③ おじいさんの孫ハンナとエド | はっぴー。なブログ☆ありがとう羽生結弦さん

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羽生結弦さんを応援しています。ファンが幸せなら、明るく元気な応援パワーをあげられるんじゃないかと思って書いています。友達に手紙を書くように書いているお手紙ブログです。ありがとうございます。はっぴー。です

今日初めてお読みになる方がいらっしゃったら

今日の記事は続き物の話なので

意味が分からないと思うので

よろしかったら、前々記事からお読みいただけると幸いです。

 

私の回想録です。

私のイギリスのおじいさん。 2020.8.1

https://ameblo.jp/happykit/entry-12614825755.html

 

おじいさんの娘スーザン 2020.8.9

https://ameblo.jp/happykit/entry-12616372609.html

 

 

大まかな、いきさつです。羽生君とは全く関係ないお話です。

 

 

 

イギリスに一人旅をして、駅のホームでおじいさんに話しかけられる。

 

 

そのおじいさんと文通を続け、数年後に意を決して再び会いに行ったが、数か月後におじいさんは亡くなってしまった。

 

様々な偶然や不思議な体験の中

その後娘さんとも仲良くなり、何度かイギリスの彼女の家に遊びに行ったりなどし、温かな交流を細々と続ける。

とても幸せな歓迎を受けた。

 

コロナが流行りだし

海外の友人らの事が心配になり

久しぶりに手紙やメールで連絡を入れてみた。

 

 

******

 

 

 

メールや手紙を送ったのは3月でしたが

 

わたしからの手紙には

 

念のため、私のメールアドレスを2つと

電話番号も書いていましたが

 

 

スーザンからは音沙汰がありません。

 

本当にどうしているのだろう。

 

返事がないというのは気になるものです。

 

 

 

引っ越しでもしたのかな?と思い

 

グーグルアースで上空から、お家を探してみました。

 

 

 

 

あったあった・・・・!

 

うん、このお家だ

 

グーグルアースっていつの画像なのかな?

 

よくわかんないけど

 

 

 

 

うん、大丈夫。

 

きっと大丈夫。

 

ここに住んでる気がするな・・・・と

 

 

 

 

お庭に木々があることや

 

サンルームが残っていること

 

野菜を育ていた

ビニールハウスもあることを確かめて。

 

 

 

 

 

 

スーザンより年上のフィルのほうが

 

年齢からしても心配ですが

 

うん、大丈夫、フィルはまだ庭仕事をやってる。と思うことにしましたが

 

 

 

 

 

 

 

点と点で繋がった

 

共通の友人もいない関係・・・・

 

 

 

 

近況を窺い知る事もできないんだなと

 

寂しくもあり

 

ふっとした時に、どうしているだろう・・・・と

 

気掛かりに思うのでした。

 

 

そして数ヶ月たち

返事は諦めようの気分が半分

日に日に気にはなっていた気持ちが半分の

 

7月のある日

 

 

 

出勤前に、朝食を食べた後

テーブルでメールチェックをしていました。

 

 

 

 

 

英語の名前、差出人からのメール。

 

 

 

 

心臓が突然どきどきしました。

 

 

 

 

 

 

開いてみると

 

 

 

 

 

 

My name is Ed, I am Sue and Phil' son-in-law.

スーとフィルの義理の息子、エドと言います。

 

 

その一文で始まるメール

 

 

Sue and Phil' son-in-law.

 

義理の息子・・・・・

 

 

 

 

ハンナじゃなくて

 

 

義理の息子・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、、、、何かが起きたんだ。

 

 

その一文を読んだ瞬間にそう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

私の名前はエド、スーとフィルの義理の息子です。 

もっと早くご連絡できなかったことをお詫び申し上げます。 

スーザンは2015年7月〇日に亡くなりました。 

 

 

そしてフィルは2ヶ月前に亡くなりました。


スーザンが癌で亡くなったことは、

私たちにとって

とてもショックなことでした。

 

 

 

 

 来週は彼女の5年目の命日になります。 

 

フィルは強かったですが、

5月29日に短い闘病生活の末に亡くなりました。 

 

 

ハンナと家族はとてもショックを受けています。

 

 



あなたとあなたの家族が元気であることを願っています。

悪いニュースをお届けして申し訳ありません。

どうぞお元気で。

 

 

エド

 

 

 

 

