② おじいさんの娘スーザン | はっぴー。なブログ☆ありがとう羽生結弦さん

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羽生結弦さんを応援しています。ファンが幸せなら、明るく元気な応援パワーをあげられるんじゃないかと思って書いています。友達に手紙を書くように書いているお手紙ブログです。ありがとうございます。はっぴー。です

前記事にたくさんのいいねやコメントありがとうございました。

 

今日も読みに来て下さりありがとうございます。

 

絵子ブログからいらっしゃって、初めての方も多かったのかな~と思います。

ぼちぼちやっているブログです。

 

 

コメントの中にYさんから

「亡き人に思いを馳せるとその人に 天国でお花が降り注ぐ」というお話があり

なんと豊かな、癒される考え方だろうって思いました。

 

他にもたくさんコメントに癒されました。

ありがとうございます。

 

前記事を読んでない方は

今日のブログは何のことかわからないと思うので

よかったら前記事から読んでいただければと思います。

 

前記事 私のイギリスのおじいさん。 

https://ameblo.jp/happykit/entry-12614825755.html

 

前記事におじいさんの娘さんは

10歳くらい年が違うと書いたのですが

 

それは思い違いで、

もっと年が離れていたことがわかりました。

 

私は海外に行くと親友に

絵葉書を出すのですが

 

 

 

その彼女は私の何十通もの手紙を

ずっと残してくれています。

 

 

 

 

前回のブログを書いた後

 

今日のブログを書くために、

イギリスからの手紙が残っていたら見せてほしいと言うと

すぐにはがきの写真を撮って送ってくれました。

 

イギリスからの手紙は

7通ありました。

 

 

そこにはスーザンの年齢も書いてあったので

わかったのですが

 

 

 

 その他にも

 

手紙という記録と共に

 

記憶も鮮明に戻りました。

 

 

 

image

 

 

 

 

 

 

では

 

お話は続きます。

 

 

 

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********

 

 

 I hope to hear from you soon.

近いうちにご連絡いただけると嬉しいです。

ではまた。愛を込めて。スーより

 

おじいさんの訃報を伝える、娘、スーザンからの最後の一文に

そう書いてありました。

 

 

亡くなったのが12月19日

スーザンの手紙の日付が1月4日

 

さほど親しくもなく

英語もつたない自分が

どう文章をつづればいいのかと少し思ったのですが

 

soon

すぐに…

 

という言葉を読み

 

そうか、そうなんだ、、、

すぐにお返事書いてもいいんだと思い

 

私の気持ちをしたため、手紙を出しました。


 

 

 

 

 

その年のクリスマスカードを送るシーズンに

日本は喪中に年賀状を送らないけど、

送ってもよいのだろうか?と疑問に思い

 

イギリス人の旦那さんを持つ

日本人の同僚に、

「相手が喪中の時にクリスマスカードを送ってもいいのか。」と聞き

 

大丈夫だよと教えてもらってから

送ったのを覚えています。

 

 

スーザンのクリスマスカードには

いつかまたカーディフに来てね

という言葉がありました。

 

 

 

 

 

 

夏の休暇の計画を立てるときに

カーディフに行こう。

 

 

 

シリルのお墓参りをしようと思い立ちました。

 

 

 

 

 

シリルを訪問して

 

 

お別れをしてから

 

 

1年後の

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーディフの駅までスーザンは迎えに来てくれました。

 

 

 

スーザンは駅のロータリーで

ぎゅっとわたしを抱きしめ

 

 

 

 

 

明るく高い大きな声で

本当によく来てくれたわねと

ものすごく感激してくれました。

 

 

 

 

会ってすぐに

「お墓参りに行きたいんだけど。」って言うと

 

 

声を上げて笑い

 

「そんなこと言わないで

先にパブに行こうよ!」と

 

駅前のパブに連れて行ってくれて

 

ビールランチをしました。

 

 

カーディフの名物料理みたいなのを注文しました。

 

お肉の付け合せに、ウェールズ伝統料理の海藻がのっていたかと思います。

 

 

「こんなの子供の時以来食べたことないわー。海藻苦手だわーー。」

 

自分が食べるのでもないのに、ゲテモノを見るみたいに

顔をしかめながら

 

「おいしい?」

 

「うん、おいしいよ。私海藻好きなの。日本人はみんな海藻を食べるんだよ。」

 

