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坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

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振り返るにはまだ早いんですが、
2023年は僕の人生において
相当転機というか、色々スタートした
年になりましたね。

まずなんと言っても
『念願の作家デビュー』です。

作詞作曲編曲家と言った肩書きは、
そんな資格も無いし、
どこからがプロで、アマチュアで、
その線引きなどは至極曖昧なのですが、
【楽曲コンペに採用される】が
1つの条件なのかなーと思います。

楽曲コンペとは平たく言うと
曲のオーディションのようなものです。
レーベルや運営の方が色んな作家に
曲を募集して、採用するというシステムですね。

その規模感は大小ありますが
いずれにせよ採用されるのは
ぶち上げ案件です。

そんな訳で各SNSでは載せてるんですが
いぎなり東北産という
スターダスト系列の
カッコいいし可愛いアイドルグループの
コンペに今年の6月くらいに通って、
もう本当に嬉しくて嬉しくて、
いぎなり東北産のお陰でやっと
プロの作家になれました。

『ゾンビソサエティー』、
聴いてくれましたか?
めちゃくちゃ良くないですか?
俺って、やっぱり天才ですか?

とまぁ、手前味噌はほどほどに
何が嬉しいかって
僕がずっと10代の頃から恋焦がれた
2000年代下北ロックを踏襲した
マイナーキーロック調の楽曲が、
デビュー作になった事。
ギターもギャンギャン鳴ってる。

なんと言うか、僕はロックバンドを
夢見て音楽を初めて、
紆余曲折ありながらも
DTMという手段で音楽を続けて、
ロックな音を得意としながらも
色んなタイプの曲が書けるようになって、
それで尚作家としてデビューした曲は
原点のロックな曲で。


それがなにかこう、ね。
エモいですよね。


実際、スターダストさんの運営の方も
めっちゃ褒めてくれて
10/29にあった横浜アリーナで
開催されたスターダストプラネットの
お祭り的なイベントにご招待頂いたので
行ってきたんですね。

もう本当に行って良かったです。

スターダストさんのアイドルって
本当に個性豊かで各グループそれぞれの
気概があって、表情の作り方がプロでした。
あと何より皆さん歌が上手い。
どのグループも『歌うめぇ〜安心して聞ける〜』
と思いながら感嘆してました。


そして、東北産が初披露として
ゾンビソサエティーを披露してくれたんですが
嬉し過ぎて泣きそうでしたね。

イントロの
テーレッテレッテッテッテッテレレ
というフレーズが鳴った瞬間、
鳥肌がヤバかったです。

『この曲僕が作りました!!』
と叫んで周りをドン引かせたてやろうかと
と思う程でした。

これはある意味エゴな喜びなんですが、
僕はバンドでアリーナなどと言った
規模感で演奏する夢は
まぁ叶わなかった訳です。
僕自身にその器量は無かったんですね。


でも、時を超えて、
いぎなり東北産というグループを通して
僕の楽曲が横浜アリーナに
響き渡ったんです。

これにはぶち上がりましたね。
何度ぶち上がればいいんですか俺は。

歌詞にもある逆転劇というワードは、
無意識に自分自身の人生を投影してたのかも
知れません。

東北産ありがとう。
ひと組だけ特攻服でライブしてて
それがめちゃくちゃカッコよかった!


とまぁ、本当に今、作家として
モチベーションが最上級な感じです。
お世話になってる作家事務所には
頭が上がらないですね。

※西麻布というかなりセクシーな場所に
立地してるので、挨拶に訪れた時は緊張しました。



そしてもうひとつ機転となったのは
プロデュース稼業。
もう2年も前からずっと池辺と
そう言う事をしたいよねーって
話をしてたんですが、ついにこの春
『琳子』というシンガーソングライターに
出会ってしまったんですね。

それはなんというか、遺伝子レベルでの
とんでもない才能を発掘したと言うか、
ガラガラのライブハウスで
背丈の低い女の子が堂々と
『ホットミルク』という楽曲を弾き語りしていた
光景はずっと忘れないと思います。


君との日々は甘いホットミルクのようで
温かく熱を帯びていた


いい歌詞ですよね。

『ホットミルク』はサブスクで解禁済みですが
まだまだストックがあって、
どの曲も凄いんです。
残酷な事に、芸術において才能というものは
切っても切れませんね。


ちょうど琳子も編曲家を探していたようで、
かなりの利害が一致していた事もあり
話は早く、現在進行形で楽曲の編曲と、
バズる作戦会議みたいなものをやってます。


それがなんと言うか、
またバンドを組んだみたいな感覚で
楽しいのです。


ここからが楽しみだなーほんと。


と言う訳で、音楽漬けの毎日です。

10代の頃の自分が今の自分を見たら、
少しだけ安心するだろうな。

そんな感じですね。



PS.
東京に行く機会が増えつつあるので
マジでそろそろ上京したいです。












兼ねてからずっとコンプレックスであった
ヒゲの濃さから起因する青ヒゲというものに
ピリオドを付けるべく、
30歳にしてようやく決心した。




そう、脱毛だ。





もちろん医療脱毛。





割と高額なので
絶対に後悔や損はしたくない。
進学校の受験生くらいに近辺の
脱毛クリニックを調べ、
お前誰やねんというおっさんが
脱毛体験をひたすらに語るユーチューブも
見まくった。
もうおすすめに出てこないで欲しい。

