プロレス人間交差点 木村光一☓加藤弘士〜アントニオ猪木を語り継ごう!〜 後編「闘魂連鎖」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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「人間は考える葦(あし)である」



これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。


プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。



さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

前回は新日本プロレスの棚橋弘至選手と作家・木村光一さんの「対談という名のシングルマッチ」をお送りしました。


プロレス人間交差点 棚橋弘至☓木村光一 


前編「逸材VS闘魂作家」  

後編「神の悪戯」 

 

第二弾となる今回は作家・木村光一さんとスポーツ報知の加藤弘士さんによる刺激的激論対談をお送りします。

 

 

 

 

 

(この写真は御本人提供です)

 

 

木村光一

1962年、福島県生まれ。東京造形大学デザイン学科映像専攻卒。広告企画制作会社勤務(デザイナー、プランナー、プロデューサー)を経て、'95年、書籍『闘魂転生〜激白 裏猪木史の真実』(KKベストセラーズ)企画を機に編集者・ライターへ転身。'98〜'00年、ルー出版、いれぶん出版編集長就任。プロレス、格闘技、芸能に関する多数の書籍・写真集の出版に携わる一方、猪木事務所のブレーンとしてU.F.O.(世界格闘技連盟)旗揚げにも協力。

企画・編著書に『闘魂戦記〜格闘家・猪木の真実』(KKベストセラーズ)、『アントニオ猪木の証明』(アートン)、『INOKI ROCK』(百瀬博教、村松友視、堀口マモル、木村光一共著/ソニーマガジンズ)、『INOKI アントニオ猪木引退記念公式写真集』(原悦生・全撮/ルー出版)、『ファイター 藤田和之自伝』(藤田和之・木村光一共著/文春ネスコ)、Numberにて連載された小説『ふたりのジョー』(梶原一騎・真樹日佐夫 原案、木村光一著/文春ネスコ)等がある

 

木村光一さんによる渾身の新作『格闘家 アントニオ猪木』(金風舎)が発売中!

 

格闘家 アントニオ猪木【木村光一/金風舎】

 

 

 

 

 

YouTubeチャンネル「男のロマンLIVE」木村光一さんとTERUさんの特別対談

 

https://youtu.be/XYMTUqLqK0U 

 

 

 

https://youtu.be/FLjGlvy_jes 

 

 

 

https://youtu.be/YRr2NkgiZZY 

 

 

 

https://youtu.be/Xro0-P4BVC8 

 

 

 



(この写真は御本人提供です)

 

加藤弘士(かとう・ひろし)1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。茨城中、水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。6年間の広告営業を経て、2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスク、デジタル編集デスクを経て、現在はスポーツ報知編集委員として、再びアマチュア野球の現場で取材活動を展開している。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。


(画像は本人提供です)

『砂まみれの名将』(新潮社) 阪神の指揮官を退いた後、野村克也にはほとんど触れられていない「空白の3年間」があった。シダックス監督への転身、都市対抗野球での快進撃、「人生最大の後悔」と嘆いた采配ミス、球界再編の舞台裏、そして「あの頃が一番楽しかった」と語る理由。当時の番記者が関係者の証言を集め、プロ復帰までの日々に迫るノンフィクション。現在6刷とヒット中。




今回の対談のテーマは「アントニオ猪木を語り継ごう!」です。

2022年に逝去されたプロレス界のスーパースター「燃える闘魂」アントニオ猪木さんについて、数々の猪木本や昨年『格闘家 アントニオ猪木』(金風舎)が発売になり話題を呼んだ「孤高の闘魂作家」木村光一さんと、大ヒット野球ノンフィクション『砂まみれの名将』(新潮社)の著者で、猪木さんを愛するプロレスファンである「活字野球の仕事師」加藤弘士さんに、大いに語っていただける場をご用意しました。

 

 

木村さんと加藤さんの対談は、こちらの5つのテーマに絞って行いました。ちなみに私は進行役としてこの対談に立ち会いました。

 

1.アントニオ猪木さんの凄さとは?

