【2024年・春】随筆「桜」~私の好きな「桜」にまつわる話~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

ここ最近、少し忙しく、なかなかブログを書く時間が取れなかったが、

私は、このブログで記事を書く時は、一つの記事に時間をかけて書く事が多いので、

その時間が取れない時は、このブログの更新も、滞ってしまいがちである。

なので、今「連載中」の記事も、ちょっと間が空いてしまい、申し訳ないが(?)、

今回は、そういう事情から、ちょっと「軽め」の記事を書かせて頂く。

 

 

私は、毎年この季節になると、ワクワクする。

何故かと言えば、私は「桜」の花が大好きだからである。

長い冬が終わり、春が訪れると、日本中で「桜」の花が咲き乱れる季節となるが、私は満開になった「桜」の花を見るだけで、とてもテンションが上がってしまう。

「ああ、今年も桜の季節が来たなあ…」

と思い、あちらこちらで、満開の桜の木を見ては、その桜の木を眺めたり、写真をバシャバシャと撮りまくったりしてしまう。

そして、今年(2024年)の3月は、とても寒かったので、例年よりも「桜」の開花が遅れており、ようやく満開の季節を迎えようとしている。

という事で、今回は、私が大好きな「桜」に関する「小話」を、ちょっと書いてみる事とする。

 

<日本武道館(千鳥ヶ淵)の「桜」~法政大学の入学式で見た満開の「桜」の思い出>

 

 

日本には「桜」の名所は数多いが、

中でも有名なのが、日本武道館(千鳥ヶ淵)「桜」である。

日本武道館の周りの「千鳥ヶ淵」には、沢山の「桜」の木が有り、

春になると、この千鳥ヶ淵の「桜」が咲き乱れるが、何しろ、とても数が多いので、見る者を圧倒してしまうほど壮観である。

そして、日本武道館では、首都圏のいくつかの大学が、入学式や卒業式を行なっているが、

我が法政大学も、日本武道館で入学式と卒業式を行なっている。

 

 

私は、今から20数年前、法政大学に入学し、日本武道館での入学式に臨んだが、

ちょうど、日本武道館(千鳥ヶ淵)の「桜」は満開であり、それはそれは、本当に素晴らしい眺めだった。

「すげーな、武道館の桜は…」

私は、息を呑んでしまったものである。

私は今でも、毎年のように、日本武道館(千鳥ヶ淵)「桜」を見に行っているが、

やはり、ここで見る「桜」の美しさは格別である。

そして、日本武道館(千鳥ヶ淵)「桜」を見る度に、法政大学の入学式の思い出が蘇って来る気がする。

 

<法政大学・市ヶ谷キャンパス周辺の、外濠の「桜」>

 

 

さて、法政大学の市ヶ谷キャンパスは、

JR飯田橋駅とJR市ヶ谷駅の、ちょうど真ん中辺りに有るが、

その法政大学の市ヶ谷キャンパスは、皇居(かつての江戸城)の外濠沿いに有る。

法政大学の校歌に、

「見はるかす窓の 富士が峯の雪 蛍集めむ 門の外濠…」

という歌詞が有るが、法政の校歌を作詞した佐藤春夫教授(※作家・詩人としても著名)が、法政の周辺の景色の美しさを端的に表している、素晴らしい歌詞である。

そして、法政の校歌にも謳われている、

「門の外濠」

に沿って、沢山の「桜」の木が有り、春になると、「外濠」沿いの桜が一斉に咲き誇る。

 

 

そして、法政の市ヶ谷キャンパスの「外濠」沿いの「桜」は、

前述の日本武道館(千鳥ヶ淵)の「桜」に勝るとも劣らないというか、

東京都内でも有数の「桜」の名所である。

法政に入った新入生は、入学式を終えると、ゾロゾロと法政の市ヶ谷キャンパスに向かうが、

そこでも、新入生達は、美しい「桜」の景色を堪能する事が出来る。

「ああ、法政に入ったのだなあ…」

と、法政の新入生が実感するのは、実は、その景色を見た時かもしれない。

 

<憧れのブルートレイン「さくら」号~たった一度だけ乗車した「さくら」号の思い出>

 

 

