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さて今回より歴史連載物語の新作を始めます。
皆様、よろしくお願い致します。
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そして我が家は天下統一を目指す猿…いや豊臣秀吉に狙われている状況でもある。
あなたは誰?オイラは今回も歴史連載物語の解説を務めるコアラだよ。
おっと、申し遅れました。
私は幻庵と申します。
そして我が家は小田原の北条氏です。
そして、今回私が語るのは我が父であり、小田原北条氏の祖、
北条早雲。
ちなみに早雲は生前中は北条早雲とは名乗ってないみたいなんだ。
父は桓武平氏の流れをくむ氏族、伊勢氏の出身でした。
伊勢氏と言っても庶家である備中伊勢氏です。
時は1461年、日本は大飢饉に襲われていました。
干ばつと水害が交互に襲い、虫害と疫病が発生し飢饉は日本全国に拡大したのです。
そんな荒れた国内では武家は欲だけの戦を繰り返していました。
関東では「享徳の乱」と呼ばれる鎌倉公方(後に古河公方)の足利成氏と山内上杉氏との戦い、西では畠山氏や斯波氏ではそれぞれ家督争いが起きていたんだ。
この頃、父の名は伊勢新九郎盛時で京で将軍申次を務めていた盛時の父で我が祖父の伊勢盛定に仕えていました。
盛時は京の街を見回り、飢饉の状況を目の当たりにしました。
盛時「これは…ひどい、ひど過ぎる。」
1461年の最初の2ヶ月で京では8万2000人もの死者が出たと言われています。
盛時はこんな京を見回っている途中、民に粥を施し慈善活動をしている僧に出会いました。
盛時「御坊、私にも手伝わせてくれ。」
僧「おぉ、これはかたじけない。武家の方とお見受けします。」
盛時「いかにも。私は伊勢新九郎と申す。御坊の名は?」
僧「私は願阿弥と申します。実は粥が足りぬのです。米か粟を調達しては頂けませんか?」
盛時「よし、わかった。調達してこよう。」
盛時は将軍申次である盛定のところへ走りました。すぐ調達できると思っていましたが、その頃の幕府、将軍家は酷い状況だったのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