2.アントニオ猪木さんの好きな技

3.アントニオ猪木さんのライバルとは?

4.アントニオ猪木さんの好きな名勝負

5.アントニオ猪木さんとは何者だったのか?

 

 

アントニオ猪木とは何か? 

その答えのヒントになる対談、是非ご覧下さい!



プロレス人間交差点 木村光一☓加藤弘士〜アントニオ猪木を語り継ごう!〜 前編「偉大な盗人」 




プロレス人間交差点 

「孤高の闘魂作家」木村光一☓「活字野球の仕事師」加藤弘士

〜アントニオ猪木を語り継ごう!〜

後編「闘魂連鎖」








猪木さんの好きな技とは?

「猪木さんのジャーマンは本当に美しくて、カール・ゴッチの流れを継ぐ大変誇りに満ちた芸術」(加藤さん)

「リバース・インディアン・デスロックは格闘家としてのアントニオ猪木とプロレスラー猪木が矛盾なく融合している」(木村さん)



──ここでお二人にはアントニオ猪木さんの好きな技について語っていただいてもよろしいでしょうか。まずは加藤さんからお願い致します。


加藤さん  二つあります。ひとつはジャーマン・スープレックス・ホールドです。ジャーマンはプロレスラーにとっての美しさの象徴であり、技使いの基準の一つとして考えています。猪木さんのジャーマンは本当に美しくて、カール・ゴッチの流れを継ぐ大変誇りに満ちた芸術ですよね。しかも滅多に出さないところも含めて大好物でした。


──猪木さんのジャーマンは多くの名勝負でフィニッシャーとなった芸術品ですよね。


加藤さん  そうですね。もう一つはリバース・インディアン・デスロックですね。見栄の切り方がたまらないんですよ(笑)。小学生の時に勝田市総合体育館で猪木さんのリバース・インディアン・デスロックを生で見たことがあって、足を固めてから「みんな俺を見ろ!」とお客さんを煽ってから後ろに倒れるじゃないですか。あれは痺れましたよ。会場のみんなが猪木さんの虜にさせるような僕の好きな技ですね。


──ちなみに猪木さんのジャーマンで印象に残っている試合はありますか?


加藤さん リアルタイムでは体感できませんでしたが、1974年3月19日、蔵前国技館でのストロング小林戦でフィニッシュホールドになったジャーマンは別格でしょう。勢い余って両足が宙に浮くシーンがたまりません。今でこそビデオで何度も見直せますが、当時は生観戦かテレビ中継における「聖なる一回性」だったことを考えると、名勝負として語り継がれるのは結びの芸術性と気迫…まさに「燃える闘魂」の象徴としてのジャーマンだったと言えるんじゃないでしょうか。見た者の人生を狂わせたジャーマンですよ。


──ありがとうございます。では木村さん、お願い致します。


木村さん 私が大好きな猪木さんの技も加藤さんと同じくリバース・インディアン・デスロックなんですよ。この技は格闘家としてのアントニオ猪木とプロレスラー猪木が矛盾なく融合している。というのも、相手を完全に制圧して反撃できない状態にした上で、そこではじめて猪木さんは観客に向けてたっぷりと間をとって見栄を切っていたわけです。パフォーマンスのタイミング的にも合理的で嘘がない。だから見ている側もあの瞬間は猪木の表情や身のこなしに全集中できるんだと思います。もちろん卍固めもコブラツイストも素晴らしいです。特にコブラツイストは、近年になって格闘技の技術として注目を集めていますが、私にとって千両役者アントニオ猪木の華をもっとも堪能できる技はなんといってもリバース・インディアン・デスロックなんです。


加藤さん ここで一致して嬉しいです(笑)。木村さんにお聞きしたいのですが、グラウンド・コブラあるじゃないですか。確か長州力戦の決まり手になりましたよね。


木村さん 長州選手のリキ・ラリアットをかわしてコブラツイストからのグラウンド・コブラで3カウントというフィニッシュでした。




──1984年8月2日・蔵前国技館での一騎打ちでした。


加藤さん このグラウンド・コブラがずっと気になっている技で、引退が近くなっていく晩年の猪木さんがウィリー・ウィリアムス戦、ドン・フライとの引退試合で、グラウンドコブラを用いてギブアップ勝ちしているじゃないですか。なぜ猪木さんが晩年になってグラウンドコブラを使うようになったと思われますか?