私の母方の祖父母は、もう亡くなってしまったが、祖父母は長崎県に住んでいた。

そして、毎年、夏休みになると、私の家族は長崎県の祖父母の家に遊びに行っていたが、

私の家族は、東京から長崎県に行くのに、必ず新幹線と特急を乗り継いで行っていた。

つまり、飛行機には乗らず、わざわざ列車で行っていたのだが、それは何故かと言うと、私が、

「飛行機は絶対に嫌だ」

と、ゴネていた(?)からである。

私が幼児だった頃は、飛行機で長崎県に行っていた事も有ったようだが、

1985(昭和60)年、あの「日航機事故」が起こったのを見て、私は子供心に、恐怖で震え上がった。

それ以来、私は「飛行機」が嫌いになってしまった(?)が、後年、大人になってから、海外旅行にも行くようになって、ようやく少しは「飛行機嫌い」も治った(?)が、私は大人になるまで飛行機には絶対に乗らなかった。

そして、私は子供の頃、電車が大好きだった事もあり、

「新幹線に乗りたい」

と、親にねだり、それで私の家族は毎年必ず、新幹線と特急を乗り継いで、東京から長崎県まで行っていた。

ちなみに、新幹線は博多が終点なので、博多から長崎県に行くためには、博多で特急に乗り換える必要が有った。

そして、確か私が10歳頃だったと思うが、私は親に、またしても、こんなワガママを言ってしまった。

「ブルートレインに乗りたい」

そう、私はその年は新幹線ではなく、当時、東京~長崎県で運行していた寝台特急、

「ブルートレイン」

に乗って、長崎県に行きたいと言ったのである。

寝台特急は、新幹線の線路網が全国に張り巡らされた今の時代は、ほぼ絶滅寸前になっているが、かつては国鉄(JR)の「花形」だった。

 

 

「電車オタク少年」

だった私は、勿論、

「ブルートレイン」

の事も知っており、当時、非常に憧れていたものである。

そして、今思えば、本当にワガママばかり言ってしまい、親には申し訳無かったが、

「どうしても、ブルートレインに乗りたい」

と、親に「おねだり」をしてしまった。

私の親も、その願いを聞き入れてくれて、私はとうとう、憧れの「ブルートレイン」に乗る事が出来たが、

東京~長崎県を走る「ブルートレイン」の愛称は、

「さくら号」

であった。

こうして、私は遂に、

「ブルートレイン・さくら号

に乗り、憧れの寝台特急の旅を楽しんだのであるが、

当時、「さくら号」は二段ベッドになっており、私と弟は、

「どっちが上で寝るか」

とか、どうでも良い事で喧嘩(?)していたものである(※あまり覚えていないが、確か私は上の段は弟に譲った気がする)。

そして、その寝台特急で眠りに落ちたが、真夜中に一度、何処かの駅に停車していた時、私は目を覚まし、真夜中の駅のホームを車窓から眺めたりしていた。

そういう、「非日常」の体験は、本当に忘れ難い。

という事で、私の人生で、

「ブルートレイン・さくら号

に乗ったのは、後にも先にも、その時の一度だけだったが、未だに強烈な思い出となって残っている。

そして、ワガママばかり言っていた私の願いを聞いてくれた、私の親にも、大変感謝している。

 

<『名奉行 遠山の金さん』と「遠山桜」の「桜吹雪」>

 

 

私は、かつて「時代劇」が大好きであった。

今では、「時代劇」といえば、NHKの大河ドラマぐらいしか、やらなくなってしまったが、

かつては、NHKは勿論、民放でも沢山の「時代劇」が放送されていた。

中でも、私が好きだったのは、

「遠山の金さん」

のシリーズである。

「遠山の金さん」

とは、かつて、江戸時代に実在した、遠山金四郎という「名奉行」を主人公とした物語であり、

中村梅之助・市川段四郎・橋幸夫・杉良太郎・高橋英樹・松方弘樹・松平健…

といった、名だたる名優達が、

「遠山の金さん」

を演じていた。

そして、私が大好きだったのは、テレビ朝日で放送されていた、松方弘樹による、

『名奉行 遠山の金さん』

シリーズである。

 

 

「遠山の金さん」

というのは、基本的には、ワンパターンの話である。

遠山金四郎が、自らの身分を隠し、

「遊び人の金さん」

という、正体不明の男に扮して、江戸の街に出る。

そして、遊び人の「金さん」が、悪党どもの「悪事」の現場を見付け、密かに探索をする。

 

 

