勝手な考察延長戦〜WHITE ASH『Velocity』と盆踊り | まっつのブログって名前、氾濫しすぎだろ‼

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中身の無いブログにはしたくない、というか言いたい事無きゃ文章なんて書かないですよねー。音楽の話が中心ですが、後々仮面ライダーの話もするかも。

司会者「前回のエントリーで大変な事が起きましたね」

まっつ「まさか記事をレジーさんに拡散して頂けるとは」

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司会者「さらにこんな激励の言葉まで」

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まっつ「しかも、レジーさんのブログで使われている対談形式の元ネタであるライターの中尾賢司さんのブログをわざわざ紹介してくださって」

司会者「なんかもう至れり尽くせりな感じになってますけど」

まっつ「本当だよね。もうどうあってもこのブログ続けるしかないな」

司会者「ブログ始めて1週間でこんなフックアップがあるとは思いませんでしたね」

まっつ「もうね、ネットって凄い‼という馬鹿っぽい感想しか出て来ませんでしたよ。一回り以上年下であろう専門学生の僕にも丁寧に接してくださって有難い限り」

司会者「そして、yajirushiで原稿を執筆した小田部さんにもTwitterで記事を取り上げて頂きましたね」

まっつ「レジーさんと小田部さんは同じ日に記事を取り上げて下さったんだけど、この日のアクセス数だけ尋常じゃなかった」

司会者「池袋で目を見開いてましたよね」

まっつ「この日は前のバイト先の先輩と池袋にいたんだけど、その時ばかりはタイムライン見たわ。記事を取り上げて下さった皆さん、本当にありがとうございます」

司会者「ひとまずお礼も済みましたし、本題に入りましょう。前回のエントリー、私の力不足もありますが、かなり性急かつ乱暴なまとめになってしまいましたね」

まっつ「自分でも読み返してみたけど、中々上手く文章をまとめるのは難しいな」

司会者「そして肝心の『Velocity』そのものの考察がほぼ全く行われていないというのは」

まっつ「大変申し訳ないです。今回こそ楽曲の考察と、前回のエントリーの補足をさせて下さい」

司会者「了解しました。では早速今回のシングル計3曲について、1曲ずつ喋っていきましょう」

M1:Velocity

司会者「前回、前々回とPVも載せている表題曲です」

まっつ「やっぱりサビだな、サビに爆発力がない」

司会者「いきなりdisですか」

まっつ「いや、逆に言うとサビ以外は完璧って事よ。サビまでの盛り上げ方、というか焦らし方は秀逸でさ。でも『サビ来る‼高音ボーカル来る!』って思った所でのび太さんの声が逆にワントーン落ちるんだよね。そこだけが気になった」

司会者「のび太さん、インタビューでこんな事仰ってますよ」


のび太:音楽を聴いていて、これこういう曲かって全部聴き終わる前にわかる感じってあるじゃないですか。そうなったらストップボタンを押しちゃうんです。だから、聴いてる人がこういう曲なんだなって思うちょっと前ぐらいで予想外の展開をすることは考えています。自分が飽きっぽい性格だから自分が飽きない曲を作ろうと思うと、変な構成だったり違和感のあるメロディーラインやギターとかベースのフレーズだったり、それがWHITE ASHっぽさに繋がっているんじゃないかなと思います。

(Rooftop 2011年11月号
)


いろんな面で、“しっくりこない”バンドになりたいですね。邦楽だけどしっくりこないとか、曲かっこいいけど名前がのび太でしっくりこない、とか。でもなんだか気になる存在、みたいな。

(Rooftop 2010年9月号)


まっつ「なんか後からこういう証拠提示されるの後味悪いけどまあいいか。
って事は今回も引き続き『しっくりこない』感じを意識したのかな」

司会者「今回はインタビュー稼働もないのでその辺りはわかりかねますね」

まっつ「そうなんだけどね。個人的にはもう一つ盛り上がりが欲しかったなと思いました」

M2:After All, Life Is Picnic

司会者「こちらは打って変わってミディアムチューンですね」

まっつ「カップリング然としているというか、良い意味で2曲目というポジションが相応しい曲ですな。1stミニアルバムに収録されている『Hello,Afternoon』にも通じるメロウな曲。表題曲とのバランスが秀逸」

