初音ミク五歳  ――ネットのアイドル―― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

初音ミクの曲を最初に聴いたのは、ミクに「もののけ姫」を歌わせてみただったと思います。

その頃はまだ、発売されたばかりでミクにもオリジナル楽曲があまりなかったんですね。

パソコンのソフトでここまで人間らしい声に近づけるのかと驚いたものの、やはり機械的な部分があり、「人間の歌手とは違うな」と思ったのも率直な感想でした。


その頃に、初音ミクとはなんなんだろうという話を、ネットの知人としたことがあります。

ボクはそのとき「ミクは楽器だ」と答えました。

もともと、日本のネットにはアマチュアでも音楽を作れる人はたくさんいたそうですが、これを気軽に発表する手段がなかったそうです。

しかし、ミクを使うことでそのあたりが気軽にできるようになり、それを公開できる「ニコニコ動画」という舞台があったのも大きかったのではないでしょうか。


そう、ミクが楽器であるとしたら、ニコニコ動画はお芝居の舞台です。

そこには誰でも上がることができるし、大勢の人に見てもらうこともできます。

その中からプロデビューがする人が現れたり、話題性の高い音楽が生まれるのは当然。そのように分析してしまってもいいかも知れません。


その頃のボクの考えは本当にそんなものだったんです。

しかし、次第に話題が増え、段々と展開されていくミクを見ているうちに、どうもそれだけではなくて、もともと声と一枚のイラストしかなかったミクという存在を、具体的なものにしていくための作業が、大げさにいえば「受肉」ともいえるようなキャラクターの創造がネットを通じて行われているのではないかと、そんなことを思うようになっていきました。


それは「はちゅねミク」であったり、また「MMD」もそうだと思います。

ですが、大切なのはそういった形ではなくて、もともと存在していなかったキャラクターを大勢のクリエイターが関わることで、ミクという「キャラクター」が生まれていったことにあると思うのです。


では、どうしてこれほどまでにミクは大勢の人の心を引き付けたのでしょうか。

一つには、それが「不完全な存在」であったことがとても大きかったのはあると思います。

最初に書いたとおり、ミクはけして「人間の歌声」ではありませんし、またいくら調整しても人間になることはありません。


しかし、だからこそ手を加える余地はいくらでも残されていました。

「人間とは違うミクというものをどう具現化していくのか」

こう考えたときに、ミクはけして完成された作品ではなかったのです。

遊び方も、キャラクターのイメージもすべてが投げ出される形で世の中に送り出された。

そこに楽しみを見出した人たちの遊びの結晶こそ、今のミクのキャラクターに繋がっていったのではないかと思います。


ミクが発展したもう一つの可能性をあげるとすれば、それはネットのアイドルとしてのミクです。


2ちゃんねるでも、ニコニコ動画でもそうですが、ネットはその価値観が多様になればなるほど、共通した「アイドル」というものを持たなくなっていきました。

2000年代の前半のネットは、まだ「文字の世界」でしたからアスキーアートのキャラクターたちにもとても大きな需要があったのも頷けます。


しかし、時代が進むに連れて次第に「視覚的」なものが求められるようになっていきました。

それが決定的になったのは、ニコニコ動画の誕生あたりにあるとも思うのですが、この時点ではまだニコニコを象徴するような存在も、他のネットの世界とニコニコを繋ぐキーワードもなかったのです。


ミクの場合、まず声を調整する人が現れました。

次に音楽を作詞、作曲する人。そして、イラストを描く人。

これらの作業は個人で行われることも多いようですが、本来はそれぞれが畑違いの人々の集合体です。


先ほどの「受肉」という言葉を使えば、ストーリーラインのないキャラクターを創造するには途方もないエネルギーがいります。

そのキャラクターの性格、外見、設定、そして何よりも「物語」がなくてはいけません。

この「神様を作る」とでもいうような作業は、とてもバカバカしくも思えますが、それだけに必要とされるエネルギーは膨大なものでした。

そこに大勢の注目、言い換えれば情熱といってもいいかもしれませんが、それが集まることではじめてミクは「アイドル」となることができたのです。


ですから、ミクにはもちろん製作元はありますが、クリエイターはいません。インターネットの参加者を指して「顔の見えない人々」と揶揄されることもありますが、いうならばミクはその顔のない人々がみんな作り上げた偶像ともいえる存在です。


ボーカロイドとしての機能、あるいはミクがあまりにも有名になってしまったことを必ずしも好まない人でも、すでにイベントとなっている現在のミクをまったく否定することはできなくなっているのは確かであると思うのです。

それは、すでにミクがある時期のインターネット文化を語る上でけして忘れることのできない存在になっていることに他なりません。


ネットで生まれたミクが、これからどんな道をたどっていくのか。

それはもちろんわかりませんし、時代の評価を受けるのはもっと先になると思います。

しかし、ボクもミクに楽しませてもらっている一人としては、とても楽しい時間を過ごさせていただいています。その部分で、本当にミクさんには感謝しないといけませんね。


久々の更新が、ミクの誕生日に間に合ったことを感謝しつつ。今回も読んでいただき、ありがとうございました。