2018年の夏も終わりに近づいていますが、ここで2017年の年末の話をひとつ。
実は、自分で立てた2017年の目標の中に、こんなものがありました。
「ストリップを観に行く!」
街がクリスマスに染まり始めた頃、はたと気づいた私。
やばい、このままでは目標未達のまま2017年が終わってしまう!!
ということで、師走の目が回るような忙しさのなか、無理やりストリップに行く予定をねじ込もうとする。
しかし、さすがに一人では心細い。
誘ったのは、面白いことなら決して断らない、女友達のKちゃん。「行きましょう!」というLINEの即レスとともに、年内決行が決まった。
そもそも、なぜ女性の私がストリップを観たいと思ったのか。
それは、単純に知りたかったからだ。
周囲の男性に聞いてみても、ストリップに行ったことのある人はわずかで、その詳細を語ってくれる人は少なかった。
ストリップとは一体何なのか。「Wikipedia」によると、こうだ。
「楽曲に合わせて服を脱ぐ様、またはその様態を鑑賞すること。ときに鑑賞する場を指す」
その通りなのだろうが、これだけでは景色までは浮かんでこない。
ストリップとは、昭和の名残の性風俗なのか、はたまた舞台芸術なのか。なんとなく、50歳を過ぎた熟女が躍っているイメージもある。テレビドラマでたまに出て来る踊り子の女性は、たいてい幼い我が子を捨てて踊り行脚に行ってしまうのだ。
あぁ、なんて貧困なイメージ!
現代の日本で、どこまでの表現が許されているのか、そこで踊るのは、どんな女性なのか?
やはり、自分の目で見るしかない。
そう思ったのだ。
今は経営が厳しいとも聞くけれど、調べてみると、ストリップ劇場は全国にまだたくさん残っていた。
こんなサイトも発見。
https://pokabe.com/japan-fstrip-seo/#A
私の地元、北九州市小倉にもあった!(ありそう笑)
東京都内だけでも、浅草、歌舞伎町、渋谷などにある。この中でも、私でも名前を聞いたことのあった「浅草ロック座」に行ってみることにした。
チケットの価格(ひとつのショーの時間は90分)。
一般 5,000円
女性割 3,500円
学割・シルバー割(65歳以上) 4,000円
カップル割(男女お二人で) 7,500円
20:40以降の入場一律 3,500円
女性客を呼び込みたいのか、「女性割」なるものがある。
一般の5,000円だと少し高く感じるが、レイトショーの3,500円なら若者でも手が出せる値段だろう。
私たちは平日の夜、21:00~の回への潜入を決めた。
■足、つっちゃうよ!!
12月中旬、夜の浅草へと繰り出したKちゃんと私。
駅から十数分歩くと、遠くにロック座のネオンが見えた。
女性の私たちは、男性客からすると邪魔なはず。白い目で見られたらどうしよう……とここにきて少しおじけづく。おそるおそる近づくと、なんと入口の階段に客の列ができていた。
はやってる??
ガラガラでさびれた劇場を思い浮かべていた私は、想像以上の盛り上がりに面食らう。
やはり、並んでいるのは男性客ばかりだ。
チケットを購入し、前に進む。窓口の男性がジロリと私たちを見た。気がした。
ひるまないぞと気合いを入れ、「あの、会場内は飲食禁止ですか?」と聞くと、「大丈夫ですよ。あそこに売店があります」と教えてくれた。なんだ、お兄さん優しいやん。
素面では見られぬと、酒を手に入れるべく売店に向かう。
売店も繁盛していて、何やら踊り子さんたちのTシャツなどのグッズも一緒に買えるらしい。
一人のおじさんが、ビールやらTシャツやらを大量買いしていた。見るからにとろそうな(失礼)女性店員が、計算ができずにおろおろしているのを、常連客らしきおじさんが「おつり〇〇円だよ!」などと言って助けている。
売店の売り子にまでファンがついているのか!と驚いたが、この女性ももしかしたら昔は踊っていたのかもしれない。
無事にビールとおつまみのスナック菓子を買い、私たちは一番後ろの端の席に座った。
残念ながら、会場は撮影不可。
思いのほか広く、100人くらいは入りそうだ。満席に近く、仕事帰りと思われるスーツの人もちらほら。年齢層は高めで50~60代が大半のようだった。
