暗い話になるのでブログに書こうか迷いましたが佐藤家の家族として過ごした証を残したく、書くことを決意しました。
いちは2002年5月26日に当時、IWA・JAPANプロレスに参戦していた超人勇者Gヴァリオン選手がSPWF一宮道場側で保護した子猫を譲り受け、佐藤家の家族となりました。
いちが佐藤家の一員になったブログです。
体重280g、肉球はボロボロ、目も開かなく、今にも死にそうな子でしたが、毎日のように病院通いをして普通の猫のように成長していきました。
妻と付き合って一年経ってから我が家に来たので「いち」と名付けました。
プロレスで家を空けるときは妻と二人。
妻が入院しているときは淳一と二人。
寝る時も3人同じベッドで毎日寝ていました。
僕ら夫婦には子供がいませんので、本当の子供のように二人で愛情を注いでいました。
12月29日から甥っ子が泊まりに来ていたときも変わらずに元気だった「いち」。
元旦から横浜の実家に帰省し、3日の箱根駅伝を生観戦してから13時に実家を出ました。
途中、首都高羽田線が事故で通行止めになっており、迂回をして車を走らせました。
「いつもより、30分遅くなったね。」
こんな会話を妻としながら家に到着しました。
家の鍵を開け、ドアを開けても、いちの姿は見えません。
普段ですと玄関にきちんと座って帰りを待っているのですが…。
ふと、床をみると、うんちが2つ転がっていました。
「しばらく家を空けたから嫌がらせしてるよ(笑)」
と夫婦で笑いながら家の中へ。
扉を空けてもいちの姿は見えず、寝室に行くとベッドの上でいつものように寝ていました。
「おい。」
と背中を擦ると反応なし。
眠るように静かに息を引き取っていました。
抱き抱えると身体はまだ温かく、死後硬直も始まっていませんでした。
推測ですが一時間から数十分前くらいに亡くなったものと思います。
あと少し、本当にあと少し早く帰っていたら看取れたかもしれません。
後悔ばかりが頭を過ります…。
淳一がプロレスで家を空けているときも妻はいちといつも一緒でしたので相当に落ち込んでいました。
夫婦二人で話し合い
「人間と同じようにお葬式をしてあげよう。」
個別火葬
立ち会いをしてお骨あげ。
骨壷に入れて自宅供養をしてあげることにしました。
佐藤家に来てくれてありがとう。
妻の側にいてくれてありがとう。
沢山の思い出をありがとう。
いちには感謝の気持ちで一杯です。