プロレス人間交差点 木村光一☓加藤弘士〜アントニオ猪木を語り継ごう!〜 前編「偉大な盗人」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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「人間は考える葦(あし)である」



これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。


プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。



 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

前回は新日本プロレスの棚橋弘至選手と作家・木村光一さんの「対談という名のシングルマッチ」をお送りしました。


プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 


前編「逸材VS闘魂作家」  

後編「神の悪戯」 

 

第二弾となる今回は作家・木村光一さんとスポーツ報知の加藤弘士さんによる刺激的激論対談をお送りします。

 

 

 

 

 

(この写真は御本人提供です)

 

 

木村光一

1962年、福島県生まれ。東京造形大学デザイン学科映像専攻卒。広告企画制作会社勤務(デザイナー、プランナー、プロデューサー)を経て、'95年、書籍『闘魂転生〜激白 裏猪木史の真実』(KKベストセラーズ)企画を機に編集者・ライターへ転身。'98〜'00年、ルー出版、いれぶん出版編集長就任。プロレス、格闘技、芸能に関する多数の書籍・写真集の出版に携わる一方、猪木事務所のブレーンとしてU.F.O.(世界格闘技連盟)旗揚げにも協力。

企画・編著書に『闘魂戦記〜格闘家・猪木の真実』(KKベストセラーズ)、『アントニオ猪木の証明』(アートン)、『INOKI ROCK』(百瀬博教、村松友視、堀口マモル、木村光一共著/ソニーマガジンズ)、『INOKI アントニオ猪木引退記念公式写真集』(原悦生・全撮/ルー出版)、『ファイター 藤田和之自伝』(藤田和之・木村光一共著/文春ネスコ)、Numberにて連載された小説『ふたりのジョー』(梶原一騎・真樹日佐夫 原案、木村光一著/文春ネスコ)等がある

 

木村光一さんによる渾身の新作『格闘家 アントニオ猪木』(金風舎)が発売中!

 

格闘家 アントニオ猪木【木村光一/金風舎】

 

 

 

 

 

YouTubeチャンネル「男のロマンLIVE」木村光一さんとTERUさんの特別対談

 

https://youtu.be/XYMTUqLqK0U 

 

 

 

https://youtu.be/FLjGlvy_jes 

 

 

 

https://youtu.be/YRr2NkgiZZY 

 

 

 

https://youtu.be/Xro0-P4BVC8 

 

 

 



(この写真は御本人提供です)

 

加藤弘士(かとう・ひろし)1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。茨城中、水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。6年間の広告営業を経て、2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスク、デジタル編集デスクを経て、現在はスポーツ報知編集委員として、再びアマチュア野球の現場で取材活動を展開している。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。


(画像は本人提供です)

『砂まみれの名将』(新潮社) 阪神の指揮官を退いた後、野村克也にはほとんど触れられていない「空白の3年間」があった。シダックス監督への転身、都市対抗野球での快進撃、「人生最大の後悔」と嘆いた采配ミス、球界再編の舞台裏、そして「あの頃が一番楽しかった」と語る理由。当時の番記者が関係者の証言を集め、プロ復帰までの日々に迫るノンフィクション。現在6刷とヒット中。




今回の対談のテーマは「アントニオ猪木を語り継ごう!」です。

2022年に逝去されたプロレス界のスーパースター「燃える闘魂」アントニオ猪木さんについて、数々の猪木本や昨年『格闘家 アントニオ猪木』(金風舎)が発売になり話題を呼んだ「孤高の闘魂作家」木村光一さんと、大ヒット野球ノンフィクション『砂まみれの名将』(新潮社)の著者で、猪木さんを愛するプロレスファンである「活字野球の仕事師」加藤弘士さんに、大いに語っていただける場をご用意しました。

 

 

木村さんと加藤さんの対談は、こちらの5つのテーマに絞って行いました。ちなみに私は進行役としてこの対談に立ち会いました。

 

1.アントニオ猪木さんの凄さとは?

2.アントニオ猪木さんの好きな技

3.アントニオ猪木さんのライバルとは?