木村さん 私が初めて猪木さんのグラウンドコブラを見たのはモンスターマンとの再戦(1978年6月7日・福岡スポーツセンター/格闘技世界一決定戦)だったと記憶しています。あの時のグラウンドコブラは相手がレスラー体型でないせいなのかプロレス技とは違う形に決まった感じがしてとくに印象に残ったんです。が、猪木さんは1978年のモンスターマンとの異種格闘技戦でこの技をフィニッシュにして以来、1984年の長州戦までこの技は使っていなかったようにも記憶してます。


加藤さん 僕は1981年から『ワールドプロレスリング』を毎週見てますけど、猪木さんは長州戦で披露するまで多分グラウンドコブラを使ってないですね。



「グラウンドコブラは数千年前からレスリング、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンにある重要な技の一つだそうです。第二次UWFのロゴマークがあるじゃないですか。Wのアルファベットの下にあるレスリングのシルエットは、ここからグラウンドコブラに移行する体勢だそうです」(木村さん)



──猪木さん以外だと藤波選手がグラウンドコブラでピンフォールを取っている試合が多かったと思います。


木村さん グラウンドコブラはピンフォールも取れますけど、柔術関係者に聞いた話ですが、頚椎にダメージを与えるかなり危険な技らしいんですよ。


加藤さん ツイスターというんですよね。


──エディ・ブラボーという道着を着用しないグラップリングの世界で活躍したアメリカの柔術家がいまして、彼がグラップリングの試合でツイスターという名称でグラウンドコブラを持ち込んだんですよ。


木村さん 宮戸優光さんから伺ったのですが、グラウンドコブラは数千年前からレスリング、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンにある重要な技の一つだそうです。第二次UWFのロゴマークがあるじゃないですか。Wのアルファベットの下にあるレスリングのシルエットは、ここからグラウンドコブラに移行する体勢だそうです。


──えええ!そうなんですね!ビックリしました。


木村さん で、加藤さんの「なぜ猪木さんがレスラー生活の最晩年になってグラウンドコブラを使うようになったか」という質問の答えがまさにそれだったんです。


──どういうことですか? もう少し詳しく聞かせてください。


木村さん シューティング(修斗)を主宰していた頃の佐山聡さんに「格闘技でも使えるプロレス技はあるんですか?」と質問したことがあったのですが、即、「コブラツイストは格闘技の試合でもフィニッシュに使えます。グラウンドでね」という答えが返ってきました。その少し後にそれまで袂を分かっていた猪木さんと佐山さんが和解し、さきほど加藤さんが挙げたウイリー・ウイリアムスとの17年越しの決着戦が東京ドームで「決め技限定マッチ」(猪木はコブラツイスト、ウイリーは正拳突きでのみ勝敗が決まる特別ルール)として行われたんです(1997年1月4日)。これはアントニオ猪木と総合格闘技の先駆者である佐山聡からの「格闘技に対抗するためプロレス本来の強さを取り戻せ!」というメッセージだったんですが、残念ながら、当時、この一戦はノスタルジー色の強いエキシビションマッチとしか受け止められなかったんです。というのも、その頃のプロレスではすでにコブラはフィニッシュホールドでなくなっていたこともあって誰もピンと来なかったんですね。引退試合のドン・フライ戦もそうで、何十年ぶりかにプロレスを観たという私の親戚の叔母さんも「なんで卍固めじゃなかったの?」と不満気でした。私も「決め技限定マッチ」の意図を猪木さんから聞かなかったら理解できなかったと思います。そもそも、子供の頃にプロレスごっこをやっていた昭和のプロレスファンにとってコブラツイストって「どこが痛いの?」と疑問を持たれる技の代表でもありましたから。


