私は北条早雲の子、幻庵です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時と名乗っています。)
1461年、京での大飢饉の状況を見た父・盛時は慈善活動を行なっていた僧・願阿弥と出会い、自らも慈善活動に参加しようと米や粟を調達に行きました。
お米や粟を使ってお粥を作って飢饉に苦しみ民に施していたんだね。
盛時は自邸に行き、父である盛定に見てきたことを話しました。
盛時「父上、京の現状はとてつもない荒れようです。まさに地獄…武家として、これを放っておくわけにはいけません。」
盛定「新九郎、どうせよと言うのだ?」
盛時「まずは民を救うべきです。僧が粥を施しています。我々も米や粟を提供しましょう。この事、是非御所様にご奏上を!」
盛定「今の状況はわしも見てきたが、米や粟はいくらあっても足りぬぞ。焼け石に水だ。」
盛時「しかし…私は1人でも多くの民を救いたい。焼け石に水にはなりませぬ。」
盛定「それに今の御所様は…よし!そなたが自ら奏上してみよ。今から御所様の元へ参るから付いてくるのだ。」
盛時「はっ、はい!」
盛時は初めて室町御所、別名「花の御所」へ上がりました。
この時の御所様、征夷大将軍は8代目の、
足利義政様です。
盛時は室町御所の庭で義政様に初めて会いました。
義政様はこれから造る室町御所の庭の箱庭を作っていました。
義政「盛定、いかがじゃ?この庭がここにできるのじゃ。」
盛定「見事にござりまする。御所様、此度は我が子、盛時を連れて参りました。」
義政「ほう、盛時とやら、いくつになる?」
盛時「はい、30歳になります。」
義政「盛定はよいの。成長した男子がいるとはうらやましい。」
盛時「御所様、恐れながら申し上げたき義がござります。」
盛時は京の現状、民を救うために武家の力が必要なこと等々思うところを述べました。
盛時「ぜひ御所様のお力添えをお願い致します!」
義政「……わかった。政は管領か伊勢貞親と相談するがよい。わしは忙しいのだ。」
伊勢貞親さんは盛定さんや盛時さんと同族の伊勢氏で幕府の政所を務めていて、義政さんを養育したんだよ。
そう言うと義政様はその場から去りました。
盛時は初めて会った将軍に失望感でいっぱいになったと後に語りました。
盛時「あれが武士の頂点、室町幕府の将軍とは…。」
義政さんは大飢饉で民が苦しんでるのに庭園造りや猿楽、酒宴にばかりのめり込んでいたんだ。時の帝、後花園天皇様の勧告も無視したんだよ。なんてヒドイ将軍なんだ!
その後、幕府からは慈善活動のために100貫文のお金を出されたのです。
盛時は自邸にあった米や粟を持ち、願阿弥のところへ行きました…。
つづく…
次回をお楽しみに〜