そして、物語の終盤、悪党どもによる決定的な「悪事」の現場に、

「金さん」

が踏み込むと、彼はもろ肌を脱いで、右の背中から右腕にかけて彫られている、

「桜吹雪」

の見事な入れ墨を、悪党どもに見せつけ、チャンバラで悪党どもをやっつける。

やがて、奉行所から、

「御用だ!!」

の声と共に、捕り方の役人達が踏み込んで来て、悪党どもを一網打尽にした所で、

「金さん」

は、何処かに姿を消してしまう。

 

 

そして、舞台は変わり、

「北町奉行所」

の奉行として、真面目くさった顔の遠山金四郎が登場し、その奉行所の「お白洲」で、先程、一網打尽にされた悪党どもが勢揃いしている。

「一同の者、面(おもて)を上げよ…」

遠山金四郎に言われ、悪党どもと、悪党に酷い目に遭わされて来た証人が、顔を上げる。

そして、遠山金四郎による裁きが始まり、

「その方(ほう)らは、これこれ、しかじかの悪事を働いた。それに相違は無いか?」

と、遠山は悪党どもを問い詰める。

 

 

しかし、悪党どもは、遠山に対しても、全く悪びれる様子も無く、

「お奉行様、滅相もございません。私ども、全く身に覚えが無い事でございます…。何か証拠は有るのですか?」

などと言って、すっとぼけるのである。

そんな悪党どもの様子を見て、証人(※大体、女性が多い)は、

「とぼけないで!!あんた達、よくもそんな事をぬけぬけと…」

と、怒りに震えている。

「お奉行様。こいつは、何も証拠も無いのに、デタラメを言っているのです」

悪党どもは、証人の事を嘲笑い、更にヌケヌケと、白々しい事を言っている。

「お奉行様。この人達の悪事を見ていた、証人が居ます。金さんです。遊び人の金さんが、この人達の悪事を全て見ていました…」

証人は必死に訴えるが、悪党どもは、

「何だい。その金さんって奴は!?おい、金さんとやらが本当に居るなら、ここに連れて来たらどうだい!?」

などと言って、ギャーギャーと喚きながら、大騒ぎをする。

「金さんさえ居れば…」

証人は、唇を噛み、悔しさのあまり、下を向く。

 

 

「おい!!てめえら、喚くんじゃねえ!!」

突然、お白洲に怒声が響き渡った。

それは、先程から、悪党どもと証人のやり取りを聞いていた、遠山金四郎その人の声であった。

遠山は、「お奉行様」らしく、真面目くさった調子で、淡々と吟味を進めていた。

しかし、その遠山が突如、声を荒らげ、

「べらんめえ調」

の口調になったのを聞き、悪党どもはビックリして黙り込んだ。

「さっきから、黙って聞いてりゃ、言いたい事をぬかしやがって…」

遠山はそう言うと、持っていた扇子を放り投げ、着物を裾を掴むと、前の方ににじり寄って来た。

「金さんを連れて来いだと!?金さんなら、とっくに此処に来てるんだよ…」

遠山は、悪党どもを睨みつけながら、

「悪事千里を走ると言うが、この世に悪の栄えた例(ためし)は無(ね)えぞ…」

などと、芝居がかった調子で、「独白」を続ける。

 

 