4.アントニオ猪木さんの好きな名勝負

5.アントニオ猪木さんとは何者だったのか?

 

 

アントニオ猪木とは何か? 

その答えのヒントになる対談、是非ご覧下さい!




プロレス人間交差点 

「孤高の闘魂作家」木村光一☓「活字野球の仕事師」加藤弘士

〜アントニオ猪木を語り継ごう!〜

前編「偉大な盗人」








『砂まみれの名将』著者、木村さんの新作『格闘家 アントニオ猪木』を大絶賛!

「ものすごい発見と気づきがあって、何か自分の中での疑問点が全部、腑に落ちていくような大変意義深い一冊」(加藤さん)



──木村さん、加藤さん、「プロレス人間交差点」にご協力いただきありがとうございます!今回はアントニオ猪木さんについてとことん語り尽くす対談となっております。よろしくお願いいたします!


木村さん よろしくお願いいたします!


加藤さん よろしくお願いいたします!


──今回の対談は2022年に逝去された”燃える闘魂”アントニオ猪木さんを語り継ぐがテーマなのですが、ちなみに加藤さんは2023年10月に発売された木村さんの新作『格闘家 アントニオ猪木─ファイティングアーツを極めた男─』(金風舎)をご覧になられましたか?


加藤さん もちろんです!『格闘家 アントニオ猪木』は本当に読み応えがあって、僕が全然知らない猪木さんをたくさん知ることができて、大変感服しました。令和の時代に猪木さんの強さのルーツを探るというのは凄くチャレンジングな一冊だったと思います。今まで気づかなかった猪木さんの強さの裏側をこの本を通じて知ることができて、「読んでよかったな!」と思えました。


木村さん 恐れ入ります!


加藤さん 僕は今、49歳なんですけど、『プロレススーパースター列伝』を読んで「ほんまかいな」と思いながら、そこから色々な書籍を読んで自分の中での猪木史を書き加えていくような作業をしてきて、猪木さんの「強さ」のルーツがカール・ゴッチさんとの出逢い以前にあったことが新しい発見でした。プロ柔道の大坪清隆さんの存在とか、吉原功さんからレスリングを習得、僕らからするとビリビリにシャツを破かれしまうレフェリーという印象が強い沖識名さんが実はハワイアン柔術の達人だったということなど、ものすごい発見と気づきがあって、何か自分の中での疑問点が全部、腑に落ちていくような大変意義深い一冊でした。


木村さん ありがとうございます! 加藤さんと私はちょうど一回り年齢が違うんですよね。当然、アントニオ猪木の捉え方にも溝があるんだろうなと、今日はある程度覚悟して対談に臨んだので素直に嬉しいです!


──木村さん、今の加藤さんのコメントは『格闘家 アントニオ猪木』最高のレビューになったんじゃないですか!


木村さん いや、まさに我が意を得たり! そのままストレートに受け止めていただけてなにより! 爽快な気分です(笑)。


加藤さん 日本プロレスは本当に各ジャンルのフィジカルエリートが集った梁山泊だったんですね。


木村さん そうなんです。猪木さんのレスラーとしての出発点について、まずその背景をよくよく調べてみて確信したことがそれでした。年齢的に力道山をリアルタイムで観ていない私は日本プロレスの選手たちに対して角界や柔道界で食い詰めた人たちというネガティブなイメージを抱いていたんですけど、時計の針を戻して当時の日本プロレス道場の光景をよくよく想像してみると、フィジカルエリートの代表である大相撲の幕内経験者がズラリと顔を揃えていたばかりか、木村政彦さんが戦後進駐軍の占領政策によって骨抜きにされた武道の再興を志して旗揚げした“プロ柔道”に参加していた柔道界の猛者や“柔拳”(柔道vs.ボクシングの異種格闘競技)や“アマレス”といったさまざまな格闘技のエキスパートもいた。とくにプロ柔道は指関節や脊椎への逆関節、バスターや胴絞めもOKというかなり危険な格闘技だったそうで、猪木さんは17歳のときにブラジルから日本に帰ってきて、いきなりそんな絶望的にヤバイ世界に放り込まれた。そんな道場での原体験がその後のアントニオ猪木のプロレスを決定づけたのは間違いありません。