 

 

 

「じゃ、よかったわ。」と

 

しかめた顔がにっこりとなりました。

 

 

 

 

私は

カーディフの安宿を予約していたので

 

「ここにはどうやっていけばいいかなあ?」と尋ねると

 

 

「え?どこかしらそれ?うちに泊まりなさいよ~。」と言ってくれました。

 

 

 

嬉しいなあと思いつつ

「当日だからキャンセルできるかなあ。」と、遠慮もあって言うと

 

「そんなのできるわよ!」と強く勧められ

 

宿をキャンセルしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

スーザンとは

 

そんなに頻繁にやり取りをしたわけではなく

 

 

お墓参りをしよう

 

案内してもらえたらいいなという気持ちだったので

 

 

「泊まっていけば?」と

言ってくれる気軽さに、驚きつつも

 

貧乏旅行の私は

 

ラッキー!と思いました。

 

 

 

 

 

食事が終わると

 

テスコという

 

スーパーに行って、お花コーナーでスーザンはお花を買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスのお墓は

とてもきれいで

 

 

日本のお墓とはちょっと趣が違う

 

 

たくさんの緑と色とりどりのお花が溢れた

ガーデンという感じでした。

 

 

シリルのお墓の前まで来ると

 

スーザンは

 

「お父さん、はっぴー。がきてくれたわよ。」と

 

泣き出しました。

 

 

 

 

スーザンは

 

その泣き顔のまま

 

お墓の周りの雑草を抜いて

綺麗にしはじめました。

 

 

 

 

 

私もそれを一緒に手伝うと

 

 

 

「お母さんだけでなく、お父さんも死んじゃって、本当に私寂しいの・・・。」と

 

泣きながら言い

 

ずっと鼻をすすったまま

 

「はっぴー。来てくれてありがとう。」と

 

何度も言うと

 

 

 

その後は

 

黙々と二人で草むしりをしました。

 

 

 

スーザンは

感情表現が豊かな女性で

 

よく笑い

よくハグし

 

愛情をたっぷり伝えてくれる人でした。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

家に着いて、さて、私はどこに寝るのかなあと思っていたら

 

「フィリップ、今日は、はっぴー。が泊まるから移動して頂戴。」と

 

なんと、旦那さんのフィリップを屋根裏に寝るように言うではないですか。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「いいの?フィリップ屋根裏!!!??」とびっくりして聞くと

 

フィリップは困った顔一つせずに

「いびきがひどいらしい時は、いつもこうするんだ~。」と笑っていました。

 

 

「はっぴー。は小さいからフィリップと寝るよりゆったり眠れるわ」とスーザンは笑い・・・

 

確かにその夜、屋根裏からすごいいびきが聞こえてきていました。

 

 

 

泊まっていきなさいよと言われてから、

 

まさか同じダブルベッドで寝るとは思ってもみなかったです。

 

先にスーザンの寝息が聞こえてきて

私もすやすやと眠りにつきました。←特技の爆睡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝目覚めると

 

スーザンはすでに起きていました。

 

 

 

 

 

私が洗面所で顔を洗い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食を食べてから、また寝室に戻ると

 

ベッドカバーがすでに綺麗に整えられていました。

 

 

 

 

 

いつの間に・・・と思うほど、きちっとベッドカバーがきれいに整えられているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

スーザンとフィリップの8畳ほどの寝室には

 

シリルの孫娘に当たる、ハンナからの

 

スーザンとフィリップへのバースデーカードや、写真立て

 

母の日に送られたことが書いてある

ちっちゃなかわいらしい陶器の置物などが

たくさん飾られていて

 

きっと

 

一つも処分していないんだろうなというくらい、所狭しとあるのに

 

埃なく置かれていて

 

フィリップとスーザンの娘ハンナへの愛をしみじみと感じる部屋でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって滞在し

 

カーディフの駅でぎゅっとハグしてお別れし

 

必ずまた来てねと言ってくれるスーザンとフィリップでした。

 

 

 



 

 

 

 

 

私は勤務国での数年の仕事が終わって

日本に帰国してからも

 

クリスマスカードをやり取りし

 

日本から再訪したりもしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな具合に


 

 

 

 

夏の海外旅行をしつつも

 

もちろん私の日々の生活も仕事もあるわけで

 

 

 

 

 

 

 

人生の悩みを

数年間、抱えていたことがありました。

 

 

 

シリルに出会ったのは20代前半だったけど

 

私はすっかり30代になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悩みのトンネルに入っていて

 

真っ暗な気持ちの日々もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時に

 

 

 

 

 

「過去世が見える人」

 

そういう人の所に相談に行ってみようと

 

思い立ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

いわゆる霊能者ってやつです。

 

 

 

 

 

 

後にも先にもこの1回きりでしたが

 

当時、

 

なぜこんなことになっているんだろう?