加藤さん 昭和の小学生が休み時間に廊下でコブラツイストの掛け合いをしていましたよね。あれはいい時代でしたね(笑)。


木村さん 身体がまだ出来上がっていない子供同士だとふにゃふにゃしてコブラや卍固めは形にもなりませんでした(笑)。


加藤さん そこで僕らも色々なことに気がついていくわけで(笑)。あと卍固めというネーミングは本当に素晴らしい。そして、古舘伊知郎さんが実況することでより卍固めの特別感が増していったんですよね。


 


「猪木さんと馬場さんはビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーのような関係だと思うんです」(加藤さん)




──ありがとうございます。次のテーマ「猪木さんのライバルとは?」について。猪木さんには数多くの名勝負と共に強豪やライバルが存在したと思います。お二人が考える猪木さんのライバルは誰ですか?まずは加藤さんからお願い致します。


加藤さん 難しい質問ですね…。これは新聞記者として大変凡庸な意見ですがやっぱりジャイアント馬場さんです。猪木さんと馬場さんはビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーのような関係だと思うんです。


──素晴らしいです。分かりやすくて絶妙な例えです!


加藤さん レノンとマッカートニーが同時代に音楽の場で出逢ったように、猪木さんと馬場さんもプロレスの世界で遭遇するわけで、この二人は本来だったら出逢わないはずなんですよ。ジャイアント馬場さん、いや馬場正平さんはプロ野球・読売巨人軍のピッチャーであるべきで、後に色々と調べると馬場さんはそんなにのっそりとしたピッチャーではなく、結構な技巧派で優れたピッチャーだったんです。そこから馬場さんはさまざまな運命の悪戯で日本プロレスに入門して、同時期に地球の裏側から猪木さんが来て、同じ日にデビューするわけですから、本当に奇跡ですよ。


──その通りです。


加藤さん 常に猪木さんは馬場さんへのジェラシーなのか、ひょっとしたら愛情の裏返しだったのか…。なんとも言えない感情があって、この二人の関係性の中でプロレス界の物事が転がっていく様に我々は楽しむことができました。僕はこの二人の出逢いをプロレスの神様にただただ感謝したいです。


──力道山さんが急逝したことによって、日本プロレス界の灯が消えかかったところに馬場さんと猪木さんが台頭してきたことによって、さらに燃え上がったわけですから。二人の功績はあまりにも大きいですよね。


加藤さん  そうですね。また二人の方向性が全然違うので、馬場さんはNWA、猪木さんはカール・ゴッチなので僕らも享受できるプロレスの世界が自ずと広がりました。またこの二人のキャラクターが大変強烈だったことで色々な風景を見られたのはすごく幸せでしたね。


──猪木さんと馬場さんは互いにメインイベンターになってから長年、一騎打ちが熱望されていましたが、結果的に実現しませんでした。この件についていかがですか?


加藤さん 小学生の頃は「やればいいのに」とずっと思ってました。まだ東京ドームのない時代なので、国立競技場とかでやってほしかったなと。でも猪木さんと馬場さんの一騎打ちが実現しなかったという尊さがありますね。そこに二人に優劣や勝敗をつける必要はなかったんじゃないかなと思います。



「猪木さんが歩んだ道は力道山が歩むはずだった道とぴたりと重なる。というより、猪木さんは本来プロレス引退以降の人生で力道山を超えたかったのではないか」(木村さん)



──夢の対決は、実現せずに夢のままで終わったのもよかったのかもしれません。ありがとうございます。では木村さん、お願い致します。


木村さん 私は猪木さんにとって真のライバルは力道山だったのではないかと思っています。


加藤さん おおお!!これは詳しく聞きたいですよ!


──なぜ、猪木さんにとって最大のライバルは力道山さんなのでしょうか?


