亀井山城 日野郡日南町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

標高480m・比高180mの亀井山城(日南町生山)は、地名から取って生山城とも呼ばれる…

北東を大手とし、山の稜線に沿って平地が連なっており、本丸・二の丸にあたる平地には石垣が巡らされているが、現在ではかなり崩壊が進んでいる。南東側には堀切の跡も見られ、井戸の跡も残っている。
創建年代は明らかでないが、『伯耆誌』は里人の口碑として、天正年間(1573~1592)吉川広家が、その後、山名和泉守景行が在城したとしら『伯耆民談記』は久志路和泉守景行の居城と述べている。また『日野郡史』は宮内神宮寺を再建した生山城主山名和泉守景行の名をあげ、『鳥取県の歴史』年表には「永禄十二年(1569)伯州生山城主山名藤幸毛利軍にそむき戦死す」と記している。
慶長五年(1600)中村一忠が伯州一円を受封、同十四年(1609)中村氏の断絶後、伊勢亀山の城主関長門守一政が当国で五万石を領し黒坂の鏡山城に移ったが、鏡山城完成の十九年(1614)まで当城にあったとも言われ、その後 当城は廃城となった。
(※日南町誌より)

ちなみに、こんなサイトもあるので、参考までにひらめき電球
日野山名氏 小林党

旧日南町役場跡に看板が建つニコニコ

その背後より直登すると、曲輪が階段状に連なるひらめき電球



途中、東へも曲輪があり、その先には堀切合格

さらに南へ向け階段状に曲輪群ひらめき電球



東八郭ひらめき電球
北西から南東へ向かっていた曲輪群が、この曲輪辺りから南西へ向きを変えるアップ

東八郭の土塁のような東七郭ひらめき電球

東四郭~東二郭ひらめき電球



主郭の苔むした石垣アップ


主郭ニコニコ

南西へ伸びる尾根上の南二郭ひらめき電球

この尾根の西斜面には畝状竪堀群のようなものが見られる!?

南二郭の先には堀切合格

さらに曲輪を一つ挟み、堀切合格

方向を変え、西二郭ひらめき電球

西二郭から西三郭への登り土塁ビックリマーク

西三郭~西六郭ひらめき電球




方向を変え、北二郭~北四郭ひらめき電球



北端の北九郭には物見台のような岩が富士山

さらに、主郭部と北東尾根の曲輪群の間の谷にも数段の曲輪が見られたひらめき電球

亀井山城遠望カメラ

軌跡ログあし

軌跡ログを見てお分かりの通り、縄張図と比べると、遺構配置(というより、地形か?)は実際には多少左へ傾いている汗
山麓の薮さえ越えれば、素晴らしい遺構の眠る城だが、なかなか激しい薮と険しい地形が、容易に人を近づけない…


日野郡日南町の城