法政優勝物語① 2001年春 法政-立教の優勝をかけた激闘 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

今年の東京六大学野球の春季リーグ、その優勝をかけた法明決戦を見るために、

私は結局、4日間も神宮球場に通ってしまった。

 

法政に入り、法政野球部を、そして六大学野球を好きになってから、もう随分経ったような気もするが、同じカードを見るために、4日間も神宮通いをしたというのは、私としては初めての経験だった。

 

しかし、実を言うと、法政の優勝が見たい一心で、3日間、神宮に通ってしまった、という経験なら前に有った。

それが、2001年春の優勝をかけた法政と立教の決戦の時であった。

 

その頃が、私が法政の学生だった時代なのだが、

私が法政大学に通っていた時分で、最も印象に残った六大学の試合といえば、やはりその時の法政と立教の決戦だったのである。

 

というわけで、今回はその時の法政-立教の戦いを振り返ってみたいと思う。

と言っても、今から12年も前の話なので、細部にわたる記憶はだいぶ忘れてしまってはいるのだが、それでも、今でも鮮明に覚えている名場面は数々有った。

 

今回は、当時の資料を見ながらではあるが、その決戦の模様を再現してみたい。

 

 

【法政と立教の決戦前の状況】

2001年春の東京六大学野球は、法政と立教が優勝争いを繰り広げていた。

特に、1999年秋以来の優勝を目指す、立教の快進撃が、ファンの耳目を集めていた。

 

立教は、多田野数人、上重聡という二枚看板を中心とした投手陣が売り物だったが、特に多田野の投球は素晴らしく、まさに立教の大エースであった。

 

一方、法政のエースは土居龍太郎で、奈須耕一と共に投手陣を牽引していた。

野手陣では、河野友軌、後藤武敏、浅井良などを中心に、法政らしい重量打線を形成していた。

 

当時の六大学は、ちょうど「松坂世代」が在学中であり、法政と立教も松坂世代が主力となっていたのであった。

 

その立教と法政は、直接対決を迎える前に、下記のような成績で、勝ち点3で並んでいた。

 

①立教 7勝2敗 勝ち点3

②法政 7勝3敗 勝ち点3

 

つまり、立教と法政は、最後の直接対決で、「勝ち点を挙げた方が優勝」という緊迫した状況の中、まさに優勝をかけて激突する事になったわけである。

 

両校ともに、勝ち点を一つずつ落としていたので、完全優勝をかけた対決、というわけではなかったが、優勝をかけた直接対決、という意味では、今年の春の法明決戦と全く同じであった。

 

この優勝をかけた決戦は、果たしてどうなるのだろうか?

と、当時の私も、ワクワクドキドキしながら、決戦の時が来るのを待っていたものである。

勿論、私は最後は法政が勝つだろうと信じきっていた、というのは言うまでもない。

 

 

【法政-立教 1回戦】

いよいよ、法政と立教の対決が始まった。

どちらかが勝ち点を挙げれば優勝、という決戦を迎え、神宮も一種異様なムードに包まれているように感じられた。

 

法政側の学生席(当時は応援席ではなく学生席)は、勿論満員だが、立教側のスタンドも、立教優勝を期待するファンでぎっしりと埋まっていた。

そして、立教側の応援団長が、優勝のために気合いを入れるという意思表示なのか、羽織袴という応援団の盛装で現れたのが目を引いた。

 

こう言っては何だが、立教は法政に比べると、そう度々優勝のチャンスが有るようなチームではないので、立教応援団の今回の決戦にかける思いが非常に強いように思われた。

 

この試合の先発は、法政が土居、立教が多田野という、両校のエース対決となった。


 

1回裏、法政は2死1、3塁のチャンスを作ると、5番後藤がレフト前に先制タイムリーを放った。

この大一番で、法政は貴重な先制点を挙げた。

 

そして、2回裏にも法政は相手のエラーで1点追加し、2-0とリードした。

 

一方、立教も5回表に山口のタイムリー二塁打で1点を返し1-2と1点差に迫った。

そして、6回表に立教は1死1、3塁というチャンスを作ったが、ここは土居が3番今村、4番和田を打ち取り、法政はピンチを脱した。

 

試合は2-1と法政が1点をリードしたまま迎えた8回裏、立教は投手を多田野から上重へと交代した。

その8回裏、法政の後藤が、上重からバックスクリーンへ突き刺さる特大のホームランを放った。

これで3-1となり、法政は勝利に大きく近付いた。

 