木村さん 猪木さんの生涯を俯瞰すれば一目瞭然です。実業家としての成功を夢見たり、政界に進んだりしたのは明らかに力道山の影響です。力道山は若くして亡くなりましたけど、生きていれば必ず政界入りしていたと言われています。それに、猪木さんが5歳のときに亡くなった父親も実業家で政界入りを目指していたそうですから資質としても受け継いでいたのではないでしょうか。その辺を踏まえて考えると、猪木さんが歩んだ道は力道山が歩むはずだった道とぴたりと重なる。というより、猪木さんは本来プロレス引退以降の人生で力道山を超えたかったのではないかと、私はそんなふうに感じていました。


──もし力道山さんが存命していて、猪木さんが台頭する頃までメインイベンターとしてリングに上がっていたとした場合、猪木VS力道山の新旧対決はあったと思いますか?


木村さん 力道山は新旧対決を行わず、国民的英雄のまま引退したと思います。そしてその後の日本プロレスを背負って立った主役も変わらなかったような気がします。


──力道山さんが急逝しても存命していても、猪木さんと馬場さんが日本プロレスを背負う運命だったということですね。


木村さん はい。


加藤さん 猪木さんが力道山さんと過ごした時間はそんなに長くなかったと思うんですよ。ただ一番感受性の豊かな時に、あんなに強烈な師匠に出逢って濃密な日々を過ごしたのは猪木さんの生涯にとてつもない影響を与えたんでしょうね。


木村さん 全くその通りです。猪木と力道山の師弟関係は3年8カ月。でもその短い間に猪木さんは裏社会も含めてあらゆる世界を見せられたんだと思うんですよ。表はスーパースターの世界で、特別な人間にしか味わえないものが確かにあった。でもそれと引き換えにとてつもない闇も見せられたと思うんです。その両方を10代の若さで経験してしまったわけですから影響を受けていないはずがない。きっと猪木さんは普通の人間が一生かけても経験できないことを経験したに違いありません。もうその時点で、ある種、プロレスラーを超えてしまったという気がするんです。あの独特な価値観、物事を俯瞰で見る視点はこの時期に培われたんじゃないでしょうか。



「1995年の北朝鮮興行を開催するときに猪木さんが『私の師匠の故郷だから』と収斂していくのも壮大な人間ドラマ」(加藤さん)



──猪木さんは技術も色々なところから吸収していって、帝王学に関しては力道山さんの下で培って、それが後の人生に繋がっているんですね。


加藤さん そこも愛憎がグシャグシャに絡まっていて、尊敬の念もあるけど、「なんで俺だけこんなひどい目に遭わないといけないのか!」という怒りと憎しみもあったのかなと。でもそれが後々に1995年の北朝鮮興行を開催するときに猪木さんが「私の師匠の故郷だから」と収斂していくのも壮大な人間ドラマですよね。 


  


──加藤さんは実際に1995年4月28日&29日メーデースタジアムで行われた北朝鮮平和の祭典を現地観戦してますよね。


木村さん 凄い! それは羨ましい限りです! いろいろ言われていますが、現地の雰囲気は本当のところどうだったんですか?


加藤さん 北朝鮮のあらゆる売店で猪木さんと力道山さんの銅像が並んで売っていて、あの光景をやっぱり思い出しますね。あと猪木さんは二日目(1995年4月29日)にリック・フレアーとメインイベントで闘って素晴らしい名勝負になりましたが、ひょっとしたらあのメーデースタジアムで自分の心の中では力道山さんと闘っていたのかもしれません。


──猪木さんはフレアーと闘いながら、力道山さんという残像と闘っていて、北朝鮮の国民は猪木さんの雄姿を見て、その奥に力道山さんを見たんでしょうね。


木村さん 私は北朝鮮でのリック・フレアー戦がアントニオ猪木の実質上の引退試合であり、力道山の悲願を達成して師匠超えを果たした瞬間だったと思ってます。残念ながらビデオ映像だとメーデースタジアムのスケールと客席の空気感がいまいち伝わってこなかったのですが、生で目撃した猪木・フレアー戦はいかがでした?


