精神世界に憑かれた人 | 聖の道を歩みながら

聖の道を歩みながら

日神会の会員です。
これまで30年近い信仰の歩みを書いていきます。
時系列ではなく思い出した都度書こうと思っています。

10年以上前のお話です。

ある掲示板で交流していた方が心の苦しみから解放されないといって悩んでおられました。掲示板を通じて交流していましたが、そのうちにメールでもやりとりをするようになりました。

ご本に書かれている通りに自己治療(浄霊)もし、お水も飲み、体を動かしているのに心の中から湧いてくる(聞こえてくる)悪想念(声)を消せないというのです。私の知っている範囲では一度長崎道場で浄霊を受けられています。その後も浄霊の申し込みをなさいましたけれど、受け付けられず参拝だけなさいました。

確か、その参拝だけなさりに出かけるときのことだったと思います。少し寄り道すれば私の住んでいるところに寄ることが可能でしたから、メールが送られてきました。当時すでに他者治療をさせていただいていたことをこの方はご存じだったので、日神会へ行く道すがら立ち寄って私から浄霊を受けたかったようです。

そのメール文に「寄り道してもいいんですけどね」とありました。
私はこの一文にひっかかりました。そして、「危ない」と正直に思いました。一対一で会うこと、その方に他者治療を行うことに危険を感じたのです。ですからお断りしました。

ご本人はどのようなお気持ちで書かれたのかは存じませんが、「あなたがやりたいなら浄霊させてあげますよ。だから寄り道してもいいんですけどね」というふうに私には読めました。「ああ、だからこの方は心の苦しみから解放されないのだ」とも思いました。

いくらご本を読もうと、自己治療(浄霊)をしようと、お水もよく飲み、体を動かそうとも、肝心の心の管理を行わないのであれば、お力(エネルギー)は十分にいただけません。

心の管理とは、反省・改善・努力を怠らないことです。その上で明るく、ほがらか、活き活きとしていくことです。謙虚・礼節・敬いの心を忘れないことです。

いきなりはできません。

でも、日々コツコツとそれらを行う努力をしなければならないのです。この方はそれに気づいてはおられないようでした。「神様、神様」と言っていればご加護が頂けるという簡単な信心ではないのです。日神会が教える信仰は。

他の宗教のように、信者の勧誘やご寄進の強制など一切ありません。
日神会は、すべてにおいて自由が保障されています。

祈るも自由、祈らないも自由、ご寄進するもしないも自由、浄霊儀式を受けるも受けないも自由、浄霊儀式を受ける方を紹介するあるいは会員を紹介するしないも自由です。それらをしないからといって特に問題視されることはありません。

ですが、聖の親様を信心するのであれば、常に聖の親様と波長が合うように自己の心の管理を行わなければなりません。これが難しいのです。日々、己が魂親様の住家である精神世界(心)を成長させていくことは本当に難しいことなのです。

自由であるが故の厳しさだと思います。
大霊界においてはすべてが自己責任なのですから。

日神会(日本神霊学研究会)の公式サイトはhttp://www.nisshinkai.net/です。