「あの日、見事に咲いた、遠山桜・夜桜を、まさかテメエら、見忘れたとは言わせねえぞ!!」

遠山は、啖呵を切って、もろ肌を露わにした。

そして、遠山の右の背中から右腕にかけて、見事な、

「桜吹雪」

の入れ墨が彫ってあった…。

そう、遠山金四郎こそ、あの「遊び人の金さん」の正体なのであった。

「おうおう、悪党!!これでも、まだ白(しら)を切ろうってのか!?」

遠山に凄まれ、観念した悪党どもはガックリとうなだれた。

「裁きを申し渡す。〇〇と〇〇(※悪党の親玉)、打ち首獄門!!余の者、終生、遠島(※島流し)を申しつく。引っ立てい!!」

遠山が遂に裁きを下し、悪党どもは引き立てられて行く…。

そして、遠山は証人に対し、

「大変な目に遭っちまったな…。でも、これからは強く生きて行くんだぜ」

と言って、優しく声をかける。

「お奉行様。有り難うございます…」

証人は、喜びの涙を流していた…。

それを見た遠山は、満足気に頷くと、

「これにて、一件落着!!」

と、最後の決め台詞を吐き、物語は幕を閉じる…。

そして、「金さん」を演じた松方弘樹が歌う、

『華のうちに』

というエンディングテーマが流れるが、その歌詞には、

「桜 花びら 散る前に 咲いているうちに…」

という箇所が有る。

吉幾三が作詞・作曲した名曲であるが、この曲を聴くと、

「今回も、遠山の金さんが、見事な裁きを見せてくれた…」

と、視聴者は大満足するわけである。

…という事で、

「遠山の金さん」

は、毎回、このパターンが繰り返される、

「偉大なるワンパターン」

であるが、それが非常に良いのである。

それにしても、今の世の中、汚職まみれの政治家や、薄汚い「悪党」が多すぎであるが、

「今こそ、そういう悪党どもを、遠山の金さんに、バッサリと裁いて欲しい」

と思ってしまうのは、私だけだろうか…。

 

<サザンオールスターズの「サクラ」と『さくら』>

 

 

さて、私が大好きなサザンオールスターズについて、

私はこのブログで、沢山の記事を書いて来ているが、

1977(昭和52)年、アマチュア・バンド時代のサザンが、

「イースト・ウエスト'77」

という、アマチュア・バンドのコンクールに出場した時、

サザンは、青山学院大学の音楽サークル、

「ベターデイズ」

の後輩達を、会場に大量に動員して、サザンに大声援を送ってもらっていた。

そう、これは、

「サクラ」

を動員したという事であるが、アマチュア・バンド時代のサザンは、

「サクラ大作戦」

を、よく活用しており、これは当時のサザンの「得意技」であった。

そして、この「サクラ大作戦」は功を奏し、見事にサザンはこの大会で入賞を果たし、プロ・デビューのキッカケを掴んだ。

 

 

それから20年余りたった、1998(平成10)年の事、

「デビュー20周年」

を迎えていたサザンオールスターズは、

『さくら』

というアルバムをリリースした。

このアルバムは、全体的にダークな雰囲気というか、渋いアルバムという印象が有るが、

同年(1998年)リリースされた、サザンのベストアルバム、

『海のYeah!!』

が、300万枚を超える大ヒットを記録したのに対し、

『さくら』

は、ミリオンセラーに届かなかった。

この結果に対し、桑田佳祐は少なからずショックを受けたが、

「渾身の力作のオリジナル・アルバムよりも、ベストアルバムの方が売れてしまうのか…」

と、桑田は何とも複雑な思いだったという。

私は、『さくら』はとても好きなアルバムなのだが、

「必ずしも、自分が望んだ通りの結果になるとは限らない」

と、あのサザンでさえ、そういう事が有るのかと思い、サザンファンの私としても、印象深い出来事であった。

 

<「桜」の名が付く有名人①~桜田淳子>

 

 

普段から、このブログを読んで下さっている方は、お気付きと思うが、

私は山口百恵のファンであり、このブログでも、色々なパターンで、山口百恵について書いているが、

その山口百恵は、当初、森昌子・桜田淳子・山口百恵…という、

「花の中3トリオ」

として売り出されていた…という事も、よく書いている。

そして、当初、この3人の中では、桜田淳子が最も人気が有ったが、

やがて、山口百恵桜田淳子を追い抜き、2人の人気は逆転した…というような話も、既に何度も書いて来たが、

百恵が、1980(昭和55)年に、21歳の若さで引退してしまい、

「伝説の人」

として、未だに語り継がれているのに対し、桜田淳子は、その後、あまりにも波乱万丈の人生を歩んでいる。

「人生とは、何が起こるか、わからないものだなあ…」

と、思わされてしまうが、私はいつも山口百恵「引き立て役」のように桜田淳子を描いてしまい、非常に申し訳無く思っているので、

「桜田淳子も、素晴らしい歌手だった」

という事を、この場を借りて、申し上げておきたい。

 

<「桜」の名がつく有名人②~Mr.Childrenの桜井和寿>

 

 

 