 

******

 

 

 

すぐに理解のできる短い英文の

訃報でした。

 

 

 

すぐに理解はできたのだけれど

 

 

 

 

 

 

私は混乱しました。

 

 

 

 

 

 

何故ハンナじゃなくて

 

エドなのか。

 

 

 

 

 

 

2015年というと

 

5年も前にスーザンは亡くなっている

 

 

 

 

 

 

その5年の間、私は一体何をしていたのか。

 

 

 

そして

 

 

フィルが亡くなったのはたったの2か月前。

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ

 

 

 

 

何よりも驚き

 

私を混乱させたのは

 

 

 

 

 

 

まさか

 

まさか

 

 

 

 

 

 

 

 

スーザンが亡くなった日

 

命日の

 

7月〇日は・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の誕生日…

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな作り話のようなことがあるんだろうか。

 

 

1年は365日ある。

 

 

 

 

確率的に365分の1で

 

スーザンが亡くなった日と私

の誕生日が同じだなんて。

 

 

 

 

一体なんなんだ。。。。。

 

 

なんなんだよ・・・・。

 

 

 

 

 

誕生日だよ?

 

 

来週は私の誕生日だよ・・・・

 

それが

 

スーザンの命日・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

涙も出ません。

 

 

 

衝撃が襲ってきましたが

 

悲しみに浸っている暇はなく

 

 

 

 

 

 

出勤せねばなりません。

 

家族に

 

「イギリスの友達が亡くなった・・・。

悲しい・・・。」

 

 

とだけ言って、フラフラと

 

車に乗りました。

 

 

 

 

一人で運転する車の中

 

涙があふれてきました。

 

 

 

 

色々な思いが交錯し

ひとことでは言い表せないものでした。

 

 

 

 

 

 

泣きながら運転し

 

職場について

働くモードの顔になったつもりではいましたが

 

 

始業前に

 

「はっぴー。さん、今日体調悪い?」と聞かれ

 

「実はね、親しい友人が亡くなったことをさっき知ったんで・・・。」と言うと

 

泣きそうになりましたが

 もちろん、泣きません。

 

 

仕事が始まると、ちゃんと仕事モードで働くことはできました。

 

 

 

帰りに

車に乗って一人になるとまた苦しく

 

車の中で泣いてしまうのでした。

 

 

 

 

帰宅してからも

エドに返事をする気力が出ませんでした。

 

スーザンが亡くなった日

私の五年前の誕生日のブログを読んでみたりもしました。

 

私はごく普通に

その日を生きていたようでしたが

 

私にとって

 

人生に不可欠なものについて書いてありました。

 

多分誕生日だから、そんなことを書きたかったのかな…。

 

 

そして

 

 

すべてのクリスマスカードを保存はしていませんでしたが

保存していたものを取り出すと

 

 

 

 

 

 

記憶がよみがえりました。

 

 

 

私が最後に訪れたのは2014年

 

その年の冬には

クリスマスカードがきていました。

 

 

 

 

 

 

スーザンから便箋に書かれた手紙が

同封されていたのを急に思い出しました。

 

 

私に会った直後の秋に

癌があることが分かったこと

 

でも、現在は退院して大丈夫だし

人生に希望を持っているという内容の手紙だったことを思い出しました。

 

 

しかしこの手紙を

私は残していなかったのです。

 

 

 

 

この手紙をもらった日

 

自分の家族に

 

「友達が癌だったけどもうよくなったんだって。希望は持ってる、って書いてあった。」と

 

不安を打ち消すように、言ったのを覚えています。

 

 

たぶん返事も書いたと思います。

 

 

そしていつだったか

大きな断捨離をしたときに、この便箋を処分したのではないかと思います。

 

 

 

 

クリスマスカードだけ残していました。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうよくなったとは書いてあるけど

 

本当に、スーがいなくなってしまったら嫌だな、、と思って

癌だったことが書いてある同封されていた

便箋の方は処分したのかと思います。

 

 

 

怖かったのだと思います。

 

 

 

 

そしてその手紙の内容は

 

記憶から完全に消去してしまっていました。

 

 

 

 

こんなにも記憶って

抹消できるんだと

 

自分の脳天気さ

バカさ加減が情けなくなりました。

 

 

 

 

 

コロナが流行し始めたころ

どうしていますか?の

手紙を書いたときには

 

