ペートーベン先生の「田園」を聴きながら田園を走る。 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。



疲れが溜まってる感触なので週内はまったりジョグでつなぎました。日曜劇場「さよならマエストロ」に影響され(←すぐ影響される)ペートーベン先生の「田園」を聴きながら↑の写真みたいな田園を走ってます。


第一楽章のさ、「田園に到着したときの愉快な感情の目覚め」がやっぱ好き。冒頭、ちょいとだけ鬱が混ざったような旋律に高音の鳥の鳴き声みたいな木管楽器が混ざると愉快な感情が刺激を受けて溢れ出す感情が重奏で表出みたいな…。ああ、コーフンして日本語になってないみたいな、わかったみたいなこと書いてますが仕方ない。そう感じるんですもの。すごいなベートーヴェン先生、人の感情を動かすなんて。なんつうのかな、モーツァルトとは違う。モーツァルトは楽しい、「おまえらこんなカンジのメロディが好きなんだろ?」っつうのをコレでもかって伝えてくる。その造作もなさは軽さを思わせるけど、「神の声」が彼には聞こえるんだから仕方ない。ビートルズにたとえるとモーツァルトはポールマッカートニー。ベートーヴェン先生はジョンレノンさんかな。ジョンレノンさんの歌は神の声よりも内なる自分の声に正直。彼の喜びや悲しみや願いなど諸々が伝わってくる。それがとても自分には響くときがあるんだよね。たぶん、共鳴。

上はハウスハズバンドに徹して音楽活動をしなかった時期の心境を歌にしたもの。変調や変拍は相変わらずだけどバンド構成がシンプルに。ギターピアノドラムベース、何も足さない、何も引かない。


おっと、ベートーヴェン先生だった。、というか「さよならマエストロ」よいな。音楽家とドラマは相性がいい。どちらも言葉にならんことを本質にした媒体だから。笑顔を封印した芦田愛菜役が解くのはどういうタイミングだろう?高音の木管楽器が鳴り出して…以下略、


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