加藤さん 猪木VSフレアーは年齢やブランクとかを超越した素晴らしくて、色気のある大ベテランの達人同士の闘いでした。北朝鮮興行はそれまでの試合がほとんど沸かなかったんですけど、猪木さんのナックルパートに怒涛の如く沸いているわけですよ。あれは凄かった!猪木さんの歴史を共有していないであろう北朝鮮の皆さんを初見で大歓声を巻き起こす。これは格闘芸術としか言いようがない僕の中で忘れられない試合です。    





「猪木&藤波VSマードック&アドニスは新日本のストロングスタイルとアメリカンプロレスが最高レベルで融合した『プロレスの完成形』だと思ってるんです」(木村さん)     







──ありがとうございます。では次の話題に移ります。お二人がこの場で語ってみたい猪木さんの名勝負について教えてください。まずは加藤さんからお願い致します。


加藤さん 僕の世代は、猪木VSドリー・ファンク・ジュニア、猪木VSストロング小林、猪木VSビル・ロビンソンをリアルタイムで見られなかった悔しさが凄くあるんですよ。本当にひねくれた形で言うとリック・フレアー戦ですね。僕も木村さんがおっしゃる通り、フレアー戦が猪木さんの引退試合だったと思います。プロレスを知らない人たちに対して、初見で猪木さんは自身のプロレスで「さぁ、見やがれ!」と手玉に取ったあのパフォーマンス。そこには闘いがあったんじゃないかなと。今のような技が多彩でダイナミックなプロレスもいいんですけど、根底には「この野郎!」とフレアーをやっつける姿に北朝鮮の皆さんは沸いたと思うんです。



──猪木VSフレアーは、「INOKI FINAL COUNT DOWN」シリーズにも入っていないんですけど、今の加藤さんの発言は同感です。猪木さんは1994年からスタートした「INOKI FINAL COUNT DOWN」シリーズになると、モチベーションが上がっていないような微妙な試合が目立った印象があったので、フレアー戦がより名勝負として際立ったのかもしれません。それでは木村さん、お願い致します。


木村さん この前のインタビューの時にも言いましたが、アントニオ猪木には名勝負が多すぎて選べないので今回は語り継ぎたい特別なタッグマッチを挙げたいと思います(笑)。1984年12月5日大阪府立体育会館で行われた『第5回MSGタッグリーグ戦』優勝戦・猪木&藤波VSディック・マードック&アドリアン・アドニスというのはいかがでしょう。


加藤さん 素晴らしいです!!


木村さん ご賛同いただきありがとうございます!(笑) 私、この試合は新日本のストロングスタイルとアメリカンプロレスが最高レベルで融合した「プロレスの完成形」だと思ってるんです。


加藤さん 猪木さんのアメリカンプロレスのうまさがこれまた凄い高いレベルでファンをヒートさせるんですよ。


──マードック&アドニスというタッグチームが最高にいいんですよね!二人ともプロレスがうまくて、ガチンコに強い。アドニスに至ってはかつて強すぎて、賞金首になったこともあったんですから。


木村さん この試合を行った4人には強さというベースを持つ者同士にしかわからない信頼関係があり、相手へのリスペクトがプロレスという表現の自由度を高めている。こんなに高いレベルで強くて巧くて華があるレスラー4人が思う存分試合を楽しんで観客と一体化していた試合、ちょっと他には見当たりません。この日に行われた猪木&藤波VSマードック&アドニス戦こそ、まさにプロレスの完成形なんですよ。


加藤さん 『格闘家 アントニオ猪木』での北沢さんのインタビューで木村さんが「猪木さんは道場で普段やってるシュートの技術を試合ではどのくらい出してたんですか?」と伺うと、北沢さんが「試合ではほとんど出していない」と答えているのがものすごく好きで(笑)。要するに試合に出すとか出さないという話じゃないんですよね。でも強さを内蔵しているというのがプロレスラーとしての魅力に直結するところに、僕らが夢中になっていたプロレスの面白さがあるんじゃないでしょうか。あの北沢さんのインタビューが自分の中で大ウケでした。


木村さん 北沢さんのあの答えは最高でした。「全然ですよ。10%も出していない」と。逆説めいていますが、格闘家アントニオ猪木はプロレスのリングでは純粋にプロレスラーだったという真実を聞かされて、私、感動しましたね。