このことを

全く思い出しもしませんでした。

 

 

 

 

自分の冷たさ、

辛いものを見たくないという身勝手さに

むかつきもました。

 

 

 

 

 

 

なぜ

 

 

処分したのか。

 

 

何故私は

 

かわいらしく美しいカードだけ残していたのか。

 

 

 

 

 

 

 

私が最後

 

会った時にはとても元気だった。

 

image

最初に訪問した時に作ってくれたボロネーゼを、再び作ってほしいと言うと

 

覚えてくれてるのね?と嬉しそうに作ってくれ、一緒に食べた。

 

一年後に死ぬなんて想像もできなかった。

 

 

 

 

私が今でも残している手紙は3つだけ。

 

image

 

シリルの訃報を伝えるスーザンからの

最初の手紙

 

 

 

2つ目は

 

 

 

 

 

 

 

フィルが私をからかう時によく言っていたジョークと、特になにも変わったことはないわ、ハハハと書いてあるカード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして最後のクリスマスカードの3通でした。

 

 

 

 

 

 

 

最後のカードから

 

ほんの7か月後に亡くなってしまった。

 

最後の便箋のお手紙をなぜ残していなかったのか…。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エドからの訃報は

 

事実を伝える目的に絞られたような

シンプルなものでしたが

 

 

私は

 

 

通り一遍の

定型文のようなお悔み文は書きたくない。

 

 

 

 

週末にしよう・・・週末に、ちゃんと日本語で下書きをしてから

英語にして、ちゃんと心を込めて返事を書こう。

 

 

 

そう決めて、数日働き過ごしました。

 

 

 

その間に

 

スーとフィル、シリルのお墓にお花を送ることはできるだろうか?

 

そんなことできるのだろうか?できたらいいな・・・

 

とも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

訪れた、たった1年後に亡くなっていること

 

彼女の死を何も知らないまま5年過ごし

 

今、弔いたいという気持ちと


 

 

 

 

 

もしそれで、ハンナとエドの気持ちが癒されるのならという気持ちもありました。

 

私がシリルのお墓参りをした時に

 

スーがとても喜んでくれたのを思い出しました。

 

 

 

 

独りよがりだなと思いつつ

 

その思いつきが湧いてくると

 

ほんの少し、気持ちが楽になりました。

 

 

 

 

 

 

こういう時に不思議なもので

 

 

実家から

 

用事があるからくるように言われて行くと

旧知の知人と出会いました。

 

 

 

 

 

ほんの5分ほどの会話でしたが

 数か月ぶりに会いました。

 

その知人はプロの英語通訳者です。

 

 

 

 

 

 

 

必要な情報は求めれば手に入ると、こういう時に感じます。

 

ちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・と言って

 

 

 

 

「イギリスの友人が亡くなった訃報が来たんだけど、お花を送ることはできる?失礼ではないかな?」と聞くと

 

 

 

 

 

「花キューピッド的な物があるし

 

自分の家族が亡くなった時も、イギリスの友人から花が届いたよ。

 

そういう文化はあるし

 

どこに送ればいいか、息子さんに聞けばいいと思うよ。」

 

と教えられ

 

 

 

 

 

じゃあ聞いてみようと、思いました。

 

 

 

 

まず日本語で下書きをしました。

そしてdeepleという翻訳ページを使って英文にし、文法がおかしなところを直してメールしました。

https://www.deepl.com/ja/home

 

 

image

 

こんにちはエド

 

大変な悲しみの中、あなたにとって通りすがりの旅行者にもかかわらず

このニュースを届けてくれたエドには本当に感謝しています。

また、先日スーザン宛に送った手紙で

フィルの名前のスペルを間違えていたことにも、手紙を投函してすぐに気がつきました。ごめんなさい。

 5月29日に亡くなったとのことですが、私の手紙を読んだでしょうか。



あなたのメールが届いてからここ数日、

一人になった時に何度も泣きました。

 

 

 

 

 

 

この5年間のハンナがどれだけ悲しくてつらい思いをしてきたのかを考えると涙が出てきます。

 

 

 

 スーとフィルの温かいハグを覚えています。



最後にカーディフを訪れたのは2014年の夏でした。 

 

 

あなたたち

エドとハンナが私の英語を辛抱強く聞いてくれた温かさを覚えています。 

 

image

 