中央の大きな舞台から、客席の中央を花道が伸びており、その先端が丸いステージになっている。この丸いステージは「盆」と呼ばれるもので、回転する。踊り子が決めポーズで会場を一周できる仕組みだ。
そして、盆を取り囲む最前列を「かぶりつき席」というらしい。踊り子との距離は1メートルほど。この至近距離は確かに貴重だ。
ショーのプログラムは3週間ほどで入れ替わるらしい。この日は「Fantasia」というステージだった。
会場が暗転し、音楽が流れる。
かわいい服を着た女性が10人ほど出てきて、舞台の上で踊る。10代後半~20代くらいだろうか。みんな若く見える。
グループステージが数分続いた後、ソロの舞台へと続いていく。
ソロの踊り子は、最初は服を着て登場し、2~3曲踊ったあと、はらりと衣服を落とした。
全裸。
おお。
体を硬直させる私。
さらに、両脇の観客に囲まれながら花道を通り盆までくると、床に座り、片足を天井に向けて伸ばし、大きく開脚。その姿勢でステージが一周回る。会場から拍手が起こる。
おぉ…これがストリップか…。
このとき私の頭をよぎったのは、まぎれもなくこの言葉だった。
「無 修 正」
■愛をこめて花束を
想像以上のあけっぴろげ感に、しばしかたまっていた私。
そもそも、女性が、女性の局部をこんなにしっかりと見ることは人生でほぼないだろう。
しかしそんな戸惑いは最初だけ。この常識外な空間に、すぐに慣れてしまった。むしろ、服を着ているこちらがおかしいのか? とも思ってしまうような、ちぐはぐな感覚。
踊り子はみんな痩せているので胸はないけれど、無駄のない筋肉で、ものすごく綺麗な体をしている。
足、つってしまうよ!と言いたくなるような姿勢でも、ビクともしない。ピンと伸びた足が美しい。
どんどん、彼女たちに魅了されていく。
グループステージとソロステージが交互に展開し、ソロの舞台は15~20分ほど。この日は7人のソロステージがあった。
ダンスはバレエをベースにしているようだったが、音楽も踊りもダンサーによってテイストは異なる。台詞なしで、踊り子はダンスと表情だけで表現する。
グループステージにもソロステージにも、喜怒哀楽の表現があり、ストーリーがある。それはいわば、踊り子の人生のストーリーにもシンクロするように思えた。
途中で10分の休憩が入る。
その間、舞台のスクリーンでは、ストリップの舞台裏に密着した、踊り子たちのドキュメンタリーが流れていた。
――あなたにとって、ストリップとは?
そんな質問に、一人の踊り子がこう答えていた。
「すべてをさらけ出す場所。心もぜんぶ」
後半のソロステージはさらにクオリティが高くなる。
裸体も局部もすっかり見慣れた私は、ただただ芸術作品として鑑賞する。
裸体の上に一枚だけ残した衣装の位置、動かし方。
ほぅ…と思わずため息がもれてしまうような美しさに、吸い込まれそうだった。
鍛え上げられた体。ぽっこりお腹が出ている人なんて一人もいない。大きなミラーボールの下で堂々と踊る彼女たちに、影はあっても、負のオーラは一切感じなかった。
これは、性風俗ではないな。
90分の舞台を見終えた私は確信した。もちろんダンサーはセクシーだけど、例えば射精やオーガズムといった直接的なエロスとははまったく違う空間なのだ。ミロのビーナスやダビデ像を見る感覚に近いといえば、伝わるだろうか。
客が踊り子に花束を渡すシーンはあったが、お触りはなし。テレビドラマのようにパンティの中にお札を入れるというような下品なシーンもなかった。
(ストリップ劇場の中には、踊り子と一緒に有料で写真を撮ることのできる「ポラ館」もあるらしい)
私の貧困な想像では、客がパラパラとしかいない劇場で、裸で踊っている女性を見ながら、くたびれたおじさんたちがシコシコしているイメージだったのだが、全然違った。
アップテンポの曲では会場全体が手拍子をして、決めポーズでは盛大な拍手が起こる。
アイドルと同じように、“推し”の踊り子を応援している男性ファンの姿もあった。彼らはサイリウムを振り、音楽に合わせて上手にポーズを決める。
ストリップを見に来る客は女性ダンサーをリスペクトしている。そこには愛があった。
まとめ。
ストリップとは、「愛とやさしさに包まれた場」であった。