3.11東日本大震災の時 | 聖の道を歩みながら

聖の道を歩みながら

日神会の会員です。
これまで30年近い信仰の歩みを書いていきます。
時系列ではなく思い出した都度書こうと思っています。

2011.3.11 東日本大震災が発生したとき、私は東京都内のあるビルの地下1階で仕事をしていました。

導入されたばかりの緊急地震速報装置が作動し、館内にけたたましいサイレンが鳴り響き、緊急地震放送が流れました。何事かと思っているうちに、大きな揺れが長く続きました。福岡で経験した地震とは比べ物にならないほどの揺れでした。窓ガラスによる被害が少しでも出ないようにカーテンを閉め、その部屋全体とビルに対して聖の親様のお力(エネルギー)を揺れている間中いただいていました。

30人ほど一緒にいたのですが、一人韓国人の方がいらして(韓国では地震がないと言っていました)、あまりの恐怖に泣き始めました。その方を落ち着かせるため、背中をさすりながら聖の親様のお力(エネルギー)を差し上げていました。

16:00過ぎに退社することとなりましたが、すでに電車は止まっています。バス路線はまったく分かりませんから、帰宅するには徒歩しか方法がありません。インターネットはつながっていたので自宅までの地図を印刷し、それを頼りに帰路につきました。

どこの道も歩いて帰宅する人の列が続いていました。バスは走っていましたが、どの路線のバスに乗れば自宅に近づくのかがさっぱり分からないので乗ることもできず、ひたすら歩き続けました。他の人たちも黙々と歩いています。タクシーを止めたくてもその状況にありませんでした。

普段長い時間歩くことがありませんので、2時間も歩くと疲労してきて、地図を見誤り、曲がるべき個所を通過してしまっていたことに気づきました。逆戻りする気力はなかったので、なんとか本流に戻ろうと道を渡りました。ところが、急に人通りが減り、寂しい道になってしまいました。

大丈夫かなあと思いつつ、少し進むとちょうどお客さんを降ろしているタクシーに出合い運よく乗せてもらうことができました。そのまま歩いて帰ったとして後2時間は歩かなければならない距離だったようです。


新宿で仕事をしていた次男は途中まで歩いて帰ったそうですが、運転再開した電車に運良く乗れて無事に帰宅することができました。

当時一軒家の2Fを借りていましたが、息子達が歩いただけで揺れるような家でしたから、ひょっとするとあの大きな揺れで倒れている可能性もあるなと覚悟して帰宅したところ、外見的にはなんの被害もありませんでした。

この日は三男がお休みの日で家にいたのですが、必死に大きな揺れと闘い、家ごと地中に聖の親様のくさびを打ち込むイメージで浄霊していたといいます。物置代わりにしていたPCラックが倒れたぐらいの被害で済んでいました。

ただ、帰宅後に観たTV映像には大変ショックを受けました。それまで見たことのない映像で、まるで映画かと思うほどの惨事。現実とはとても思えませんでした。


今でも東京はよく揺れます。結構きつい揺れです。揺れるたび、お力(エネルギー)を頂いています。そして、地震に怯えることなく祈りを捧げることができる聖の親様がいらっしゃることに感謝しています。


日神会(日本神霊学研究会)の公式サイトはhttp://www.nisshinkai.net/です。