤も分かるし、そこへの自分の経験を話すことでおとな同士も共に育ち合えるお山の樂校になっている。
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先に生きているおとなたちが決める「やっていいこと、やってはいけないこと」で自分の行動を変えるのか。
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自分の体感を通して感じたことから、自分で考えて、自分の意志で行動を変えるのか。
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結果「変わった」ということは同じだけど、その人の内側は全く種類の違う”生きる力”が育っている。