加藤さん 本当に殺しに行くような感じもあって、今のスポーツ化されたものとは少し違って、生か死かがダイレクトにあった時代ですよね。


木村さん 観客の側にも戦争の生々しい記憶があったわけですし、適当にお茶を濁すようなヌルイ試合は見透かされたに違いありません。私の父親は昭和30年代後半から40年代のはじめ頃、福島の片田舎でプロレスの興行にも携わっていたのですが、あからさまに手を抜いた試合をされて頭に来て二度と呼ばなかったと聞いてます。プロレス人気爆発の引き金は正義の日本人が悪の外国人を倒す、いわゆる鬼退治という単純な構図だったのは間違いありませんが、観客はそれ以前に相撲や柔道を見慣れていたわけですし、最初のうちは達人同士によるシリアスな演武やプロの喧嘩としての側面も求められていたんじゃないでしょうか。少なくとも猪木さんが入門した頃の日本プロレスには、たしかに達人と呼ばれるに相応しい強さをもった実力者もいたわけですから。


加藤さん 彼らはプロレスという名の演武を全国で興行を展開して、お客はそれに木戸銭を払って見に行っていたんですね。日本プロレスに関してはふきだまりの淀んだ組織のような印象があったんですけど、北沢幹之さんが先輩レスラーから嫌がらせを受けた時に大坪さんが「俺がボコボコにしてやる!」という男気を見せたり、大坪さんと猪木さんがトレーニングを通じて意気投合していって、後に藤波辰巳さんや木戸修さんといった猪木派が集うというのも、日本プロレスに青春物語があったんだろうなと木村さんの本を読んで、改めて思いを馳せるきっかけになりました。


──加藤さんは以前、「猪木さんはトレーニングマシンとかで鍛えたものとはちょっと違うナチュラルで強靭な肉体なんですよ。少年時代にブラジルのコーヒー農園で朝から晩まで働いた過酷な労働環境がもたらした産物かもしれないが、強さにしなやかさを感じるんです」と語ったことがありました。木村さんの本を読まれて、加藤さんが抱いていた猪木さんへの疑問のピースが埋まった感じはしますか?


加藤さん ピースが埋まりましたよ。どう見たって猪木さんのフィジカルはもう別格で、今のようなサイエンスを駆使したトレーニングができなかった時代ですけど、青春時代から陸上競技、ブラジルから日本に帰ってきてからの若き日々を考えると今までの猪木さんの対する疑問が一個一個、氷解されていったような気がします。


──この本には猪木さんと梶原一騎さんの年表を照らし合わせて、空前の70年代格闘技ブームについて考えるという切り口もありましたよね。


加藤さん あの年表は力作で、凄かったです。読み進めたくてもページが先に進まない(笑)。その都度、年表を見返してましたね。色々な楽しみ方ができるお得な本ですよ。


木村さん 第3章の年表は時系列を整理した客観的なデータというより、70年代の第1次格闘技ブームの熱狂をリアルタイムで体験した読者の記憶のインデックスとして作成しました。後追いのプロレスファン、格闘技ファンにはなかなか伝えるのが難しいのですが、極論を言えば、私は梶原一騎のフィクションとアントニオ猪木のリアルのせめぎ合いがなかったらその後のプロレスも格闘技もまったく別のカルチャーになっていたと思うし、もっといえば100万人の青少年の生き方に影響を与えたと思っています。梶原先生と猪木さんが交錯した格闘技ブームの影響はそれくらい巨大なものでした。それをぜひ、当時を知る生き証人である同世代の猪木ファンの皆さんにも語り継いでいただきたい。そのための手引書として『格闘家アントニオ猪木』を活用してもらえたら、まさに、冥利に尽きます。



二人が語るアントニオ猪木さんの凄さ

「猪木さんは多面体でさまざまな顔を持っていて、いずれも一流。パフォーマーであってプロモーターでもあって、政治家でもあった。やっぱりスーパースター」(加藤さん)