加藤さん 『ワールドプロレスリング』で一番視聴率が高かったのは猪木VS国際軍団とされていますよね。これが本当に面白くて最高なんです。猪木さんがラッシャー木村さん、アニマル浜口さん、寺西勇さんを相手にしている時が最も世間をヒートさせたし、古舘伊知郎さんもノリノリだったわけですから。


木村さん 私もとくにラッシャー木村戦(1981年11月5日・蔵前国技館/ランバージャック・デスマッチ)が大好きです。あの試合はアントニオ猪木が善悪を超越した怒りを全身全霊で表現してみせた一世一代ともいえる至極の舞台で、観客は一緒に感情を爆発させてそのカタルシスを味わえばいい。理屈抜き。猪木を観ているだけでいい、そういうプロレスだったんです。


加藤さん 今、JALに乗ると、オンデマンドで色々な動画が見れる中に猪木VS国際軍団があるんですよ。「あの頃の自分が見てよかったなと思う試合も、今見たらつまらないかもし

れない」と思って、見てみるとこれがもう楽しくて楽しくて(笑)。こんなものを毎週金曜夜8時に見ていたら、色々な人の人生が狂いますよ(笑)。



猪木さんとは何者なのか?

「シンプルに『燃える闘魂』だったんですよ。ずっと野球の取材をしてきた自分は猪木さんには一度も会えませんでした。でも一度きりの人生で、猪木さんを眺めて、憧れて、胸を熱くさせる人生を歩めました。こんな凄い巨星に出逢えたのは本当に幸せなことです」(加藤さん)

「ずっと考えていてフッと浮かんだのが『アントニオ猪木という存在がロマン』という答え。一言で言うならアントニオ猪木とは『肉体化した夢』でしょうか」(木村さん)  


          

──ありがとうございます。それでは最後の話題になります。お二人はアントニオ猪木さんとは何者だったと思われますか?まずは加藤さんからお願い致します。


加藤さん 猪木さんはあまりにも多面体過ぎるので、「ジャストさん、そんな質問は答えられないよ」と思ったりしますけど、シンプルに「燃える闘魂」だったんですよ。僕は新聞記者で、会社の先輩に猪木さんを何度もインタビューした尊敬する記者がいますが、ずっと野球の取材をしてきた自分は猪木さんには一度も会えませんでした。でも一度きりの人生で、猪木さんを眺めて、憧れて、胸を熱くさせる人生を歩めました。こんな凄い巨星に出逢えたのは本当に幸せなことです。今、ジャストさんや木村さんと猪木さんについて語っていると、猪木さんの存在が浮かび上がってくるんですよ。アントニオ猪木という燃える闘魂の灯は、消えないんじゃないかなと思うんですよね。


──ありがとうございます。では木村さん、お願い致します。


木村さん 本当に難しい質問ですよね…。書泉さんで開催していただいたトークショーでも同じ質問に「分からない」としか言えなかったんですが、そのあともずっと考えていてフッと浮かんだのが「アントニオ猪木という存在がロマン」という答え。一言で言うならアントニオ猪木とは「肉体化した夢」でしょうか。


──かつて女子プロレスラーのさくらえみ選手が飯伏幸太選手について「夢が人の形をしている」と表現したことがありました。猪木さんは夢やロマンが擬人化しているような感じなのかもしれませんね。


加藤さん 木村さん、モハメド・アリと闘うなんて、そんなのは夢でしかないわけじゃないですか。どう考えても「こんなのはあるわけないだろう」という話なんですよ。


木村さん 一瞬、思いついただけでも恥ずかしくなってしまう。普通ならそうです。



「猪木さんといえば、なぜかバーン・ガニアをリスペクトしているという謎が残っているんですよ。まだまだ猪木さんに関するミステリーは尽きませんね(笑)」(加藤さん)



──結果的に猪木さんはモハメド・アリが対戦した唯一の東洋人という事実は残りました。


加藤さん 猪木VSアリは近年、再評価されていて、当時「茶番」と報じたNHKが後年、猪木VSアリの特集を組むほど、今なお回転体として息をしている感じですよね。


──NHKの『アナザーストーリー』で取り上げられましたね。


加藤さん あと話が変わりますけど、猪木さんといえば、なぜかバーン・ガニアをリスペクトしているという謎が残っているんですよ。まだまだ猪木さんに関するミステリーは尽きませんね(笑)。