 

私はどうすればいいの?

 

という思いでいっぱいで

 

 

 

 

 

 

友だちの紹介でありましたが

 

「値段は決まっていないから、お気持ちだけでっていう人なの。5千円くらい包んでいけばいいよ。」と言われ、

 

何かがわかれば…

 

道が見えたら…

 

トンネルの出口が見えたら…と

 

白い封筒にお金を入れたことを鮮明に覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

普通のマンションの一室に

 

両親と住んでいるという40代くらいの

 

どちらかといえば

 

無表情な独身女性。

 

 

 

 

その女性に

 

 

 

悩みを言った後ではありましたが

 

私の趣味や生い立ちなどは、

 

これといって言っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

その’見える人’は目を瞑りながら

 

 

 

 

 

 

「あなた、なにか・・・・・ケルトに関係ある?」と聞いてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりに唐突な単語に

 

 

 

 

へ・・・・?

 

 

となったと同時に

 

 

 

 

 

ああっ!と声を上げました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸がいっぱいになり

 

心臓がどきどきしました。

 

 

血がぎゅ~っと体内を上ってくるようでした。

 

 

 

 

 

 

 

ケルトというのは

 

ウェールズ地方、カーディフの町にも

 

深く関係のある民族・文化です。

 

 

 

 

カーディフにはケルト民族をモチーフにした土産物だけでなく

 

言語もケルト語から派生したウェールズ語が

 

公用語として

 

駅名にもちゃんと表示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この’見える人’は何が見えているのか・・・・・。

 

 

 

 

 

 

突然の

 

ケルトという言葉。。。。。

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

 

ひとことも言ってないのにわかるの?

 

 

 

私は泣きそうになりながら

 

イギリスで会ったおじいさん、シリルのことを

この女性に話をしました。

 

 

 

 

 

 

 

駅のホームで出会ったこと

 

そのあと、文通を続け、会いに行った事。

 

でも会いに行って

 

数か月後に亡くなっていること・・・・。

 

 

 

 

 

 

それまで

 

少し厳しい顔つきだった女性は

 

穏やかな顔になり

 

 

 

再び目を瞑り

 

 

「やっと会えたね。。。っていうことだったのよ。

 

要塞を守る仲間だったんです。

 

 

 

 

傭兵だったわ。

 

すごく仲のいい友達だった。

 

でも戦いの中で離れることになり

 

もう会えなくなった。

 

ずっとあなたのことを心配していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の魂はずっと会いたいと思ってたんです。

 

だから、駅で出会った時

 

 

 

 

 

 

ああ、やっと会えた!と思って、話しかけたんですよ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

嬉しかったんでしょうね。

 

亡くなる直前に出会えてよかったですね・・・。」と・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当かどうかはわかりません。

 

もともと、前世があるかどうかなんて話だって

 

おかしなことです。

 

 

でも

 

 

いきなり

 

ケルトと言われて

 

 

 

 

 

シリルがlonelyという私の言葉に強く反応し

心配してくれたことや

 

空港に見送りに来てくれたこと

 

城塞のある、小さなお城に連れて行ってもらったことを思い出しました。

 

カーディフ城の要塞の事も思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悩みについて聞きに行ったのに

 

他にも

 

言い当てられたことがいくつかあり

 

あまりに衝撃すぎて

 

悩みが

 

ふっ飛んでしまうほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

 後にも先にも

 

その女性のところに行ったことは

 

この一回だけでしたが…。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その出来事から数年後

 

私は再びカーディフのお宅に遊びに行きました。

 

 

 

さて恒例のお墓参りです。

 

 

さっそくお墓に行きたいと言うと

 

いつものスーパーテスコにより

 

お花を買いました。

 

 

お墓に行くと

 

スーザンは

 

「わたし本当に久しぶりなの・・・。ここに来るの久しぶりで・・・。

 

お父さんが死んでから

 