明るくて優しい家族の姿に触れて

なんて素敵な

仲のいい家族なんだろうと、幸せな気持ちで帰国しました。 

 

 

その時は本当にありがとうございました。



2014年の冬、スーから手紙が届きました。

彼女は癌を患っていましたが退院し、

今は大丈夫で希望を捨てていません。

人生を諦めていないと書いていました。 

 

だから私は彼女がよくなったと思っていました。



2015年からも

スーが亡くなったことを知らずに

毎年クリスマスカードを送っていましたが

 

 

 

私からの手紙を受け取っていたフィルは

どう思っていたのか、複雑な心境です。



返事がなかったので、

メールを送ったり、スーの携帯に電話したりしましたが、もちろん通じませんでした。 

 

 

今年の4月、Google earthで空からお家を見て、

美しい庭がまだ残っているのを見て、

彼らが健在であると思っていました。



電車の中でハンナのおじいちゃんのシリルさんに会い、

それがきっかけでお二人とご家族のことを知ることができました。

 

 

 とても不思議で、奇跡的で、温かい祝福を受けました。





7月〇日は私の誕生日でもあり、そのことにも驚きました。 

 

 

今年から、私にとっての誕生日は、

 

スーとフィルの温かさを忘れず、

 

 

ハンナとエドの家族の幸せを願う日にしたいと思います。

 

 

 

 



エド、メールをありがとう。

もしよろしければ、シリルとスーとフィルに花を贈りたいと心から思っているのですが。

どこに送ればいいか教えてもらえますか?




長い手紙を読んでくれてありがとう。 翻訳アプリを使って書いてみました。

スーとフィルが安らかに眠れますように。

そしてハンナ、家族、エドが悲しみを乗り越えられますように。

はっぴー。より

 

 

 

 

返事は

 

2日後だったでしょうか

 

すぐでした。

 

 

 

 

 

 

 

次も、ハンナではなくエドからの

 

前回とは違う印象の

 

言葉を尽くした感じの

 

とてもとても丁寧な返事ででした。

 

 

 

 

こんにちは。はっぴー。

 

優しいメッセージとお言葉をありがとうございます。 ハンナは、あなたの優しいお言葉と、両親のことを考えてくれていることにとても感動しています。 

 

もっと早くご連絡ができなくて申し訳ありませんでした。 そのつもりでいたのですが、残念ながらそうすることができませんでした。

私たちはとても残念です。

 

 スーとフィルはいつもあなたの訪問を楽しんでいました。 彼らはあなたとあなたの家族を素敵だと言っていましたし、あなたからの連絡を聞いたり、カーディフへの旅行であなたに会うのが大好きでした。 



スーが亡くなったとき、病院で家族に囲まれて、非常に安らかでした。

彼女は非常に勇敢で、彼女の最後の息をするまで自分の病気について考えていました。 

 

私たちは、彼女のことをとても寂しく思っています。 

 

 

彼女の葬儀には、スーを知る100人以上の人々が参列しました。 

その日の町は静かな場所でした。

 



フィルは毎日スーを恋しく思っていましたが、

今は彼女と一緒に天国で踊り、

バカルディとコークを分かち合っています。 

 

 

 

 

彼らは○○墓地に 埋葬されています

 

 区画はV99。

 

 美しい墓石と

色とりどりの花で飾られた区画があります。

 



フィルは あなたの手紙を読みました。 

 

家の売却のために、家の掃除をしていた時に見つけました。 

 

彼はスーのように美しい庭を維持しようとしていましたが、

年を取ったために庭の手入れができなくなっていました。

 



あなたのクリスマスカードは

すべて彼らは、壁に飾っていました。 

ありがとうございます。



7月〇日にスーのためにシャンパンを一杯、あなたのためにも一杯。 

ハンナと私から、あなたの誕生日が素晴らしいものになることを願っています。 



私たちは、あなたとあなたの家族が元気で、

コロナの問題の間にも、安全に暮らしていることを願っています。 

 

願わくば、世界がすぐに癒されて、私たちがまた自分自身を楽しむことができるようになることを願っています。

優しい言葉と願いと愛をありがとうございます。 

強くあり続けてください。

私とハンナから愛を込めて。

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなんだ・・・・

 

 

 

 


 

フィルは読んでくれてたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

スーザンが亡くなったことを知らずに送ってしまっていた

 

私のクリスマスカードを

 

