WARプロレス3周年記念興行
革命陽上3rd 両国国技館大会
この大会は週刊ゴングの白黒ページに大会の広告が掲載されていました。
その下の方に、『20組40名様を抽選でご招待』と書かれていました。
招待券を手に入れたく、
(中学3年生のためお金が無く)
家にある官製はがきや年賀状のあまりを集めて応募しました。
目立つように天龍源一郎選手やウルティモ・ドラゴン選手の似顔絵を書いたり、
始めて貰った安良岡裕二選手のサインを真似てみたりして約10枚くらいでしょうか?
当選するように願いを込めてポストに投函しました。
学校から帰ってきては真っ先にポストを確認。
母親や祖父母に自分宛の手紙がなかったか?
常に聞いていました。
ある日、帰宅するとテーブルの上に黄色い封筒が目に止まりました。
一目で分かるWARのイメージカラー黄色の封筒。
今、改めて封筒を見返して見ると95年7月3日の消印が押されていました。
大会2~3日前に届いていたことがわかります。
ドキドキしながら、丁寧に封筒を開封しました。
封筒の中には、
『拝啓 いつもWARプロレスを応援して頂きましてありがとうございます。
さて、この度は、7月7日両国大会“革命陽上3rd”
チケットプレゼントに御当選されましたので御招待券をお送りします。
ご来場、心よりお待ちしております。
WARプロレスリング』
この時の当選の喜びは今でもはっきり覚えています。
空手道場に直行して内海くんに当選したことを伝えました。
招待券の席種はリングサイド
(値段のところは黒のマジックで消されていましたが、うっすら7000円と見えます。)
正側9桝4番(ミシン目には“御招待”のゴム印が押されています。)
(また、この時、“桝”と言う漢字を覚えました。)
チケットを見た内海くんが
「両国国技館の桝席には座布団が備えていないから持っていかなきゃダメだよ。」
と言います。
疑問に思い聞いてみると、
1991年8月7日新日本プロレス第一回G1クライマックスで優勝した蝶野正洋選手(vs武藤敬司選手)に
ファンが『おめでとう!!』の思いを込めて座布団の舞いが起こりました。
以来、プロレス会場では座布団は備えられなくなりました。
内海くんの言う通り、前日の夜に座布団をドラムバッグに詰め込んで用意しました。
祖母に「淳一は何でプロレスを観に行くのに座布団なんか持っていくんだ。」
と、何度も不思議がって聞いてきましたが、自分が反抗期だったのと説明するのが面倒くさく、無視していた記憶があります。
また、この大会からインスタントカメラではなく、父親に一眼レフカメラを借りて観戦していました。
大会当日は、大荷物で両国国技館に向かいます。