その余念なき姿勢の果てに
ここのクリニックはこうだ、
ここのクリニックはあーだ、
という微細な違いを網羅した。


その末、1番無難な
ゴリラクリニックという医院を選択した。

めちゃくちゃ調べたけど
なんやかんや名前が有名なところが
間違い無いっしょwwwという
元も子も、身も蓋も、全く無い結論に至った。



まずは無料カウンセリングに赴いた。

とても爽やかなお兄さんに、
約1時間、要約すると
『うちのクリニックが1番だよ。
うちのクリニックは非の打ち所がないのさ。
うちのクリニックはとても最高なんだ。』
と言った自己肯定感高めの
カウンセリングであった。


まぁ、そんなもんだろうと思っていたので
僕も快く『はい!最高っすね!』
と言った相槌を機会のように繰り返した。



そして軽やかに契約を結び、
レーザーの種類はどうされますか?
との問いには間髪入れず
『1番強いやつをお願いします』と言った。



回数は18回。マックスコースだ。
俺の髭の濃さは超ド級だと自覚していたので
その辺は何もイレギュラーではなかった。



さて、
いざ脱毛1回目に当たって
懸念点は2つ。

やはり『痛み』である。

ヒゲ脱毛=痛い

という定説からくる恐怖だ。

そしてそれによる『麻酔』。

笑気麻酔という、漢字からは
何も連想出来ない得体の知れない麻酔が
とにかくなんか怖い。
というか笑気麻酔の方が怖かった。

なにやら鼻から吸って徐々に意識が
朦朧とし、会話はできる程度の
具合を保つという内容の麻酔なのだが、
なんやそれ。
擬似泥酔みたいな感じか?
擬似ストロングゼロ?
しかし舐めてもらっては困る。
こちとらほぼ毎日酒を飲む体たらくなので、
エブリデイ笑気麻酔と言っても過言ではなく
果たしてそんなものが
痛みを和らげる効果があるのか?
あまり俺様を舐めるなよ?
と、終始懐疑的であった。



そして遂に当日を迎えた俺は、
少しの緊張を纏いつつも
ここから生まれ変われるんだという
凛々しい感情に満ちていた。



16時ピッタリになると
どこに隠れていたんだというくらい
途端に大量の施術師さんが登場し
口々に『番号〇〇の方、どうぞ〜』
と呼びかける。


僕の担当してくれた施術師さんは
とても綺麗な感じのお姉さんだった。
口調もとてもお上品で優しく、
そのお陰で割とリラックス出来た。

照射日は必ずヒゲを剃ってから来院、
というルールがあるのだが、
ちゃんと剃ったつもりが
かなり剃りが甘かったらしく
限りなく優しいワードを
チョイスされながら怒られた。


そんなこんなで遂に笑気麻酔を体験する。

やはり、か。

全く効かない。
酒が強い人間は麻酔が効きにくいという
前情報は事実であった。


なんか意識が朦朧としてる気が
しなくもない。けど全然意識あるし、
7の段とかスラスラ言える。

人は7の段をスラスラ言える状態は、
完全に意識がハッキリしている証拠だよ
と母から教えてもらった。

つまりこんな程度では痛みなど純度100%で
感じられる事が想像出来た。

すみません、麻酔の代わりに
500mlのストゼロとかってありますか?
と聞きたかったが、
そんな妄言は逆に麻酔が効いていると
捉えられる可能性があるのでやめた。


『では、照射して参りますね!
輪ゴムでパチっと弾かれる痛みが続きますが、頑張ってください!』






はい!!!!!!!








バチッ











俺は笑った。






あまりの痛みに。






人は痛いと笑うのだ。








輪ゴム?
違う、火だ。





火炎だ。





絶対に火傷したと思った。





先生、冗談キツいですよ〜
これ、照射レーザーじゃなくて
ターボライターでしょ〜?



なんて言う間もなく、
施術師さんは『痛いですよね、、でももう少しです!』と言ったリアルタイム状況を
報告してくれる。


特に密度の濃いアゴに
スポットライトという名の
レーザーが当たった時、
『いってぇ...』とマジのやつの
情けない声が漏れた。


『痛いですよね〜...!痛い時は鼻呼吸を意識して麻酔で和らげてくださいね!』


この、痛みを毎回共感してくれるという
高等な手口により、痛みを我慢する事が出来た。

痛いのは俺だけではない、
むしろこんな優しい人が
初対面の見ず知らずの他人に
痛い目を浴びせてしまっている
気持ちの方が痛いのでは無いか?