 

 

壁に飾っていてくれたんだ・・・・

 

 

image

 

 

 

ちゃんと受け止めてくれていたんだ。

 

 

 

 

哀しくて

 

 

でも

 

 

少しほっとして

 

壁に貼られた私のカードを想像して

 

胸がいっぱいになりました。

 

涙が溢れました。

 

 

 

 

 

 

 

感謝しました。

 

 

 

 

 

image

 

 

エドからは

 

お花の送り先については全く書かれていませんでしたが

 

お墓の場所は書かれていました。

 

 

 

もしかしたら

私からの手紙の詳しい内容を

ハンナには見せていないんじゃないかなと思いました。

 

 

願わくば、世界がすぐに癒されて、私たちがまた自分自身を楽しむことができるようになることを願っています。

 

 

そんな一文からも

 

 

まだまだ立ち直りの一歩にも

辿りついていないのかもしれない。

 

 

 

 

ハンナには

 

私からのお花の提案などは

エドから伝えられていないんじゃないかという気もしました。

 

 

 

でも

 

お墓の区画も書かれていることから

墓地に直接送ってもよいということだろうか?

 

 

それとも、、、、?

 

 

 

 

 

ニュアンスが今一つ掴めず

 

 

 

お花について相談をした

 

通訳をしている知人に

 

この手紙を見てもらいました。

 

 

 

 

 

すると知人は

 

 

 

 

 

「ここまで丁寧な返事を書かれたら

 

私だったら、ここでギブアップかなと思う・・・。

 

墓地に送っても、受取人のサインがいると思うので、送ることはできないよ…。」

 

 

やっぱりそうか・・・と思いました。

 

 

 

 

もういいんだ

 

 

もう繋がることはできないんだ。

 

 

 

イギリスとのつながりも終わっちゃった…

 

 

 

 

 

 

いま何もしない事こそ

 

私ができることなんだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


でも、いじいじとした気持ちで

 

 

もう一度グーグルから

お庭を見てみようと住所の検索をかけると

 

 

 

不動産屋のページに売りに出された、あのお家が

出てきました。

 

 

 

 

あの花で溢れた美しかった庭がきっちりと整備されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こじんまりとしつらえた

 

家族の写真がたくさん飾られた居心地のいいリビングは

 

 

まだ彼らの結婚式の写真が飾られたままです。

 

 

 

 

 

 

 

自慢のサンルームはがらんとしていました。

 

 

 

 

この部屋に一緒に寝たダブルベッドがあったんだっけ。

 

 

 

 

 

手すりが付いている、、、最後、足が弱ったんだろうなあと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ものすごく仲の良かった

 

深く自分を愛してくれた両親が

 

5年のうちに亡くなったうえに

 

亡くなって、たったの2か月のうちに、

 

夫とともに実家を片づけ、売却の手はずを整えた一人娘。

 

 

 

 

 

 

がらんとした部屋、、、喪失感

 

どれほど苦しいだろうか

 

 

 

 

 

 

 

ハンナ自身ではなく

 

エドがメールをくれたことからも・・・・

 

 

 

エドのハンナに対する思い

 

深い愛ということについても考えさせられました。

 

 

 

 

自分とは直接関係のない

義理の両親の客人

 

 

 

そんな相手にすら丁寧にメールをくれた

 

エドの誠実な人柄・・・。

 

 

 

 

 

 

 

想像するに、ハンナの状況は、

 

お花を受け取れるような状態ではない

 

 

 

でもエドは私の気持ちは受け止め

 

はっきりとノーは書かずに

 

お墓の場所と区画はきちんと書いてくれた。

 

 

 

 

 

いつかカーディフに行くことがあったら

 

そっと訪れてください…

 

そういうことなんだろうと

 

彼の配慮を理解しました。ありがたいと思いました。

 

 

 

 

丁寧で紳士的なスマートな文章の中にも

エド自身もこの返事を書くこと、お花をどのように断ればいいかと

悩んだかもしれないと察しました。

 

エドのハンナへの愛をひしひしと感じました。

 

 

 

 

私はこれ以上何も

 

今は返事を書かないことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

けれど

 

 

 

 

 

 

 

もうこれで縁が切れてしまったんだという

 

独りよがりな思いと

 

何もできないことへのやりきれなさが

 

なんども襲いました。

 

 

 

 