この大ホームランは今でもはっきり覚えているが、膠着状態だった展開から、一気に法政側のムードを高めるような素晴らしい当たりであり、これで勝利を確信した法政側スタンドは大騒ぎとなった。

 

そして、9回表は土居が難なく抑え、そのままゲームセット。

土居は、立教打線を4安打無四球に抑える見事な完投勝利であった。

これで、法政が大事な初戦を制し、優勝に王手をかけた。

 

 

1回戦 法政3-1立教

 

 

【法政-立教 2回戦】

土曜日の初戦に勝利し、法政は優勝に王手をかけたのだが、日曜日はあいにくの雨となり、試合は中止となった。

そして、仕切り直しとなった2回戦は月曜日に行われた。

 

法政の先発は奈須だったが、後がない立教は、連投となる多田野の先発である。

前日が雨で中止になったので、中一日空いたため、このような起用が可能だったのであろう。

 

法政も、土居を先発にして一気に優勝を決める、という選択肢も有ったのだろうが、法政の山中監督としては、先に一つ勝って余裕が有るため、土居に無理はさせずに奈須を先発にした、という事だったのだろうかと、

当時の資料を見ながら、この試合から12年後の私は思っているのであるが、当時の私はそのような分析などは一切考えず、ただひたすら法政の勝利を信じて、この日も法政側の学生席に居た。


 

この日、勝てば優勝という法政側のスタンドは勿論超満員、一方、立教側も満員であった。

立教の応援団長は、この日はいつも通りの学生服姿だった。

やはり、羽織袴の盛装で前日に負けてしまったので、縁起が悪いから、という事でいつもの学生服姿に戻した、という事であろうか。

 

こうして始まった2回戦は果たして、法政の奈須が立教の多田野を向こうに回して一歩も引かず、素晴らしい投球を見せた。

 

奈須、多田野両投手の素晴らしい投げ合いが続き、両チームともに全く点が入らない。

そして、試合は0-0のまま、遂に延長戦に入った。

 

10回裏、立教はこの回先頭の深谷が四球で出塁すると、多田野がバントで送って1死2塁とし、サヨナラのチャンスを迎えた。

 

奈須は、続く荒木を打ち取って2死2塁とするが、続く2番・渡辺に痛恨のサヨナラ打を浴びてしまった。

これで1-0と立教はサヨナラ勝ちを収め、この決戦は1勝1敗となり、遂に3回戦の「勝った方が優勝」という決戦に持ち込まれる事となったわけである。

 

多田野は、結局延長10回を投げ切って法政を完封し、勝利の立役者となった。

とにかく、この日の多田野には法政も手も足も出なかったわけであった。

 

この時の、立教の左打者・渡辺が、鋭く左中間に弾き返したサヨナラ安打を、私は今でもはっきり覚えているが、法政が負けてがっかりしたのと同時に、

「これで、いよいよ明日は決戦か。一体どうなるんだろうな」

と、早くも翌日の最終決戦の事が気がかりでならなかったのであった

 

「明日は、きっと土居がやってくれるさ」

と、土居の好投を信じつつ、翌日の決戦に思いを馳せていた。

 

それにつけても、結局延長10回を最後まで投げ切った奈須は素晴らしかった。

これで、法政としては、土居が万全の状態で最終決戦を迎える事が出来るのだから。

 

2回戦 法政0-1立教

 

 

【法政-立教 3回戦】

こうして迎えた最終決戦、泣いても笑っても、この日が最後である。

「勝った方が優勝」という、正真正銘の最終決戦。

神宮球場は、この日も異様な緊張感に包まれていた。

 

そんな緊張感を反映するかのように、この日の空模様はどんよりとした曇り空、いや、今思い出せば、雨が降ったり止んだりというような、実に嫌な天候であった。

 

平日の火曜日にも関らず、法政側のスタンドも立教側のスタンドも超満員となった。

私も、もはや祈るような心境でスタンドに居たが、それは当日スタンドに居た誰もが、私と同じ心境だった事だろう。

 

決戦のマウンドに立つのは、法政が土居、一方、立教はこのカード3連投となる多田野である。

立教としても、もはや多田野に託すしかない、という状況であった。

 

