加陽城 豊岡市 | 山城攻略日記

山城攻略日記

北海道から沖縄まで、日本全国の有名所の城を旅し…
現在は地元・鳥取を中心とした城巡りの日々(^-^)/

加陽城(豊岡市加陽小字大市山)

加陽城は円山川支流出石川左岸、中筋丘陵北端の尾根突端に所在し、集落との比高は約40mある。城域は東西約160m・南北約160mを測る。
城主は加陽氏と思われる。南北朝期の貞和年間(1345~50)、但馬・播磨の悪党らが播磨国の東大寺領大部荘(現小野市)に乱入した中に、播磨守護代・安保直実(軽部荘地頭)らと共に加陽彦太郎・加陽太郎三郎の名がみえる(『東大寺文書』)。また、天文四年(1535)五月、山名祐豊が奉納した総持寺本尊(十一面観世音菩薩)の胎内文書(奉加帳)の中に、「加陽豊後守」の名がみえる。現段階では、室町期の加陽氏に関する記録はないが、加陽氏は南北朝期から戦国期まで存続していた可能性がある。
(※豊岡市の城郭集成Ⅰより)

北四郭

北西堅堀

北三郭(曲輪3)

北西二郭北帯曲輪

広大な北西二郭(曲輪2)

主郭


主郭の南土塁

北西二郭の南端の西下の西三郭

西三郭と西四郭の間の堀切

北西四郭(曲輪4)

北西四郭北腰曲輪

北西四郭北西帯曲輪

西堅堀

北西四郭西腰曲輪

北西四郭南西腰曲輪

北西四郭西帯曲輪上段

北西四郭西帯曲輪下段

西四郭(曲輪5)北西腰曲輪


西四郭(曲輪5)

西四郭の南土塁

西四郭の南東土塁

南二重堀切(北)

南二重堀切間の土塁

南二重堀切(南)

南二重堀切を越え登ると南二郭

上がって加陽城の案内看板の建つ南三郭


古墳群の連なる南四郭

南二重堀切(北)からの西堅堀

堅堀に沿って西三郭南腰曲輪

その南には西堅堀へ合流する南堅堀

南堅堀を経て西四郭南腰曲輪

西四郭南腰曲輪からの西堅堀

西堅堀から続く南西堅堀

土塁状の南五郭

南六郭(曲輪6)

南六郭の東土塁(南五郭)

南六郭北帯曲輪

南六郭西帯曲輪


加陽城遠望

軌跡ログ



旧豊岡市の城