別名城(赤穂郡上郡町別名字井の山)
別名:井の山城
『播磨鑑』には「城主不詳 佐用軍記に秀吉公井の山に陣を取て上月の城上月の城を窺うと云」とある。これが事実なら天正五年(1577)に築城されたことになる。『日本城郭全集』には「宇喜多の家臣花房助兵衛直次の居城という」とある。宇喜多が播磨へ勢力を伸してくるのは天正十年以降の事で、上郡地区は駒山城の長船越中守の領地となっていて花房助兵衛直次の名は見当たらない。慶長五年(1600)の宇喜多の分限帳には花房志摩守以下数名の花房姓の者が記されていて、花房直次も実在の可能性が高い。しかし天正十年の赤穂郡内の所領関係を記した資料中には長船越中守の名はあるが花房助兵衛の名は記されていない。『日本城郭大系』にはこの他に「別所河内守居城(天正年間)」「天正年中花房助太夫居城」と書かれている。
(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)