正しさじゃなく常識でもなく、ほんとに言いたいのはそこじゃないでしょ? | Singer&ソウルメッセンジャーKanakoの魂を揺さぶるブログ

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札幌で個人セッションをやっています。本来の自分を取り戻すきっかけになればと思います。Skypeなどで全国対応可能。魂を揺さぶるソウルフルなメッセージを発信中!Singerとしても活動中★

出演します星
私達の会場となるmuseさんのサイトで
ご紹介していただいてます( *´艸`)
間宮瑛士&Kanakoの出番は20時から
何とトリを務めさせていただきますポーンポーン
今回はピアノのrikaさんにお手伝いいただき
楽しんできたいと思います(ノ´▽`)ノ
お近くの方は是非見に来てくださいね~
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「全く、常識ねーな!」
「あいつ常識ないんだよね」などの
発言を黙って聞いているわたしの頭の中では
ああ、このひとは
自分のことを常識があると
思っているんだな~と静かに観ています
自分のことは良く見えないものですね
(・∀・)
 
 
 
 
 
てゆーか
 
 
 
常識ってなに!?
 
 
 
常識って
何!?
 
 
どこからどこまでが常識か
非常に定義が曖昧なうえ
時代によって
または地域によって
育った環境によって
様々な要因で変わるわけです
 
 
 
さらに
自分の常識=他人の常識
ではないですね
 
1000人いたら1000人
細かく見ていくと
全く同じひとはいないと思います
近いひとはいてもね
 
 
 
 
なので【常識がない】という批判は
かなりザックリなんですよね
 
 
 
 
そもそも
批判したくなる理由って
そこじゃないと思うんです
 
 
 
 
その常識がない?とされる言動で
自分の何かが傷付いたからだと
思うのです
 
 
 
 
何が正しい
何が間違いなんてのも
全く興味が持てず
不毛な争いだと感じる
 
 
 
 
常識をふりかざすより
正しさを主張するより
自分が本当は何を感じているのか
見つけることが出来たなら
相手に対する苛立ちは
変わらないかもしれない
それでも
自分の【ほんとうのきもち】がわかる
 
 
 
 
確かにそこには
見たくないような
不安や寂しさや
弱くてカッコ悪い気持ちが
ゴロゴロ転がっていたとしても
 
 
 
 
ただただ正しさを主張するより
自分の【ほんとうのきもち】を
認めて受け入れてるひとは
カッコいいと思う
 
 
 
 
正直に生きてるひとが好きだな
そしてわたしも正直に生きていきたい
 
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