──猪木さんとAWAは接点ないですよね。


木村さん ええ。だから、なぜグレーテスト18クラブというベルトが制定されたとき、その発起人の中ににガニアの名が入っていたのか分からないんです。


──グレーテスト18クラブは1990年に猪木さんのレスラー生活30周年記念パーティーの席上で、ルー・テーズを発起人とした「過去に猪木と闘った」、プロレスラー及び格闘家によって構成された組織で、そこからタイトルが誕生して長州力さんが初代王者に認定されています。確か1990年2月10日東京ドーム大会でラリー・ズビズコVSマサ斎藤のAWA世界ヘビー級選手権試合が組まれていて、新日本とAWAの繋がりからガニアがメンバーに選ばれたとは考えられないでしょうか?


木村さん そもそもグレーテスト18クラブはアントニオ猪木と対戦したライバルたちによって創設されたタイトルであるというのが大前提でしたからその説には無理がありますよ。ガニアは猪木さんが所属していた日本プロレス、東京プロレス、新日本プロレスのいずれにも参戦しておらず、日本マットで一度も猪木と対戦してないわけですから。


──何かリング外で繋がりがあったのでしょうか?


木村さん アリ戦の前にアメリカで行われたプロモーションの際に接点があったようですが…。いまわかっているのはそれだけなんですよ。


──猪木さんに関するミステリーは今後、解き明かされるのかもしれませんね。では最後にお二人の今後についてお聞かせください。



加藤さん 今も日々、野球の現場をかけ回っています。猪木さんの「迷わず行けよ、行けばわかるさ」をいつも自分に唱えながら取材に行って頑張ってます。木村さんがおっしゃる通りで、猪木さんが色々な方の優れたところを吸収していって自分のものにする天才でした。僕も『格闘家 アントニオ猪木』からヒントを得て、色々なものに影響を受けていい書き手になりたいですね。


木村さん 私の次の目標は『格闘家アントニオ猪木』をプロデュースしてくれたTERUさんと共に立ち上げた「シン・INOKIプロジェクト」の第2弾として、現在、絶版になっている『アントニオ猪木の証明』に未収録の取材記録を加えた「完全版猪木インタビュー集」の出版です。実は私の手元には猪木さんとの1vs1インタビューを収録したカセットテープやビデオテープといった取材記録がまだかなり残っており、それらの中身を余すことなくファンに提供しないことには猪木さんに申し訳が立たないと思っているんです。ただ、版元などがまだ未定のため、それらが具体化するまでの間、別のテーマの本を1冊世に送り出すべく準備に取り掛かっています。


──それは先日、Twitter(X)上で木村さんが宣言された昭和の怪奇レスラー・マンモス鈴木の本ですね!


木村さん はい。取材に4年以上をかけて雑誌に連載していたルポ記事の原稿をあらたに単行本用に書き直しています。なにしろマニアックすぎるテーマのため書籍化は難しいと半ば諦めていたのですが、今回も「マンモス鈴木というレスラーをこのまま歴史に埋もれさせてはいけない。一緒に彼がリングに在った証を後世に残しましょう!」と私の背中を押してくれた方がいて道が開けました。マンモス鈴木さんは猪木さんの兄弟子です。もしかしたらこれも猪木さんの導き──『格闘家アントニオ猪木』を書き上げたことと繋がっているのかもしれないと、そんな気もしています。


──『格闘家 アントニオ猪木』は東野幸治さんがジャケ買いしたそうですから。未だにその余波は続いてます。


加藤さん 闘魂は連鎖していくんですね。僕らは闘魂の灯を燃やしていくことが、猪木さんのプロレスに夢中になった人間の責務じゃないかなと思います。


──これでお二人の対談は以上となります。木村さん、加藤さん、本当にありがとうございました。お二人のご活躍を心からお祈りしております。


(プロレス人間交差点 木村光一✕加藤弘士・完/後編終了)