あまり知られなかった震災の被害 陶芸の街 笠間のこと | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

去年の十二月のことになりますが、ボクは茨城の笠間という街にいってきました。

上野から常磐線で友部まで出て、そこから水戸線で二駅。けして大きな駅でもありませんが、江戸時代には笠間藩八万石の城下町として栄えていたところです。


ボクは駅につくとすぐレンタルの自転車を借りて、笠間稲荷神社へ向かいました。

笠間稲荷は京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並んで、日本三大稲荷の一つとされ、江戸時代から大勢の参拝客で賑わっていたといいます。

その日は師走の、まだ大晦日までやや日もある微妙な時期だったこともあって、参拝客もほとんどいませんでした。

山門はさすがに由緒のある大社に相応しい、立派なものだったと思います。

ところが境内に入ってみますと、ロープを張った中には大きな石灯籠が倒れていたり、山門の柱などもところどころ修復中なのかビニールシートで覆われているのが目につきました。

実は、この笠間も昨年の東日本大震災では震度六強という強い揺れに襲われた地域の一つだったんです。

しかし、人的な被害が少なかったことや、宮城県沿岸部の津波の被害や、福島の原発のニュースがテレビでは大きく取り上げられたため、報道されることはほとんどありませんでした。

ボク自身、この旅行を決めたときには具体的にどれだけの被害があったのかも知りませんでしたし、旅の目的も笠間の旧跡や神社を訪ねることが本命だったこともあって、実際に現地でまだ残っている震災の傷跡は見るまでは、あまり意識していなかったと思います。


その日、予約を入れていたのは笠間で唯一の天然温泉がある「秘湯ぶんぶくの湯」という宿でした。

ボクは温泉が好きで、今回も温泉があるというのでそこに決めたんです。

駅に戻ってからバスに乗り、二十分ほどいった先のバス停で降りてからしばらく雑木林の間を通る道を歩いていくと、やがて一時代前の健康センターに少し屋根の傾いたような宿泊棟が続いている長細い建物が見えてきました。

外観を見たときには「これはちょっと失敗したかも知れない」とボクも正直思ってしまったくらいです。

もともと日帰り入浴がメインの温泉で、宿泊客も一日に一組しかないそうでほとんど貸切の状態でした。

温泉は小さいものの、なかなか湯質が良かったのには満足して早目の夕食を食べていると、そこへ宿の女将さんがきたので、ボクは少し話を聞いてみることにしました。


「この前の地震のときは、このあたりも揺れましたか?」

「そうですね。ずい分揺れましたよ。あのときはお風呂の方を無料で解放して、避難所の方に連絡してもらったんです。うちは電気さえあればお湯が沸かせますから」

「どのくらい来たんです」

「たぶん、全部で千人くらいじゃないかしらねえ。中には車で福島の方から避難して来た人もいて、ちょうど郡山から一晩でこのあたりに着いたそうですよ」

温泉といっても、ここの湯船は三人も入れば一杯になってしまう小さなものです。

そこに千人も入ったという話も驚きましたが、女湯はそのときにあまりにも人が入ったので風呂の底が抜けてしまったというからかなりの騒動だったと思います。

「街の方も見てきたんですけど、観光客もあんまり多くないみたいですね。やっぱり、震災で減りましたかね」

「ええ、地震があってから少ないですね」

なんとなく、シャッターの閉まっている店が多かったのや、門前町にも活気がなかったのもやはりそうなんだなと思いました。

女将さんは昔からの土地の人らしくて、観光地やどんな見所があるのかも丁寧に教えてくれました。

「佐白観音のつつじがいいですよ。あそこは坂東の札所で人もたくさん来ますから」

つつじの花が咲く頃には震災の被害も少しは回復しているといいなと、そんなことを思いながら、ボクは淹れてもらったお茶を飲みました。

ここではすべて温泉と同じ湧き水を使っているそうで、心なしかお茶の口当たりもやわらかかったように思います。


翌日は早くに宿を出て、笠間焼のギャラリーや窯元を見て歩きました。

笠間焼は江戸時代の終わりごろ、信楽の陶工がこの地に窯を開いたのがはじまりとされる比較的に新しい焼き物で、現在では笠間の名産品になっています。

その途中で、街道沿いにある骨董品店に入ったときのことですが、あまり焼き物が展示されていなかったので「笠間焼はあんまりないんですね」と店主さんにいうと、「この前の地震でだいぶ割れてしまったんですよ」ということでした。

「うちもトラックに何杯かくらい割れたのが出ました」

「それじゃあ、かなり被害があったんですね……」

「ええ。大変でした」


笠間焼の窯元でも、とくに長い歴史を持っているのが「製陶ふくだ」という工房で、笠間駅から歩いて十分ほどのところにあります。
ボクが今回、一番最後に訪ねたのがそこでした。

笠間に最初に窯を開いた信楽の陶工の窯を、初代が買い上げてから二百年あまり。

ペルー共和国にも寄贈したという巨大な陶器の花瓶が二つ、窯の正面に据えられています。

これよりもさらに大きな花瓶もあったそうですが、今度の震災で破損してしまい、他にも登り窯が壊れるなど、いまだに修理が続いているんだと奥さんにうかがいました。

買ったカップを包んでもらいながら「この後はまだどこかにいかれるんですか?」と聞かれて、ボクは「稲田の西念寺にいってみようと思っているんですよ」といいました。

「今日は雨の予報でしたけど、まだ晴れていますから大丈夫だと思いますよ」といってもらい駅に戻ると、ちょうど晴れた空からさーっと雨粒が落ちてきました。

きつねの嫁入りだ。

ふとそんな言葉が浮かんだのは、やっぱり笠間稲荷のせいかも知れません。


ボクの笠間の旅はこれで終わりです。

また機会があれば、今度は笠間の歴史や神社についてもいくから書きたいと思いますが、それはまだ少し先のことになると思います。


今回も読んでいただき、ありがとうございました。