私自身は私の家族には

 

このことを深く語りませんでした。

 

 

 

 

 

 

洗い物などをしながら、

 

深いため息をついてしまった時に

 

どうした?と聞かれ

 

「まだ友だちの事は気持ちが整理しきれてないんだよね。いつも以上に疲れてるんだと思う。」と

 

一度呟いたことはありましたが

 

どこから

 

どう話していいかわからず

 

自分の胸の内に深く閉まっていました。

 

 

 

 

 

そしてスーザンの命日でもある

 

私の誕生日をどうやってすごそう・・・

 

そう思いました。

 

 

 

 

 

例年は私の誕生日の前後の週末に

 

家族と食事に行くのですが

 

このご時世

 

今年はプレゼントも食事も何もなく

 

 

 

 

 

平日でもあったので

 

また都合のいい時にでも

 

家でデパ地下で美味しいものをたくさん買ってきて

ご飯にでもするか・・・と家族と言っていたところでした。

 

 

 

 

そして私は

 

 

この頃ドライフラワーリース作りにハマっているのですが

 

自分で自分のために作ることを思いつきました。

 

 

フォロワーは親友ひとりだけの

鍵付きインスタです。

 

 

 


こんな日記を書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして親友と

 

インスタのDMでやりとりするなかで

 

実は、おじいさんの娘さんが亡くなっていて・・・・と書きました。

 

 

 

親友も、すでに両親を亡くしています。

 

 

こんな返事をくれました。

 

 

 

 

 

 

こう、返事をもらいました。

 

 

 

 

単なる偶然ではありますが

奇しくも、スーザンという名前のイギリスの作者です・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図書館でさっそく借りてきました。

 

絵本でした。

 

 

 

 

 

あらすじ

 

 水彩とペンで描かれるイラストが暖かい、スーザン・バーレイのデビュー作。

 

イギリスでは最もなじみの深い動物のひとつであるアナグマを主人公にした本書は、「身近な人を失った悲しみを、どう乗り越えていくのか」ということをテーマにした絵本。

 

   賢くて、いつもみんなに頼りにされているアナグマだが、冬が来る前に「長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して死んでしまった。

 

悲しみにくれる森の動物たちは、それぞれがアナグマとの思い出を語り合ううちに、彼が宝物となるような知恵や工夫を残してくれたことに気付いていく。

 

そして、春が来る頃には、アナグマのことは楽しい思い出へと変わっていった。

 

アマゾンより抜粋

 

 

 

9分の読み聞かせ動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=xYfCIixdRw8

 

 

 

絵本を読んだ後・・・・

 

 

 

彼らが

 

私のなかに残してくれたものは

 

なんだろうと思った時に

 

ブログに書こうと思いました。

 

 

 

シリルの事はいつか書きたいなあ~とずっと思っていたのですが

 

書くことにすごくエネルギーがいりそうで

 

ずっと書かないでいましたが。

 

 

 

スーザンとフィルの死を知り

 

書いて自分の中できちんと弔おう。

 

 

 

 

 

彼らが私に残してくれた

 

温かい人生の贈り物について

 

書いてみようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

そしてブログを書いているこの2週間

 

少しだけ

 

不思議なことがあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

エドからのメールに

 

We will be raising a glass of champagne for Sue on 〇th July and will also raise one for you too. From Hannah and me, we hope you have a great birthday.

7月〇日にスーのためにシャンパンを一杯、あなたのためにも一杯。 ハンナと私から、あなたの誕生日が素晴らしいものになることを願っています。

 

 

という

 

とても優しい言葉が綴られていましたが

 

エドに最初に会った時も、エドはスパークリングワインを持ってきていたことを思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つ目のブログを書いて

 

みなさんの言葉にたくさん触れ、涙した日・・・・

 

 

 

 

 

 

共有してくださった皆さんへの感謝でいっぱいになり

 

何度も胸が震えました。

 

 

そんなときに

 

 

 

家族が

 

誕生日プレゼントしてなかったから・・・・と

 

予告なしに

 

買ってきてくれたものがありました。

 

 

 

 

 

シャンパンです。

 

 

 

 

 

 

 

普段そんなことないのです。

 

 

 

 

 

 

我が家はプレゼントを送り合う習慣があまりない上に

 

ワインは私の方が詳しいため

 

自分で好きなものを買った方がいいだろう?ということで

 