もう10年越えちゃった・・・。

 

はっぴー。が行きたいって言ってくれたから

 

また数か月ぶりに久しぶりに来れたわ。

 

お父さんが亡くなってすぐのころは

 

毎月のように

 

しょっちゅう来てたのに、

 

ここ数年はほとんど来なくなっちゃってた。」

 

 

 

スーザンの声は

 

どんどん涙声になり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっぴー。また、きてくれてありがとう。

 

本当にありがとう・・・・・

 

 

 

 

 

おかげで

 

お父さん、お母さんのお墓に

 

 

 

 

 

会いに来ることができたわ。」

 

 

 

 

 

 

「草がこんなに生えちゃって・・・。お花もなくてかわいそう。。。。

 

ごめんね。お父さん、お母さん・・・・。」

 

 

 

少し荒れた墓石の周りを、

 

なんだか悔しそうに

 

サンダルのつま先で土を蹴り

 

 

鼻をすすりながら

 

 

 

 

 

 

 

 

草を掘り起こしてはしゃがみ

 

 

 

 

 

泣きながら草むしりをするのでした。

 

 

 

 

 

当時

 

孫娘にあたるハンナは

 

ネイルが好きで、おしゃれで

 

エドというボーイフレンドができて、とっても忙しそうでしたが

 

一晩、エドが訪ねてきて、お家で一緒にディナーを共にすることになりました。

 

 

 

 

 

 

私は巻きずしや

 

照り焼きチキン、焼うどんを作ってあげました。

 

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(酒を飲みながら作った)

 

巻きずしと照り焼きチキンは

 

明日のランチボックスに詰めていくわと

 

ハンナが言ってくれたので

 

多めに作りました。

 

 


 

 

 

 

 

 

エドはイタリアのスパークリングワインを持ってきてくれていました。

 

 

さりげなく、すっとスーザンに渡す様子に

 

若いのに気の利いた

いい青年だなあと感じました。

 

「エドがシャンパンを持ってきてくれたわ!はっぴー。飲んでー。」とスーザンが言い

 

 

 

 

 

みんなでワインの感想を語りながら

 

食事をし

 

エドは海外旅行も好きらしく

 

日本に行った事はないけど、日本食が食べられるなんてうれしいと言ってくれました。

 

 

デザートは

 

物凄く甘いスーザンの作ったチェリーパイと共に

 

おしゃべりをしました。

 

 

 

 


英語がわからないなりに、そのひと時を楽しみ

 

 

 

 

 

 

酔った勢いもあって

 

「信じてくれなくてもいいんだけど・・・本当かどうかも分からないし、もしかしたらウソかもしれないけど、、、こんなことがあったの。」と

 

 

 

 

 

その”見える人”が言った話を話してみました。

 

 

 

 

 

 

 

突然、ケルトと言われたこと

 

その内容は

 

シリルと私は過去世で仲間だったこと

 

 

 

 

要塞で働いていて、生き別れて、やっと会えたんだって言われたことを

 

辞書を引きながら話してみました。

 

 

 

 

 

 

皆、酔っ払っているせいもあるのか

 

興味津々に話を聞いてくれました。

 

 

 

 

スーザンは

 

「ああ、そうだったわ。

 

父は親戚のお見舞いに行くために

 

トーントン駅で乗り換えたときに

 

はっぴー。と出会ったのよ。」と、

 

ハンナのボーイフレンド、エドに説明しながら

 

また涙ぐんでいました。

 

 

 

 

 

「ねえ、エドはそういうのを信じるほう?」とスーザンが聞くと

 

「うーーん…

 

絶対に信じるってことは無いけど、

 

そういう話はイギリスでも聞くよ。

 

日本でもあるんだね。」と言ってくれました。

 

 

 

自分ですら

 

怪しい話と思っているし

 

どう思われるかなーと思いながら

 

話をしたけど

 

 

 

 

 

電子辞書を引きながらの

 

私の話しを

 

辛抱強く待って

 

聴こうとしてくれる

 

この人たちが

 

 

なんだか温かいなあと

 

優しいなあと

 

思いました。

 

 

 

 

 

 

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この時私が友人に書いたはがきです。

 

 

 

 

 

「イギリスではウェールズの田舎のおじいさんの墓参りをした。

 

娘さん(といっても52歳)といろんな話をした。

 

会ったのは今回3回目だったけど、今回本当に仲良くなって、人生についていっぱい語り合って、

 

 

 

彼女は私の言葉にすごく涙ぐんでいて、

 

情の厚い人で・・。

 

You make me cry everyday. 