「古舘伊知郎さんがかつて猪木さんのプロレススタイルを模倣したハルクホーガンを『華麗なる盗人』と命名してましたよね。猪木さんはその上を行く『偉大な盗人』だったんじゃないか」(木村さん)




──ありがとうございます。ここから本題に入ります。まずはお二人が考えるアントニオ猪木さんの凄さについて語っていただきたいです。加藤さんからよろしくお願いいたします。


加藤さん そうですね。猪木さんは多面体でさまざまな顔を持っていて、いずれも一流。パフォーマーであってプロモーターでもあって、政治家でもあった。大変凡庸な言い方になりますが、やっぱりスーパースターであることだと思うんですね。大変な星のもとに生まれてきた方で、このような人生を歩んだのは運命としか言いようがないです。


──確かにそうですね!


加藤さん 木村さんの本に初代若ノ花が力道山に「自分に猪木を預からせてほしい」と言ったという記述がありましたが、猪木さんはどんなことをやっても成功されて名を残してたと思いますが、やっぱりプロレスという魑魅魍魎なジャングルに迷い込んでしまったことで世の中が大きく変わっていくという奇跡にただただ感謝するだけですね。力道山さんとの出逢い、同期にジャイアント馬場さんがいたこと、プロデビューがモハメド・アリとほぼ同時期だった偶然とか、すべてが神の見えざる手によって描かれたドラマのような気がしました。


──神の見えざる手!それは何となく感じますね。


加藤さん あと猪木さんの凄さとして大変な努力家だったということですね。トレーニングを熱心にされていて、好奇心旺盛で、色々な技術に興味を持って実際に汗を流して習得していったのが猪木さんで、その努力を続けて年齢を重ねてもいつまでも肉体をキープし続けた猪木さんに出逢えたのは僕にとっては大きな幸福でした。


──ありがとうございます。では木村さん、お願い致します。


木村さん 言おうと思っていたことを全部言われてしまいました(笑)。なので加藤さんの意見の補足にしかなりませんが、古舘伊知郎さんがかつて猪木さんのプロレススタイルを模倣したハルクホーガンを「華麗なる盗人」と命名してましたよね。私、猪木さんはその上を行く「偉大な盗人」だったんじゃないかなと思うんです。


加藤さん おおお!


木村さん そもそも相撲や柔道といった格闘技の下地がなかった猪木さんの目には、さきほども言いましたがプロレス界はとてつもなく怖ろしい化け物だらけの世界に映ったはずです。その不安を拭い去るためには一刻も早く対抗する術を身につける必要があった。そうでないと生き残れない。それって本人にとってはブラジルのジャングルの奥地で必死に毎日を生きていた頃の心境と大して変わりがなかったんじゃないでしょうか。


加藤さん 日本プロレスで日々をどう無事に過ごし、どうやったら頭角を現わせるのかって大変な作業ですよね。


木村さん 実際、猪木さんに日本プロレスの道場でジャイアント馬場さんや先輩のマンモス鈴木選手を初めて見たときの印象について伺ったことがあるんですが「俺はとんでもないところに来てしまった…」と半ば絶望的な気分になったと語っていました。


──10代の若者にとっては、刺激が強すぎる世界ですよね。


木村さん 猪木さんはブラジルでも自分よりデカい奴に出会ったことがなかったとも言ってましたから、馬場さんやマンモスさんの姿は異世界の怪物に見えたに違いありません。たぶん、自分の体格でもアドバンテージはないと思い知らされた猪木さんは、その時点できっぱり割り切ったんでしょう。この埋められない体格差を克服するにはより強靭なフィジカルとテクニカルな強さを手にいれるしかないと。幸いなことに日本プロレスの道場には大坪清隆さんという高専柔道の達人、レスリングの吉原功さんというストイックに強さを追求していた先輩方がいた。猪木さんが彼らに憧れてどんどん感化されていったのは当然の成り行きだったと思います。