1回裏、法政はその多田野を攻め、いきなり1死2、3塁という絶好のチャンスを掴んだ。

ここで、5番から4番に上がっていた後藤が、期待に応え、見事に三塁線を破る、先制の2点タイムリー二塁打を放った。

法政側スタンドは大歓声に包まれたが、立教側は早くも劣勢に立たされ、静まり返った(ように見えただけだが)。

 

この決戦で、あまりにも大きすぎる2点を初回に取った法政は、これで精神的にも優位に立った。

先発の土居にとっても、心強い援護となった事だろう。

 

ところが、この後は多田野が踏ん張り、法政はなかなか追加点を奪う事が出来ない。

3連投の多田野の、最後の気力を振り絞った力投も、また見事であった。

 

一方、土居も初回の2点を守りきるべく、素晴らしいピッチングを見せた。

5回表に無死1、2塁、7回表に無死2塁という大ピンチを迎えたが、土居はいずれも後続を打ち取り、立教に1点も与えなかった。

 

土居は、立教のスコアボードに着実にゼロを重ね、一歩、また一歩と優勝に近付いて行った。

2-0の展開がずっと続き、私も極度の緊張を強いられながら、土居の投球を見守っていた。

 

そして、試合はとうとう9回表、立教最後の攻撃を迎えた。

このイニングを乗り切れば、法政の優勝が決まる。

しかし、リードは2点のみ、この点差ではまだ最後までどうなるかはわからない。

私も、まだ緊張を緩める事が出来ないまま、法政最後の守備を見守った。

 

しかし、土居は簡単に2アウトを取った。

法政優勝まであと一人!

ここでようやく、手に手に紙テープを持った観客で埋め尽くされた法政側スタンドでも、一気に優勝ムードが高まった。

 

だが、立教も2アウトと追い込まれながらも、ここから連打を放ち、最後の抵抗を見せた。

これで2死1、3塁となり、最後の最後で緊迫した場面が訪れた。

一発出れば、たちまち逆転である。

 

法政側スタンド、立教側スタンドに居た全員が固唾を飲んで見守ったが、

土居は立教の代打・多幡を打ち取り、ゲームセット!!

 

この瞬間、法政の2季振り40度目の優勝が決まった。

 

優勝が決まった瞬間、法政側スタンドからは一斉に五色の紙テープが舞い、法政ファンは皆、喜びを爆発させた。

私も、勝った瞬間はあまりの嬉しさで頭が真っ白になったが、優勝の感動と喜びに思う存分、浸る事が出来た。

 

マウンドには法政の全選手が集まり、歓喜の輪が出来ていた。

そこからは、試合後の歓喜の校歌斉唱、法政が勝った時のみに歌われる「勝利の賛歌」の合唱、グラウンドでは山中監督の歓喜の胴上げと、夢のような一時が瞬く間に過ぎて行った。

 

こうして、最終決戦を土居の10奪三振の完封勝利で制した法政は、見事に栄冠を勝ち取ったのであった。

一方、敗れたとはいえ、立教も素晴らしい戦いぶりだった。

 

あんなにハラハラドキドキしながら試合を見る事が出来たのも、立教という素晴らしい相手が居たから、だったのは間違いない。

 

こうして、2001年春の優勝をかけた戦いは、最後は法政に勝利の女神が微笑んだのであった。

 

3回戦 法政2-0立教

 

 

【あれから12年…】

あの法政と立教の優勝をかけた戦いから、12年が経った。

その12年後の今年の春、私はまたしても、素晴らしい戦いの目撃者となる事が出来た。

 

今年の春の法政と明治の決戦は、最後の最後まで目が離せない、素晴らしい死闘だったと思うが、私としては、やはりあの12年前の決戦を重ねて見るようなところが有った。

 

「勝った方が優勝」という両チームの必死な戦いや独特の緊張感は、やはりあの12年前の戦いを彷彿とさせるところが有ったが、

あの時と違っていたのは、12年前は最後に法政が優勝の歓喜を味わったが、今回は法政が最後には敗れてしまった、という事である。

 

しかし、後世に残るような素晴らしい戦いだったのは、間違いない。

12年の年月を越えて、またこのような戦いを見る事が出来て、私はつくづく幸せだと思った。

 

今回、改めて12年前の法政-立教を振り返ってみて、改めて思ったのは、あのような感動をまた味わいたいがために、私はいつまでも六大学野球の試合を見続けてしまうんだよなあ、という事であった。

 

そして、今後も、またこのような素晴らしい試合に立ち会える事を、私は願っている。