(あなたは毎日私を泣かせるわ)

 

と泣きながら言ってた。

 

私のつたない英語でも

 

本当に「心が通う」とはこういうことかと思えた。

 

人と心が通うって、

 

気持ちのいいことだなあと思った。

 

ファミリーみんな温かい人で、

 

今ある幸せを大切に生きているファミリーでした。

 

滞在中のある1日は、

 

私が寿司と照り焼きチキンと焼うどんを作り、

 

すごく喜んでくれてうれしかった。

 

我ながら素晴らしいディナーになった。」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからまた数年後

 

2014年の夏

 

久しぶりに

 

スーザンのお宅に遊びに行くことにしました。

 

 

この時すでに羽生君にハマっていた私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっとポーランドに

行ってみたいと思っていたけど

 

 

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リプニツカヤさんのシンドラーのリストの演技を見て

 

 

 

 

シンドラー博物館や、アウシュビッツに行ってみよう。と思い立ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人で3~4日、ポーランドを旅行した後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドイツに住む友人宅でのんびりし

 

ロンドンへ飛行機で飛びました。

 

 

ヒースロー空港からはバスが便利でした。

 

 

 

 

 

 

 

今回はカーディフのバスターミナルに着きます。

 

シリルと出会ったころと違い、スマホも持っています。

 

 

 

バスの中で

 

羽生君の動画を見ていたのを思い出します。

 

すでに羽生中毒でした(笑)

 

 

しかし!

 

 

 

image

↑おもて

臨場感あふれる、

揺れる字ではがきを書いていた!!!!!!!!

↓うら 

ヒドイ字!(だってこんなたくさんの人に見せるつもりなかったもの!!)

 



 

「ミュンヘンからイギリスについたところ。

 

バスで3時間の知人の所に向かっている。

 

ミュンヘンは友達の所に泊まり、

 

旦那さんがドイツ人なので

「肉、肉、ビール、肉、ワイン、肉」という日々を3日過ごした・・・・。

 

それくらい肉食で

 

さすがゲルマン民族やな~」

 

とかいう、

 

とにかく飲食しまくったぞという

 

 

どうでもいい文面でした。

 

 

 


シュール・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ旅のハガキなんてそんなもんですよね?

 

 

 

 

 

 

バスがロンドンヒースローからカーディフに着くころになると

 

バスの中から電話をして、迎えに来てもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

このころスーザンは仕事を退職していて

 

わりとのんびり過ごしていました。

 

 

 

スーザンはバカルディというお酒と

 

コーラを混ぜて飲むカクテルが好きで

 

私がサンルームやガーデンでビールを飲んでいると

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「バカルディ最高よ~!飲んでみる?」と言ってくれて作ってくれるのですが

 

私はどちらかといえば甘いお酒よりビールのほうが好きなので

 

やっぱりビールに戻ってしまうのでした。

 

 

 

 

 

トラックドライバーの旦那さんのフィリップも

すでに退職していて年金生活に入ったところ。

 

フィリップの腕には

 

スーザンとハンナの名前の刺青がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも冗談ばかり言ってまわりを笑わせていて

 

 

 

「もー!フィルは冗談ばかりいうんだから!」

 

と、スーザンは毎日笑いながら言っていました。

 

 

 

 

 

フィリップはお料理も上手でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで出会った欧米のご家庭は

たいてい自然に旦那さんが

お料理をしていました。

 

日本と違ってそれが普通なんだろうな~と思います。

 

 

 

 

 

それから

 

 

 

フィリップの庭仕事は素晴らしいものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスは京都の家のように間口は狭いけど奥が広いお家があります。

 

彼らの家もそんな家で

 

裏庭に奥行きのある

 

美しいガーデンがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お庭がとてもきれいで

 

小鳥の巣箱もありました。

 

 

 

 

 

 

 

最初の訪問時にはなかった

素敵なサンルームがこのころにはできていて

 

 

 

 

「はっぴー。私これが夢だったの!ずっとサンルームを作りたいって思ってたのよねえ。」とスーザンは言っていました。

 

 

サンルームには

こじんまりとしたソファが置いてあり

 

 