加藤さん 多感だった頃の記憶が後々にずっと影響を残す典型的な例ですよね。


木村さん もう一つ付け加えると、その頃の猪木さんにとってプロレスはイコール力道山。そして力道山のどこに猪木さんが強く惹かれたのかというと“怒り”でした。力道山はあの時代の日本人のフラストレーションを全て背負ってリング上で爆発させていました。それはヒーローを演じていた力道山というレスラーの表現に他ならなかったわけですが、師匠の付き人も務めながらリング外の生き様もすぐ傍らで見つめていた猪木さんにすればその怒りの表現は演技の一言などでは済まされなかった。おそらくは救いのないほどドロドロでネガティブな感情さえも観客に感動やカタルシスを与える原動力に換えてしまう精神力、つまりそれが不撓不屈(ふとうふくつ)の“闘魂”であり、見習うべき本当のプロレスラーの強さなのだと早いうちから骨身に染みていたのだと思います。




猪木さんは特殊な嗅覚や本能に従って行動をしていただけなのかもしれませんが、凄いのはそれがジャンルの壁や時代さえ超越していたこと」(木村さん)





──日本プロレス時代の原体験が猪木さんのアイデンティティーになったんですね。


木村さん はい。猪木さんにとってプロレスとは力道山から学んだ心技体の強さの表現であり、まずはリアルに強くなることに没頭していった。自分は怪物ではないからこそ、強さを求め続けなければいけないという宿命を迷わず受け入れられたんじゃないでしょうか。


加藤さん 猪木さんの成り立ちを考えてみると、やっぱり一国一城の主となって1972年に新日本プロレスを旗揚げした際に、とにかく強さを押し出して、その象徴としてカール・ゴッチを招聘したのは合点がいく話ですよね。


木村さん そうですね。猪木さんは自分が強いと認めたレスラーからつねに一流であるための必要なエッセンスを貪欲に盗み取っていたんですが、それは意図してそうしていたというより、生きていく上で当たり前のことだったのかもしれません。


加藤さん 生存本能だったんでしょうね。


木村さん はい。その最たる例がブラジル遠征の際に挑戦してきたバーリトゥード王者のイワン・ゴメスとの交流です。『格闘家アントニオ猪木』の取材で北沢幹之さんにあらためてインタビューしたのですが、猪木とゴメスは公式には試合という形での対戦はなかったものの、新日本の道場ではかなり高度なスパーリングを行なっていたという証言を得ています。猪木さんは日本プロレス道場で柔術に近い高専柔道の技術を身につけていただけでなく、後年にはゴメスからバーリトゥードの技術まで盗んでいたんですよ。UFCが登場する遙か以前にね。


加藤さん イワン・ゴメスと出逢って「これは我々にとって必要なもの」と好奇心を抱いて会得していくわけですね。ヒールホールドを猪木さん、藤原喜明さんや佐山聡さんはゴメスから学んで、とんでもない貪欲さであり、どんなものでも自分に吸い込んでしまう壮絶なブラックホールなんですね。


木村さん 強さだけでなく、実現不可能といわれたモハメド・アリ戦を実現させたことで世界的なネームバリューも手に入れましたからね。まさにブラックホールです。


加藤さん 猪木さんのテーマ曲『炎のファイター』は今でも高校野球の甲子園大会でNHKから流れるわけですから。


──チャンスになるとよく流れますね!


木村さん 猪木さんは特殊な嗅覚や本能に従って行動をしていただけなのかもしれませんが、凄いのはそれがジャンルの壁や時代さえ超越していたこと。『格闘技世界一決定戦』で対戦したウイリエム・ルスカ(柔道金メダリスト)やモハメド・アリ(プロボクシング・ヘビー級王者)といった世界チャンピオンの称号を持つアスリートから“熊殺し”ウイリー・ウイリアムス(空手)に至るまで、あの当時の世界の格闘技界の全てを呑み込んでしまったばかりか、未来を予知していたかのようにバーリトゥードとも接点を持っていたわけですから。


加藤さん その通りです。後に1984年に第一次UWFが立ち上げに至る経緯とか、もうめちゃくちゃじゃないですか。でも結果的には新しい総合格闘技の発展に図らずも寄与してしまう。猪木さんが考えているところじゃなくて、事が転がっていくような気がして、そのバイタリティーに虚と実を織り交ぜながら回転体として進行していくダイナミズムがもうたまりませんね。



