大倉五輪塔群と「もみうね城」 旧日野郡溝口町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

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大倉五輪塔群は、大倉集落から北に約300m離れた水田地帯に位置する。この五輪塔は大きいもので2.5mのもの1基、2.3mのもの2基、1.4mのもの2基があり、他は小規模なものが20基ばかりある。これらの多くは開墾の際、周囲に散在していたものを現在の位置に集めたものと伝えられている。
室町時代から等地に「もみうね城」があり、大倉和泉守が居城していた。和泉守は播州から入城したと伝えられている。
元来山名が因伯の守護となったのは南北朝時代からで、正平15年には両国の将兵が活躍しているが、大倉和泉守が播州から入国したのは嘉吉の乱により赤松氏が滅亡後と推定される。
その後 尼子氏が支配したと考えられ、永禄4年には毛利元就が侵略してきている、
これと前後して香川左衛門尉光景が入城し大倉神社に神田を寄進した記録がある。
以上を考察すると「もみうね城」は山名・尼子・毛利三氏が占居し、五輪塔もこれら武将並びに一族の墓と推定される。
古書にも「もみうね城」の記事は見えるが、その所在地は未だ確認されていない。今後の課題である。
(※文化財ガイドブックふるさと溝口、伯耆町の文化財より)

大倉五輪塔群…
巨大な五輪塔が並び、圧巻アップ


大倉集落の裏山の墓地にも五輪塔が…

そして、同行していた源行近は遠慮なく山中へ踏み込む…
五輪塔だけ見るつもりで、リュック背負って来てないんだが汗
平坦地も見られるが、城跡と確定出来る遺構は見られない…


大倉神社ひらめき電球

一部に土塁のようなものも見られる…

遠望カメラ

神社の向かいの山の中には墓地…

何故か、墓地に土塁のような土盛があせる

まあ集落の周囲の山中に踏み込んで、すぐに見つかるくらいなら、既に教育委員会が発見しているだろう…
俺と源行近の2人がフル装備で時間をかけてジックリ探すなら、可能性0ではないかも知れないが…


旧日野郡溝口町の城