家族が私のために選んでシャンパンを買ってくることは

 

いまだかつて一度もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誕生日は過ぎていましたし

 

エドからのメールの内容も話していなかったけれど

 

エドが書いてくれたように

 

目の前にシャンパンが現れ

 

本当にびっくりしました。

 

 

 

 

 

そして

 

2つ目の記事を書き終えた週末…

 

 

 

 

 

これまた家族が

 

 

 

 

 

 

「なんかさ~急にカクテル飲みたくなったんだよね。ユーチューバーが作り方を紹介してたお酒でね。」と

 

にこにこしながら買ってきたお酒がありました。

 

 

我が家では

買ったことのないお酒です。

 

 

 

 

 

私も家族も

甘いお酒は基本的に飲まないので

カクテルも飲みません。

 

 

 

 

銘柄を見て

 

 

 

驚いたという言葉以外に

 

どう表現していいかわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーザンの好きなバカルディでした。

 

 

 

「バカルディ―とコーク、最高よー

はっぴー。飲む?

作ってあげるわ。」

 

 

 

スーザンの生き生きとした明るく

高い声が頭の中に蘇ります。

 

 

 

 

 

 

 

こんなことってあるんだ。

 

 

いまだかつて我が家にあったことのないお酒。

 

私がカーディフで一度だけ飲んでみたお酒。

 

 

 

 

 

 

突然買ってきたこの偶然に

 

家族に、エドからのメールの返事のことを話しました。

 

 

 

 

 

 

話し始めると

 

涙が止まらなくなりました。

 

 

 

 

家族の前で

 

この事で泣くのは初めてでした。

 

 

 

 

 

家族は泣いている私の後ろの

 

カウンターキッチンで洗い物をしながら

 

 

 

 

 

 

「それだったら、、これ、、、はっぴー。も飲んだ方がいいよ。」とだけ

 

言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独りよがりかもしれませんが

 

私はこの5年間

 

仕事も家庭もそこそこ頑張り、ブログも書き、遠征もし、好きなことをしまくった。

 

シリルが言ったように

 

Life is short.

 

Time flies.

「人生は短い、時間はあっという間、好きな事したらいいよ。」と言ってくれた通り

 

好きな事をする人生を生きてきた。

 

 

その結果、こんな風にブログで書いて読んで頂くという機会を頂いている。

 

 

もう、それでいいじゃんと思いました。

 

 

これが

 

手放すということなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログをアップするたびに

 

この話にまつわるお酒を

 

家族が2回も買ってきたことは

 

「ほら、目の前の家族を見てごらん。」と

 

 スーザンとフィルが言っているような気もしました。

 

 

 

 

 

全ては不思議と繋がっていると思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなるという終わり方になってしまったのですが

 

読んでくださった方々に

 

なにか

 

心に触れる温かなものが

 

流れた一瞬が

 

あるとするならば、とても幸いですし

 

それは

 

彼らが遺して繋いでくれた

 

私への

「わすれられないおくりもの」です。

 

私も書いていて

 

人生の不思議さと、温かな気持ちをたくさん思い出しました。

 

 

羽生君のファンになって始めたブログ。

 

羽生君に感謝だなあ~。

 

 

フィギュアにも関係ないよねえと思いながら

 

書き始めた記事でしたが

 

思ってもみなかった数の

 

たくさんの方にコメントを頂いたり、エコブログからも、いらして下さり

たくさんの方にお読みいただいて

 

ありがとうございます。

 

そして今日もこ~~んなに長いブログを最後まで読んでくださり

 

ありがとうございます。

 

 

今頃、スーザンとフィリップは

 

天国で手をつないで

明るく踊りながら

 

image

はっぴー。には驚かされるねえ、hahahaと笑い

 

 

今頃シリルは

 

 

ほーら言っただろう。

人生は短い、時間はあっという間、すきなことしたほうがいいよって

 

 

image

 

やってよかっただろう?って

ウィンクしてるかな?

 

 

 

 

 

 

コメントしたいなと思った方は

 

よかったら

 

細かいことは気にせず

 

 

書いてくださいね!

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログを書き終えたら

 

 

 

近いうちに

 

シャンパンを開け

 

バカルディを飲みたいと思っています。

 

 

 

 

Thank you!

happy!

 

 

 

ありがとう

 

はっぴー。