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富士神社(福島県南相馬市鹿島区)

富士神社(ふじじんじゃ)。



福島県南相馬市鹿島区北屋形に鎮座。
御祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。

南山中津島の城代・紺野美濃守重義の次男、紺野伊賀守義治は永禄年間(1558~1570年ころ)に北屋形藤廹へと移り住んだ。
そして藤廹義治と名乗り、舘を築いた。
義治の子である紺野伊賀守善清までの親子二代でこの舘に住んだのだが、この舘の有った場所こそが現在の富士神社の鎮座地であり、紺野氏の氏神こそが富士神社である。
つまり、富士神社の境内は紺野伊賀守の舘跡ということになる。

その後、時は流れて、里人が困窮し社殿が大破しても顧みるものが無かったが、享保二十年(1735年)九月七日に田野入家の先祖・小平治というものはことのほか信仰心が篤く、自宅付近に宮を新造。当社を遷して祀ったのだという。
この宮が旧富士神社といわれるものであるとのこと。

さらに明治時代に入ると北屋形村の天王・水神・山神・稲荷・田神・疱瘡神など、すべての神を南柚木村に合祀してしまったため、北屋形村内に神社がなくなってしまった。
一村一社制もあり、かつての鎮座地に富士神社を再興したのが現在の富士神社であるという。

昭和三十年頃に境内から数百枚の古銭が出土したが、そのほとんどが中国からの渡来銭だったとのこと。
ただし、これは誰が埋めたのか、誰が残したのかは不明であったらしい。


【 鳥居 】
石造りの明神鳥居。
実はこの鳥居の場所までは結構急な坂があるのですが、上りに入る直前にやや下るため車で近くまで入ろうとすると車の腹を擦ってしまいます。
車で参拝に訪れた方はご注意を。


【 参道 】
境内は舘跡とのことで、小高い丘になっています。
ちなみに参道はまっすぐではなくカーブ状。
U字のような形で鳥居からぐるっと廻る形で進みます。


参道の途中から拝殿側を見たところ。
こんな形でカーブしながら社殿の正面へと進んでいくわけですね。


【 二の鳥居 】
やや細身の木造の鳥居。








【 拝殿 】
こちらが拝殿。
瓦葺の屋根が重厚な印象。
拝殿の前に赤いタンク、横には消火器が置いてあって、
「まさか、灯油と消火器がワンセットで配置!?」
と思ったんですが、タンクには「水」と書かれていました……。
賽銭箱の左側の一升瓶は奉納されたものでしょうかね。


【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
こちらについても瓦葺でした。
幣殿・本殿の壁は材質を見るに、ここ何年かのうちに補修されたものなんでしょうかねえ。


【 末社 】
こちらは拝殿向かって右手にある末社。
扁額なども無かったのですが、資料によると稚木神社のようです。

末社の隣には地蔵が。
こちらの富士神社の境内はその昔、阿弥陀六寺の藤廹庵があったとのことで、この地蔵は「藤廹庵六地蔵」だとのこと。


さてさてさて。
無事にお参りが済みまして、御朱印の紹介です。
こちらの富士神社も前回の金砂神社と同様、伊勢大御神下大神宮さんが兼務してらっしゃいます。
そのため、伊勢大御神下大神宮さんでお願いしました。



そんなわけで頂いた御朱印がこちら。
北屋形という地名は、やっぱり舘跡があったからなんでしょうかねえ。



◆神社への地図



◆神社の情報

富士神社   ふじじんじゃ

御祭神 : 木花咲耶姫命
社格等 :
鎮座地 : 福島県南相馬市鹿島区北屋形字田の入