昭和時代、ゴールデンタイムでも放送されたプロレス、おそらく50歳以上の大半のおじさまたちは、プロレス中継を見ていた事だろう。
そして、プロレスを見た事のない人でもご存知かもしれないタイガー・ジェット・シンが、日本の勲章である「旭日章」の6つのランクの内、5番目にあたる「旭日双光章」に選ばれる事になった。
タイガー・ジェット・シン(以下シン)をご存知のない人のためにご紹介する。
日本のプロレスの父とも言える力道山が亡くなった後、弟子であったジャイアント馬場とアントニオ猪木は、新たなプロレス団体として、「全日本プロレス」と「新日本プロレス」をそれぞれ結成した。
猪木の「新日本プロレス」は当時まだギャラの高い外国人レスラーを呼ぶほどの財力がなく、無名の外国人レスラーを有名なレスラーに『作りあげる』必要があった。その1人が、インド人レスラーのシンであった。
シン自体は本来なら正統派レスラーだったのだが、猪木はシンにサーベルを持たせて暴れさせるヒール、いわゆる「悪役レスラー」として新日本のマットにあげた。子供の頃、プロレス中継を見ていたおじさまたちは、シンのその姿に怖くなったりあるいは憎しみを抱いた事であろう。
無名のシンも有名になるために猪木の提案に乗って暴れまくった。観客席の方に向かって暴れて怖がらせた(もちろんお客さんに直接手は出さない)のもシンが初めて。当時それを見ていたあのスタン・ハンセンも、後日同じ事をするようになったようだ。相手レスラーも、サーベル攻撃で血を流し、そういうシーンも当時のおじさまは興奮したに違いない。
私も確か中学生だったと思ったが、実家の盛岡に新日本プロレスが来たので、確か2階席から見た。猪木が誰と対戦したのか忘れたが、『インドの狂虎』シンは当時の新日本No2の坂口征二(坂口憲二の父親)と対戦して、坂口が血祭りにされて興奮したのは記憶に残っている。
その当時はサーベルで刺されたら死んじゃうだろうなあと思ったものだが、実はフェンシング用のサーベルであって、叩かれるともちろん痛いが、突き刺したり切り傷を作ったりはできない。そもそも刺しでもしたら、それこそ犯罪になるし、何よりそれを使用するシン自身も危険である。
昭和時代を代表する悪役レスラーのシンであったが、プライベートは実は紳士。現役当時は、プロレスマスコミには『ヒールのイメージを損なうような事を書くな‼️』と念を押し、徹底的にヒールを貫いたらしい。
引退後は、在住するカナダで慈善団体を経営。経営者としても有能なシンは日本を第2の故郷とし、東日本大震災の時は心を痛め、福島県で自宅を失った児童らに義援金を送った。
それにしても、あのタイガー・ジェット・シンが旭日双光章に選ばれるなんて、昭和のプロレスを見てきたおじさまたちは、驚きと喜びがあるのではないかと思う。
現役時代は大嫌いだった。でも今は大好きです‼️