という結論に至った。



なんとか耐え抜き、
最後施術師さんに『痛かったですよね...』
と、やはりかなりの罪悪感を
抱かれていたように見えたので
『いえ、全然大丈夫でしたよ』
と、さっき情けない声を漏らした同一人物とは
思えない紳士的な回答をし、その場を去った。

きっと連絡先を聞かれるだろう。




こんな感じで華々しい脱毛デビューを
飾った訳だが、安堵も束の間
あと17回残っているのだ。

どうにか自分と顔が似てる
影武者を探して、残りは全部
その人に行ってもらおうと思う。




















思えば20代前半の頃は
己の自信の無さから
カスみたいなアイデンティティに
縋りついていたように思う。

なにかこう、22歳くらいまで付随した
無敵感のようなものも削がれ出していき、
24歳辺りでとうとう『何もない若者』と
なり得た途端に、かなり歪んだ
性格を形成した節があった。

今こうして当初の自分を
俯瞰的な目線で文章を書けているので、
あの頃の地獄のような日々から
幾許か脱却できたのだろうなと思う。


カスみたいなアイデンティティ。


それは例えば
流行には飛びつかない、或いは
流行を安全な場所から非難、糾弾する
などと言った
かなり安直で短絡的な、
努力を必要としないものだ。


その頃、SNOWと言う
加工アプリの先駆け的コンテンツが
流行し、若者達はそのフィルターの
新鮮さにこぞって興じた。

当時まだ若者の一員である俺は
死んでもそんなものやるか、と言う
安直な拒絶反応が脳内に蔓延していた。


その思考を分解すると、
大衆生を纏ったものに
飛び込む事がただ怖かっただけである。


マジョリティーに溶け込んで仕舞えば、
途端に自分は『本当にどうしようもなく』
なってしまうという恐れだ。


今流行ってるものを、あえてしない。
それによって、『軸があるポーズ』が
安易に入手出来る。
それに、少しだけ安堵する。
カスのようなアイデンティティ。

しかしそんな付け焼き刃は、
第三者視点からすれば
魅力になどなる筈がない。


30歳になって思う事は、
臆する事なく流行に飛びついた上で、
そこからも尚漏れ出すユーモアが
その人のアイデンティティであって、
そのものを拒絶するのはただ老化の始まりであったりする。


俺は、24歳にして老化が始まっていたのだ。
それは、思い描いた人生との乖離や
ストレスなどが要因したと思う。

その乖離やストレスも、自分のせいに過ぎない。
全て己の努力が不足した事が
紐づいていて、
さらにそこから逃げるように
カスみたいなアイデンティティに
縋りついて、日々をやり過ごす。


そんな騙し騙しの生活も、
いずれは臨界点を迎えた。


それは、27歳の頃。
もう、若者の一員でもなくなった時、
カスのようなアイデンティティにおける
ほんの一握りの評価も全て消え去った時だ。


そこから、
負けを認める事が出来た。
自分は持ってない側の人間という事を
理解した。


認めざるを得なかったと言う表現が
正しいかもしれない。



一度、俺は負けた。

何者かになった仲間に、
怠惰な自分に、
愛していた音楽に。



そこから、不思議と聡明な思考を
持てるようになった。

いわば、物事の辻褄が合い出したのだ。


これをこうすれば、こうなっていく。


物事は基本的に整合性が取れた道筋に
進んでいく。
時折、アンコントーロラブルな事や
奇跡が起きるが、基本的にはそうだ。



努力や、真摯的な姿勢などが
持ってない側の人間には必要なのだ。
そこからは逃れられない。



ただ、自分には才能がある。
その自負だけは守り続けた。


持ってる才能のある人間は、
大袈裟に言うと努力せずとも売れる。
持ってる才能のない人間も、
何故か売れていく。
持ってなくて才能のない人間は、
ちょっと分からない。

1番厄介なのは
もっていないけど才能のある人間だ。


俺はこれに該当すると思った。



なにが厄介って、そう言った部類の人間は
才能の部分にかまけてしまうからだ。

ただ流動的に上手くいったり、
上手くいかなかったりを繰り返す。
あくまで流動的なので、
これといった答えが定まらない。


俺とて、若かりし頃は努力もせず
なんとなく注目を浴びた。
それは才能があるからだ。
ただそこに努力が追随しなかったせいで、
その忌まわしき20代をたらしめたのだ。


そして、28歳の頃、
もう一度チャンスが訪れた。
初めて努力をした、と言ってもいいだろうか。


結果、今までにないほど評価を得ることが出来て

これまで自分が生み出した
自己嫌悪を払拭出来たと思う。


それで30代を迎えた今、
その人生観もあってか、
とても楽しく日々を過ごしている。


カスみたいなアイデンティティに
縋る事もなく、流行にある程度飛びつき、
自分自身はこうだ、という自他共の評価を
リアルタイムで体感出来ている。



なにより、大好きな音楽で
生活が成り立っている。


そこに還る事が出来て、
本当に嬉しいのだ。