今日、歌手の安室奈美恵さんが引退する。
1995年、「TRY ME~私を信じて~」がヒットしたとき、私は15歳だった。以来、安室ちゃんは私たち世代のヒーローだった。
人生でいちばんカラオケに行っていたあの頃、誰かが必ず安室ちゃんの歌を歌った。
―だけどわたしもほんとはさみしがりやで
「SWEET 19 BLUES」の歌詞に自分を重ね、涙ぐんだりもした。
たった2歳だけ年上の安室ちゃん。ひたむきに歌い踊り、スポットライトを浴びる姿はまぶしかった。私も頑張ろう、とその背中を追ってきたつもりだった。
昨年9月、突然の引退宣言。
彼女の姿を見ることができなくなる淋しさも大きかったけど、何より40歳で引退できる、という事実に強い衝撃を受けた。
だって、私はいま、何からも引退することはできない。
40歳で何者でもない自分になろうとしている安室ちゃんと、40歳で何者かになりたくてもがいている私。その違いに愕然とした。
もうすぐ40歳になる自分。
それは、目をそらしたくなる事実かもしれない。すごく遠くにあるものだと思っていたから、これまできちんと想像したことはなかった。それが目の前に迫っているという現実を、なかなか受け入れることができない。
15歳のあの頃と、何も成長していない気もするのに、体力や記憶力が落ちていくことは日々痛感している。風邪をひいたら長引くし、同級生で集まれば最近は健康の話ばかりだ。
だけど、年を重ねてきてよかった、と思うこともある。
結婚・出産をして家族をもたなかった私は、30代で多くの居場所や仲間をつくってきた。
いま、私のまわりには自分のことのように私を心配してくれる人や、淋しいときに遊びに行ける場所や、似たもの同志、一緒にどったんばったん生きている仲間がいる。
頑張ってきた仕事も自分の財産だ。
淋しさは10代の頃と変わらないけれど、それをやり過ごす心の強さも手に入れた。
「あんなに大変なことを乗り越えられたんだから、きっと私は大丈夫」
「私には助けてくれる人がいるから、大丈夫」
昔より、私は私を信じられるようになった。
だとしたら、七転八倒もがいてきたこれまでの時間もムダではなかったと思える。
―ただ過ぎていくようできっと、身についていくもの
40年近く生きていると、自分の生き方が周囲に波紋を広げていく。
仕事をすること、誰かを大事に思うこと、これまで何に時間を割き、打ち込んできたのか、自分のまわりを見渡すとよく分かる。
そして、実感する。
思いをかけたものは、育つ。
さて、私はどんな40歳になろうか。
ぼんやりと思い浮かべるイメージは、若かった私を抱きしめてくれた先輩女性たちのやさしい腕。
苦しみや悲しみも人生の醍醐味だと、軽やかに生きるあの背中を私も追いたいと思う。
そして、悩み悲しむ後輩たちを抱きしめ、「大丈夫、年をとるのも悪くないよ」と笑ってあげられたら。いや、言葉だけでなく自分の生き方で伝えられたらいい。
―どこへでも続く道がある。いつの日かI’ll be there……
40歳以降の人生も、楽しくできるかどうかは、結局は自分次第だ。
信じて願い、行動し続けるしかない。
バイバイ、安室ちゃん。私も頑張るよ。