私が高校生だった頃、1990年代に、最も売れていたバンドは、

桜井和寿率いる「ミスチル」ことMr.Childerenであった。

そして、「ミスチル」の全盛期は、サザンは「ミスチル」に押され気味(?)な所が有ったが、

1995(平成7)年、桑田佳祐&Mr.Childerenという、超豪華なコラボが実現し、

桑田佳祐が作詞・作曲した、

『奇跡の地球(ほし)』

で、共演していたが、この時、桑田佳祐は、

「桜井和寿は、50年に一人の天才だ」

と、語っていた。

桑田が、そこまでベタ褒めするアーティストは、なかなか居ないと思われるが、

そういう意味でも、この言葉は印象深い。

「そうか、桑田さんがそこまで言うって事は、ミスチル(桜井)って凄いんだろうな…」

と、私は思ったものである。

だが、私は、

「桑田佳祐こそ、何百年に一人の天才だ」

と思っているが、きっとそれはサザンファンなら皆、同じ思いではないだろうか…。

 

<「桜」の名が付く有名人③~BUCK-TICKの櫻井敦司>

 

 

昨年(2023年)は、多くの有名アーティストがこの世を去ったが、

2023(令和5)年10月19日、ロックバンド、BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司が、ライブの最中に脳幹出血で倒れ、その後、享年57歳で亡くなってしまう…という衝撃的なニュースが有った。

あまりにも若すぎる旅立ちに、多くのファンは悲しみに暮れたが、きっと、ご本人も無念だったに違いない。

 

 

櫻井敦司という人は、何処かミステリアスというか、

生前、あまりテレビには出演していなかったが、そんな櫻井敦司が、本当に珍しく、テレビのトーク番組に出た事が有った。

NHKのEテレの、

「スイッチインタビュー・達人達」

という番組は、毎回、様々なジャンルの人達が登場し、お互いにインタビューをし合うという番組なのだが、

この番組で、昔からBUCK-TICKの大ファンだったという、芸人のヒロシと、櫻井敦司との「対談」が実現した。

櫻井は、意外に気さくというか、穏やかな語り口の人だったが、

「櫻井さんは、何故、人の死とか、そういう事をテーマにした歌詞を多く書かれているのですか?」

という、ヒロシからの質問に対し、櫻井敦司は、

「人の死って、わからない世界で、とても怖いからこそ、惹かれてしまうんですよね。僕が、日常を朗らかに歌ったとしても、僕自身、あまり面白くないですし…」

という事を語っていたのが、非常に印象的であった。

そんな彼が、本当にこんなにこの世を去ってしまうとは、ご本人も思っていなかったのではないだろうか…。

しかし、BUCK-TICKの音楽は、これからも聴き継がれて行くに違いない。

 

<『男はつらいよ』シリーズの「寅さん」と、妹「さくら」>

 

 

 

 

私が、このブログでよく書いている「さくら」と言えば、

『男はつらいよ』

シリーズに登場する、「寅さん」こと車寅次郎(渥美清)の妹・さくら(倍賞千恵子)である。

「さくら」

は、定職にも就かず、不安定な「テキヤ」稼業を続ける兄の「寅さん」の身を案じ、

いつも「寅さん」の事を優しく見守っている、心優しい妹であるが、

「寅さん」

は、そんな妹が居るからこそ、あんなに好き勝手に、自由気儘に生きて行けたのではないだろうか。

それにしても、

「さくら」

というのは、とても可愛いらしい名前であるが、

「寅さん」「さくら」

という、全く性格の異なる兄妹のキャラクターを創造した山田洋次監督は、やはり素晴らしい。

そして、私は「寅さん」シリーズを見ると、「寅さん」が大好きだった、今は亡き父を思い出してしまう。

 

<大河ドラマと「桜」~『翔ぶが如く』(1990)、『西郷どん』(2018)、そして『八重の桜』(2013)>

 

 

 

私は、子供の頃から、NHKの大河ドラマが好きである。

とは言っても、毎年毎年、必ずハマっているわけではないが、

それでも、自分の琴線に触れた作品に出逢うと、未だにドップリとハマってしまう。

そのNHK大河ドラマは、かつて、西郷隆盛・大久保利通を主人公とした、

『翔ぶが如く』(1990)、『西郷どん』(2018)

という大河ドラマを放送していたが、西郷と大久保といえば、薩摩(鹿児島)の出身であり、

薩摩の象徴といえば、

「桜島」

である。

私は、「幕末物」の大河はとても好きなので、

『翔ぶが如く』『西郷どん』

も、大変面白く見ていたが、やはり折に触れて出てくる、

「桜島」

の光景が印象深い。

実は私は、まだ一度も鹿児島に行った事は無いので、いつかは、

「桜島」

を見てみたいものである。

 