そこからお庭が眺められるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎朝、たくさんの鳥が巣箱の餌を食べに飛んでくると

 

フィリップは

 

「しー。静かに!」とジェスチャーをし

 

ジョークを言うのをストップしました。

 

 

 

 

 

 

 

毎朝、餌を巣箱にいれて

 

鳥をちゅんちゅん、庭に呼ぶとか

 

まるでアニメの中の世界だなあと

 

なんだか衝撃的に感動でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

その晩

 

ハンナとエドと一緒にディナーを共にしました。

 

郊外まで車に乗って行きました。

 

 

 

 

予約をとらないと席が取れないという

 

洒落たパブです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンナとエドは

すでに結婚して隣の街に住んでいました。

 

 

なので

この年は、私はハンナの部屋に泊まりました。

 

 

 

 

うちの実家の私の部屋なんて、あっというまに物置になったけどな・・・・。

客人を泊められるなんて素敵・・・。

 

 

 

このころ私はすっかり英語を話す機会が無くなっていて

 

ものすごく簡単な単語すら出てこなくなっていましたが

 

みんな

 

他の言語をしゃべろうとすること自体すごいよね。

 

はっぴー。は勇敢だよねえ、といつも言ってくれるので、頑張って英語を話しました。

 

 

 

 

エドは確か障害者雇用のお仕事をしているらしいこと←英語が難しくてよくわからなかった。

 

ハンナはアパレル企業で働いているとのことでした。

 

 

 

大人の綺麗な女性になっていて

 

 

 

「前はかわいいって感じだったけど

 

本当にきれいな女性になったねえ」というと

 

 

ハンナは少し恥ずかしそうに

 

ありがとう。って言いました。

 

 

むしろ、その言葉はスーザンを喜ばせ、

 

「ねえフィル!ハンナが美しい女性になったって、はっぴー。が言ってくれているわ!」と嬉しそうに言うのでした。

 

 

 

 

 

エドとフィルは後半ずっとサッカーとラグビーの話をしていた。

うんうん、とフィルの話を聞く様子が、いい婿殿って感じだった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

その時は1泊か2泊ほどの短い滞在だったと思います。

 


 

カーディフは雨の多いところらしいのですが

 

 

 

私が行く時は

 

毎回晴れの日が多く

 

 

私がカーディフに着くと

 

雨が上がると言ってくれ

 

 


 

 

 

 

 

 

 

フィルとスーザンは私のことを

 

サニーレディ!

 

晴れ女と呼び

 

 

 

 

 

 

お別れの時にフィルは

 

「ウェールズを晴れにするために

またきてくれよ!サニーレディ!hahaha!」

 

と言って力強くハグしてくれるのでした。

 

 



 

 

 

 

スーザンは私が持っていた

 

雨傘の

あまりの軽量っぷりと

 

エコバッグがコンパクトに畳めることに

 

ものすごく驚いていたので

 

帰国すると、同じものをすぐに送ってあげました。

(ジャパンクオリティの粋)

 

 

 

 

 

はっぴーと連絡を取りたいから

 

ハンナに教えてもらって

 

メールをやってみたと言って

 

メールで返事もくれました。

 

 

 

 

それからも毎年クリスマスカードを送っていましたが

 

ある時

 

ずっと返事がないな…ということに気が付きました。

 

 

 

 

メールの返事もなく

 

一度、スーザンに

 

電話もかけてみましたが

 

現在使われておりません・・・とアナウンスがなっていて

 

電話番号変えちゃったのかなあ?と思い

 

 

 

いまどきは年賀状もしない、クリスマスカードもしないというのは

 

世界的な流れだと思ので

 

私も羽生君にのめっていたこともあり、仕事も遠征も忙しく

 

いざとなったら連絡は取れるだろう

 

そのうちメールくるかな?と思ったりしながら

 

さして気に留めていませんでした。

 

 

 

 

でも、

 

コロナが世界的に流行し出した時期の春ごろ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと

 

海外にいる友人らのことが心配になり

 

数人に連絡を入れてみました。

 

 

 

 

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海外の古い友人たちは

 

 

 

もはや共通の友人がいない場合も多く

 

点と点で繋がっている関係がほとんどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私は返事を待ちました…。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このお話は続きます。

 

 

 

次でラストかな…。

 

 

長文をお読み頂き

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

ありがとう

 

はっぴー。