猪木さんを神格化、猪木原理主義者について

「猪木さんと同時代で生きた人間として猪木さんだけと信じて見るよりも、様々な形や視野で猪木さんの生涯を楽しむ方が、猪木さんから学んだ人間としての今後の生き方」(加藤さん)

「神格化してしまったらアントニオ猪木の本当の凄さが見えなくなってしまう。神様なら奇跡を起こして当たり前ですから。猪木さんは生身の人間でありながら、それでも奇跡のようなことを幾つも成し遂げたから素晴らしい」(木村さん)





──ちなみにひとつお聞きしたいことがあります。猪木さんが2022年に亡くなってから数々の書籍やイベントが開催されました。SNSの中では猪木さんを神格化していく傾向が一部であって、これの行き過ぎはいかがなものかという意見もあります。猪木原理主義者という言葉もSNS上でありますが、この件についてお二人はどのように思われますか?


加藤さん 猪木原理主義者になる人の気持ちはよく分かりますので、そういう人たちを批判する気にはなれないです。ただ猪木さんから学んだことは「本当か、嘘か」「パフォーマンスかガチンコなのか」と多面的に物事を見ることで、猪木さんと同時代で生きた人間として猪木さんだけと信じて見るよりも、様々な形や視野で猪木さんの生涯を楽しむ方が、猪木さんから学んだ人間としての今後の生き方じゃないかなという気がしています。


木村さん 全く同意見です。よく誤解を受けますが、私も猪木原理主義者ではないですし、猪木さんを神格化するという動きに関しては反対です。なぜかというと、神格化してしまったらアントニオ猪木の本当の凄さが見えなくなってしまう。神様なら奇跡を起こして当たり前ですから。猪木さんは生身の人間でありながら、それでも奇跡のようなことを幾つも成し遂げたから素晴らしいんです。


加藤さん そうなんですよ!


──木村さん、今の意見は素晴らしいですよ。人間・アントニオ猪木が奇跡を起こしたことに猪木さんの偉大さがあるんですね。


木村さん その本質部分を見失ってしまうとすごく気持ち悪いし、猪木さんほど人間らしいと言いますか、あんなに欲望に忠実で生々しい人もいなかった。それを全部綺麗ごとで包み込んでしまったらアントニオ猪木は遠くなるばかりでどんどんつまらなくなってしまう。私はそう思います。


加藤さん デオドラントスプレーを振って、汗のにおいを抑えちゃうと、猪木さんの匂いは嗅げないですよ。嫉妬、裏切り、金銭面も含めても色々出てきますけど、それを全部ひっくるめてのアントニオ猪木の凄さであり、面白さなんですよ。



木村さん、衝撃のカミングアウト!

「WJプロレスの旗揚げは一度計画段階で頓挫しているんですが、その最初の企画書を作成したのが私だったんです」(木村さん)




──実は2023年12月2日に大阪・ロフトプラスワンウエストで行われた『昭和プロレス復活祭』というイベントがありまして、そこでミック博士さんの妄想と言いつつ裏社会の話と数々の証言や文献を組み込んで鋭く物事の真実に迫る手法で「ジャパンプロレスとUWF」「馬場さんと猪木さんの関係」についてかなり興味深く語っていたので、そこからの影響で、猪木原理主義者についての質問をさせていただいたものでした。


木村さん なるほど、じゃあ、そういう流れになったのでちょっと…。これは初めて打ち明ける話です。長州力さんが立ち上げたWJプロレスってあったじゃないですか? 実は、私、どうやら知らず知らずのうちにあの団体の旗揚げに関わっていたようなんです。


──え? どういうことですか?


木村さん WJプロレスの旗揚げは一度計画段階で頓挫しているんですが、その最初の企画書を作成したのが私だったんです。


加藤さん ええええ!


──きました!木村さんのカミングアウト(笑)。


木村さん 当時、私は95年出版の『闘魂転生』という書籍の企画を新日本プロレスのAさんに持ち込んだのをきっかけに親しくなって、よく個人的に頼まれて企画書を作成していた時期があったんです。その中の1本が長州力選手を中心にした“第2新日本プロレス”の旗揚げに関する企画書でした。ところで、加藤さんは内外タイムスの記者を経て、その後何社も出版社を立ち上げてベストセラーを連発した宮崎満教さんという人物をご存じですか?