 

そして、NHK大河ドラマにおける、

「桜」

と言えば、とても印象深かったのは、

2013(平成25)年に放送された、

『八重の桜』

である。

幕末の時代の会津で、

「幕末のジャンヌ・ダルク」

と称された、新島八重(綾瀬はるか)の激動の生涯を描いた作品だが、

西郷隆盛・大久保利通のような「大物」を主役にした作品も良いが、

このように、一般的にはあまり知られていない人物を主人公にした作品というのも、とても面白い。

そして、『八重の桜』の音楽を手掛けたのは、坂本龍一であった。

「坂本節」

とも言うべき、重厚なテーマ曲が、とても印象深かった。

 

<今年(2024年)の大河ドラマ『光る君へ』にも出演していた、井上咲楽>

 

 

 

さて、最近、私が個人的に注目している、

「さくら」

という名前の芸能人として、

「井上咲楽(いのうえ・さくら)」

という人が居るが、私はかつて、このブログで、

ロシアのウクライナ侵攻が勃発した時(2022年)、

「ロシアとウクライナの歴史」

という連載記事を書いた(※まだ未完である)。

その時の記事で、NHK-BSの、

「ザ・プロファイラー」

という番組で、ロシア革命の立役者・レーニンを特集した回で、井上咲良がゲストで出演していたが、

その時、私は井上咲良を見て、

「とても可愛くて、聡明な人だな…」

という印象を受けたものである。

 

 

 

そんな井上咲良が、今年(2024年)、大注目を集めている。

現在、放送中の大河ドラマ、

『光る君へ』

で、井上咲良は大河ドラマ初出演を果たしたが、

『光る君へ』

では、ちょっとエキセントリックな花山天皇(本郷奏多)に溺愛される、藤原忯子という后の役を、井上咲良が演じていたが、登場シーンは少なかったものの、藤原忯子(井上咲良)は、とてもインパクトが強い登場人物であった。

なお、藤原忯子(井上咲良)は、残念ながら病で若くして亡くなってしまい、悲嘆に暮れた花山天皇(本郷奏多)が、藤原氏の陰謀により、無理矢理に退位させられるという、

「花山天皇退位事件」

が、『光る君へ』で描かれ、とても見応えがあり、非常に面白かった。

 

 

なお、『光る君へ』では、若くして病死してしまう役を演じていた井上咲良は、実は大変なスポーツ・ウーマンであり、

つい先日、行なわれた、

「東京マラソン」

では、3時間26分というタイムで「完走」を果たしている。

「あの藤原忯子が、マラソンで完走した!?」

と、『光る君へ』のファンは、非常に大喜びした(?)という事を、ここに付け加えさせて頂く。

 

<「桜の季節」の「春の珍事」で終わる事が多い(?)ベイスターズの快進撃…>

 

 

では最後に、私が愛する横浜DeNAベイスターズの話題を、一つ。

今年(2024年)ベイスターズに入団した新人・度会隆輝(わたらい・りゅうき)は、かつて父親の度会博文がヤクルトで活躍していたという、

「親子鷹」

のプロ野球選手という事で、入団当初から話題を集めていたが、

そんな度会が、今年(2024年)の開幕から、大活躍を見せている。

今年(2024年)のオープン戦で大活躍し、開幕一軍入りを果たした度会隆輝は、

「1番・ライト」

で、開幕戦から先発出場を果たすと、何と、度会は開幕戦のデビュー戦から2試合連続ホームランを放った。

これは、セ・リーグ史上初の快挙だったが、そんな度会の活躍にも引っ張られ、

現在、我が横浜DeNAベイスターズは、

「5勝2敗」

で、セ・リーグでただ1球団のみ「貯金」を独占し、首位を走っている。

しかし、ベイスターズが「桜の季節」に強いというか、春先だけは絶好調…というのは、実はよく有る事である。

「春の珍事」

などと揶揄されてしまう事も多いが、何故なら、結局はベイスターズは春先以降は失速してしまうパターンばかりだからである。

しかし、今年(2024年)こそは、「春の珍事」だけで終わらせず、ベイスターズが「優勝」して欲しいと、私は熱望している。

そして、秋口には、

「サクラサク」

という、ベイスターズの朗報を聞きたいものである。