司会者「ですがこの曲には、前回のエントリーで言っていた、『一音一音を明確に区切る事でリズムが浮き彫りにな』っている様子が見受けられない様に感じるのですが」

まっつ「確かに、音同士が区切られている印象はないね。ただ、のび太さんがMUSICA2013年2月号のindigo la Endの川谷絵音さんとの対談記事の中でこんな事を仰っていたんです」


のび太「洋楽的なパンチのあるリフや尖ったサウンドを意識しつつも、メロディは日本的に、というか…。日本の曲ってメロディが凄くキャッチーで残るものが多いと思うんですよ。そのバランスはいつも気をつけてるんですよね」

川谷「だから(WHITE ASHは)うまくいってるんだろうなぁって思います。それこそ、今のリスナーでArctic Monkeysとかにハマらないような人達も普通に聴ける、っていうのは凄くいい事だなと思うんですよね」


司会者「おお」

まっつ「本当この記事前回のエントリーの時に見つけておくべきだったよね。なんかもう前回言いたかった事の大体はこの会話で補える気がする」

司会者「『洋楽のエッセンスを意識的に取り込む一方、無意識的に日本特有のグルーヴも彼らの曲には根付いてしまっている』と私の方でもまとめましたが、前回着目したのはあくまでグルーヴ面でしたよね。のび太さんが意識しているのはメロディ面との事ですが」

まっつ「そうね、何度も前回の記事を引き合いに出してしまって悪いんだけど」

司会者「今回は前回のエントリー内容の補足説明という名目です一応」

まっつ「うん。で、前回は彼らの楽曲を『盆踊りっぽい』と表現しました。そう感じた理由としては、先程も取り上げて頂いた様に『一音一音を明確に区切る事でリズムが浮き彫りにな』っている様に感じたからです。ですが、こういったミディアムテンポの曲に関しては少なくともリズム面での僕の考察は通用しませんよね。ただ、前回のエントリーの内容に即して付け加えるならば、一応盆踊りにも三味線や尺八など、旋律を奏でる楽器もある訳で」

司会者「当たり前ながら、太鼓だけが盆踊りの楽曲を構成している訳ではないですからね」

まっつ「そうそう。こういった曲、僕はあまり好きではないんだけど、この曲が日本で受け入れられるとするならば、その理由はやはりメロディにあるのかなと。前回の例えに無理矢理結びつけて考えるならば、メロディが尺八や三味線の旋律部分を担当している、と言うべきかな」

司会者「なるほど。リズム面で日本らしさが薄れはするものの、その代わりにのび太さんの歌う、伝統的な楽器の旋律の様なメロディが日本らしさを担保している、という事でしょうか」

まっつ「そういう事です」

司会者「了解しました。かなり長い説明になりましたが、他に言い残した事などなければ最後の曲に行きたいのですが」

まっつ「うん。そうなんだよねまだ1曲残ってるんだよね。次に行きましょう」

M3:Pretty Killer Tune

まっつ「僕このCDタワレコで買ったんですけど、店員さんが書いたであろう手書きのポップに『ありそうでなかったタイプの曲』って書かれていたんです。どういう文脈でそう書かれていたかは覚えていないんですが、一聴してから『的を射た文章だったんだなあれ』なんて思ってしまいました」

司会者「それはまたどういう」

まっつ「今までにもサビでシンガロングが巻き起こる事を想定したかの様な曲はあったけど、ここまでストレートな言葉を、シンガロングを扇動するかの様に歌っている曲は今までなかったように感じます。中々彼らにしては珍しく、ストレートに聴き手をアジテートする楽曲だなぁと」