加藤さん もちろんです!大有名人です。


木村さん 私は広告会社を辞めたあとにフリーランスのプランナー兼ライターのような立場でAさんや猪木事務所とお付き合いするようになってから、さらに『ワールドプロレスリング』の元プロデューサーの栗山満男さんとも知り合い、その栗山さんから宮崎満教さんを紹介していただいてルー出版、いれぶん出版の編集長という肩書きで書籍や写真集の出版に携わるようになったんです。また宮崎さんと梶原一騎先生の実弟である真樹日佐夫先生が親しい関係にあり、お二方の後押しもあって、梶原一騎・真樹日佐夫原案のボクシング小説『ふたりのジョー』を1年間、Numberに執筆する機会に恵まれたんですよ。


──凄まじい人間関係の中でお仕事をされてたんですね!


木村さん で、そんなカオスな状況にあった私のもとに突然Aさんから持ち込まれた話が「新日本プロレスを2つに分けたい。で、第2新日本のトップを長州力にする。これは猪木も承知の件だから企画は任せる」というものだったんです。


加藤さん そうだったんですね!


木村さん 団体設立の趣意書と事業計画書を書き上げて手渡すと、次にスポンサー探しも依頼され、そこで宮崎さんと繋がりのある芸能事務所に動いてもらってスポンサーも決まりかけたんです。ところがある日、Aさんから呼び出されて「あの話は御破算になった。例の企画書もすべて破棄してくれ!」と。要するに最初に聞かされた猪木さんも承知していたという話は真っ赤な嘘で、危うくその片棒を担がされるところだったんです。


──今の話はAさんらしいです。


木村さん どうやらそのときいったんボツになった企画が数年後、スポンサーを変えて誕生したのがWJプロレスだった、とそういうわけです。一時期、団体の副社長に就任した宮崎さんから「WJのマッチメイクをやらないか」と誘われたこともありましたが、きっぱりお断りしました。


──木村さんはUFOの設立趣意書も作成していましたよね。もし第2新日本プロレスの話が進展していたら非常に複雑な立場になっていましたね。ちなみにAさんからの企画の依頼はいつ頃だったか覚えていますか?


木村さん 1999年だったと思います。たぶん時系列的にも合ってますよね。




「猪木さんを取り巻く環境はずっと複雑な関係ですよね。敵か味方なのか万華鏡のように姿を変えていくようですね。仲違いしているのに、また結託するとか」(加藤さん)



──合いますね。猪木さんと長州さんが本格的に暗闘している時期で、新日本の経営陣が坂口征二さんから藤波辰爾選手に社長が交代された年ですね。


加藤さん 猪木さんを取り巻く環境はずっと複雑な関係ですよね。敵か味方なのか万華鏡のように姿を変えていくようですね。仲違いしているのに、また結託するとか。これは木村さん、この話も含めて後に一冊にまとめていただきたいですよ。


──猪木さんの人間関係は亡くなった今もずっと魑魅魍魎の世界なんですよ。


木村さん 正直、プロレス界に片足を突っ込んでいた頃にはいろいろありました。が、少なくとも私は猪木さんとの直接の関わりの中で嫌な思いをしたことはなかったんですよ。残念ながら最後は袂を分つ形になりそれきりになってしまったものの、そこに裏切りや陰謀のようなものは一切介在しませんでした。だから猪木さんへの思いはずっと変わらなかったし、それが私にとっては誇りでもあったんです。昨年の秋、あえて一周忌に『格闘家アントニオ猪木』という本を上梓したのも、そのテーマの普遍性と気高さは誰にも穢されないと確信していたからです。


加藤さん 裏切りや様々な欲がまみれている話も面白いんですけど、『格闘家 アントニオ猪木』は本当にピュアな1人の格闘家としてのアントニオ猪木にフィーチャーしたすごく読後感が良いんですよね。このタイミングで世に出されたのは意義深いですよ。


(前編終了)