標高100m・比高60mの條山城(琴浦町太一垣)は、条山城とも、太一垣城とも呼ばれる
成美小学校前の條山と呼ばれる地で、土地の人は條山城跡と呼んでいる。小学校前を左に曲がって山際を南に100mばかり行った所で坂道を登る。この城跡には太一垣の部落からも登ることができる。
伯耆民談記によると、天正八年(1580)吉川元春が羽衣石城の南条元続と争った時、小鴨(倉吉市)の岩倉城に対する向城として築かたもので、岡本大蔵、田部兵部らがここを守り、ついで森脇越後守が駐屯していた天正十年には、南条方の出城であった東伯町大杉の妙見山城を陥れたと伝えている。
この城跡は西側に以西谷・中村谷をつくり、遠く船上山に通じる丘陵の突端にあって、成美・安田両地区の平野を眼下に見渡し、戦国武将が好んで選んだ型の山城だったことから、その後の戦にも難攻不落の城であったと伝えられている。
城跡は一帯を含めて四~五町歩もあり、一部分耕されて果樹園や野菜畑になっているが、土塁や堀跡は昔の面影を残している。
(※赤碕町誌より)
北端の竹宝山水月堂
そこが既に北曲輪群の北五郭
その上に北四郭
その背後には堀切
北曲輪群北三郭
北二郭
北二郭の北西には、西側に土塁のある北西三郭
土塁
北二郭の東側には土塁と内空堀
再び北二郭
南側、主郭との間には土塁
主郭
主郭東虎口
その南北に土塁
主郭の南にも土塁
土塁の南には堀切
堀切の南の、南曲輪群北三郭
南曲輪群北二郭
南曲輪群主郭
條山城遠望
軌跡ログ
東伯郡琴浦町の城