多面体であるということ | 松多壱岱オフィシャルブログ
蒸しますね。

こんにちは。

まつだ壱岱です。


演出家の日常をただつらつら書く地味なブログに、いいねやコメントありがとうございます。



マイペースで。



昨日は轟然メンバーが全員揃いました。
嬉しいよね。
とあるシーンで煮詰まり、私の宿題になりましたが、他の流れはいい感じになっています。
楽曲も歌詞があがり、いい雰囲気が見えてきました。
ここからだよね。


稽古後、みなで食事に行きましたが、私は戦国降臨の打ち合わせと、轟然の美術打ち合わせへ。
轟然の美術はちょっと難しいところに入り込んでいて、難航中だったものを決着つけました。
戦国降臨はキャスティングのつめと、スタッフィング。

そして盛り上がり、終電逃して終バスで帰宅しました。






今日は演出しててよく思うことを一つ。

キャラが決まってくると、このキャラはこんなこと言わない、とか。
そんな感じの議論が始まるんですが、
役者が感じたことなので、間違いはないこともある。
でも、そんな単純なものじゃないだろう、と思うこともたまにあります。

人間てのが一つの要素でできあがってることなんてないわけで、だったらあらゆる可能性でキャラをトライしてもらえたらなと思います。


インサイドヘッドはその辺うまく描いてたなぁ。
年頃の女の子の不安や憔悴も。


私の作品では、

世界は僕のCUBEで造られる

が、人間は多面体である、そして可能性を見つけるのは自分の選択である、
と宣言した作品でした。


また、やりたい作品です。



そうそう、多面体と言えば
作品自体も多面体であるべきだと思って
エンターテイメントで一見わかりやすく見えても、見る人によって解釈の深度が変わっていく、そんなものが好きです。

舞台造形、演技、照明、音楽、アクション、どれも選択肢に意味があってその記号が作品のテーマに触れ合って、多面体ながら一つの形になっているもの。
難しいですが、目指すところは高く。



それと、まつだ壱岱自体が多面体であるということ。



それが、ブログで日記でも書こうかなーと思った理由かもしれません。