司会者「サビの最初なんて『yeah yeah yeah yeah yeah』ですもんね」

まっつ「ライヴを意識し始めたのか、徐々に言葉が直接的になっている感じはありますよ。英詞主体の曲が殆どですけど、最近はその中における日本語詞の割合も増えていますね。最も、桑田佳祐やLOVE PSYCHEDELICOのKUMIさんの様に英詞っぽく歌っている訳なんですがね」

司会者「歌っていて気持ちのいいメロディを目指していった結果なんでしょうかね」

まっつ「恐らくそうでしょうな。てかここまで書いてアレだけど、WHITE ASHの曲ってiTunesに全然置いてないんだね。2ndミニアルバムしかなかったよ。後はバンド名の由来になったピロウズの『White Ash』だけ」

司会者「とりあえずCD買ってください、って事でまとめましょうか」

まっつ「買ってもらわないと曲の全体像掴めないよなこれ。でもやっぱり表題曲のパンチが弱いっていうか、必殺のフレーズを沢山持っているバンドだと思うので、これからに期待ですな」

司会者「(何だか偉そうだな)分かりました。そして前回のエントリーの補足というのは」

まっつ「うん。前回『(WHITE ASHの歌詞には)感情移入の余地も無く、聴取する要素が減れば自然と体も動く。結果、WHITE ASHの曲は今の日本ならではのダンスミュージックとしてしっかりと機能している』みたいな事を言ったんですが、じゃあ盆踊りに使われている曲の歌詞ってどうなってるの?という部分を説明していなかったので、その部分に関してだけ補足させて下さい」

司会者「はあ」

まっつ「まず、こちらのサイトから『炭鉱節』の歌詞の一番だけ引っ張ってきました。動画も貼っておきます。一度は聴いた事のある曲だと思います」

月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
 三池炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)



司会者「良く耳にはする曲ですね」

まっつ「でしょ。で、歌詞を見てもらいたいんですが、まあ大体が情景描写な訳です」

司会者「日本の童謡であったり唱歌と呼ばれる類のものは情景描写の割合が大きいですよね」

まっつ「中には聴き手に向けたメッセージも含んだ曲はありますが、『今の時代に生きる日本人』へのメッセージではないですよね」

司会者「直接的なメッセージがあったにせよ、あくまで『曲が作られた当時の日本人』に投げかけるものである事は明白ですね」

まっつ「そう。だから今の日本人にはメッセージを含んだ歌詞であってもピンとこないんだよね。そもそも、祭で盆踊りの歌詞ちゃんと聴いた事あります?」

司会者「全く聴いた事ないですね」

まっつ「だよね。僕も今初めて調べたもんな。歌詞が時代に沿わなくなっていくと共に、歌詞を意識的に聴取する層も薄くなっていったのだろうと個人的には想像しています。で、一体全体何が言いたいのかというと、『歌詞が感情移入のデバイスにならない』という点で、現代における盆踊りとWHITE ASHは共通しているんですよ」

司会者「WHITE ASHの英詞は確かにめちゃくちゃですからね」

まっつ「うん。で、もう後は前回の結論の通り、『感情移入の余地も無く、聴取する要素が減れば自然と体も動く』訳で、結果WHITE ASHの曲は、そのリズムも楽器化した歌詞も現代のダンスミュージックとして一つの役割を担っていて、そこに現代における盆踊りの立ち位置と共通するものを感じた、という訳なんです」

司会者「物凄くスケールの大きい話になってしまった感じが否めないんですが」

まっつ「いや、グダグダ2回に分けて色々書いたけど、まあとりあえずCD買ってよ‼iTunesにも置いてないしさ‼っていう事を言いたいだけですハイ」

司会者「(やっぱ今日なんか偉そうだな)なるほど。で次回はどうするんですか。フォロワーさんにインタビューしたいとかなんとか言ってましたよね」

まっつ「それもやりたいんだけど、今
鹿野さんがFacebookで音小屋生に課している『公開課題提出』の課題内容が凄く面白そうなんで勝手に僕も考えてみようかなとも思っていますが、予定は未定という事で」

司会者「なるべく早めの更新を期待しています」