劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza の感想など(ネタバレ) | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

久しぶりの更新です。


このところ、書いてるものがなかなか進まず、ほとんどブログをいじっていませんでした。

そんな中、昨日10月3日から全国の劇場で公開されているアニメ「蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza」をみてきたので、今回はそれを書こうと思います。


アルペジオは以前「艦隊これくしょん」とのコラボイベントがあって以来、名前とキャラクターだけは知っていたんですが、先日テレビで放送された「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- DC」を見てから、「ああ、こういう作品なんだ」と思いつつ、なかなか面白そうだったので、取り急ぎアニメ版を見てみました。


まず、この作品全体の感想としては、良くも悪くもまとまりのいい作品だといえます。

しかし、それは劇場版までのすべてを見た場合です。

そのため、テレビアニメ版だけをみると、ラストで「え、これで終わりなの?」という感想になるのが正直なところでしょう。


アルペジオの舞台となっている世界では、突如出現した謎の戦力である「霧の艦隊」の圧倒的な戦力の前に、人類はなす術もなく制海権を失い、国ごとの交渉も物流もほとんどとだえ、滅亡の危機に瀕しています。


この霧の艦隊。外見だけはかつての太平洋戦争中に存在した旧連合艦隊の艦船などをモデルにした戦艦たちで構成されている戦力ですが、その武装、兵力は圧倒的であり、人類の兵力をものともしません。

このあたりは角川のアニメには結構多いパターンといえるでしょう。


そうした世界の情勢を変えるため、海軍士官候補生であった主人公千早群像(ちはやぐんぞう)は、ある日彼の前に現れた霧の艦隊の一隻「伊401」のメンタルモデル(人格プログラムのようなもの)・イオナとともに、どこの国にも属すことのない独自の勢力「蒼き鋼」を結成し、「霧」との戦いを開始します。

やがて霧の艦隊との戦いを生き残る中で、次第に注目される存在となった彼らは、人類の最後の切り札であり、唯一「霧」を相手に有効な打撃を与えることのできる新兵器「振動弾頭」をアメリカに届けるという任務を日本政府から受け、これは困難の末に達成する。


というのがアニメ版のストーリーでした。


このためテレビシリーズでは、「振動弾頭」をアメリカに届けるまでの道中で出現する霧の艦隊の戦艦たちとの戦いがほとんどの部分を占めています。

そして、任務を達成した後は、人類にもこれで「霧」と戦うことができる力が備わったことにより、もはや「霧」も一方的な優位というわけではなくなり、イオナのようなメンタルモデルたちを通して、交渉、和平の道がもたらされる可能性も生まれてきた、という希望が見えたところで終了するのですが、これだとその後の世界がどうなったのか、霧と人類はどうなってしまうのか、というのはよくわかりません。


さて、ここからは劇場版二作品のネタバレを多分に含みますので、まだご覧になっていない方はご注意ください。


そもそも、テレビ版では「霧」に指令を与えている謎の存在である「アドミラルコード」というものがあり、この指令を守ることが使命であると考える霧の大戦艦コンゴウと、主人公たちとの接触を通して人間の価値観を理解しはじめたイオナと彼女の側についた「霧」のメンタルモデルたちが衝突することになっていくのが最大のテーマでした。


このアドミラルティコードによる「霧」への命令とは。


・海洋を占有し人類を海から駆逐、分断せよ

・通信網の封鎖

・地上攻撃の禁止(ただし攻撃による巻き添えは別)


という三点になります。

しかし、この指示を出したアドミラルティコードの正体は結局アニメ版では最後まで判明せず、最終的にはコンゴウを含めた複数の「霧」のメンタルモデルが「蒼き鋼」の側につくことを選びながらも、相変わらず多くの戦艦たちは忠実にアドミラルティコードの命令に従うことを選び、人類と敵対し続けていたわけです。


そんな「謎の存在」であるアドミラルティコードとは何か。

「アルス・ノヴァ- Cadenza」はテレビ版から続く戦いの「完結編」と位置づけられていることもあり、いよいよその正体も判明するだろうと密かに期待していたのですが、結論からいいますと、結局これは今回もよくわからないまま終わってしまいます。


正確には一応の解釈は与えられているのですが、それは「霧」の総旗艦である超戦艦ヤマトと、その姉妹艦の超戦艦ムサシ、二隻の超戦艦の演算能力によってアクセスすることが可能な存在であり、彼女たちがその媒介者であったことから「総旗艦」を名乗ることもできたのでした。

しかし、ヤマト、ムサシも実はすでにテレビアニメ版のアルペジオがはじまるはるか以前から、アドミラルティコードから新たな指令が与えられない状態にあったようです。


そんな中、はじめて人類との戦いでわずかに「霧」が被害を受けたことに興味を抱いたヤマトは、その理由を知るため、捕虜にした人類と接触を試みようとします。

このとき、彼女たちが人間と対話するためにとった姿こそ「メンタルモデル」でした。


しかし、この後ヤマトとムサシは人間たちの言動に触れるうちに次第に考えに齟齬が生まれるようになり、人類に寛容で、人間の感情を受け入れて自分たちも変化していくべきだと考えるヤマトと、人類の愚かさに絶望し、人類は支配されるべきだと主張するムサシの間で衝突が発生します。

そしてその対立の末に、ムサシは姉妹であるヤマトを撃沈させていたのでした。


ですが、沈んでいくヤマトは自分の理想と、力の一部をちょうど目の前を過ぎていく一隻の潜水艦に託すことを決意します。

この潜水艦こそ「伊401」であり、イオナというメンタルモデルも本来なら、伊401のシステム単独で存在できるものではなく、ヤマトの力によって生まれたもののため(彼女の姉妹艦である伊400、伊402がメンタルモデルを持っていたのは、おそらくムサシの力によるもの)、イオナとはヤマトのメンタルモデルが生んだ分身のようなものだったということになります。


イオナが「霧」でありながら、他の戦艦たちのようにアドミラルティコードに従うことはなく、独自の行動をとることができたのには、こうしたヤマトの想いがあったのでした。


ヤマトを撃沈し、事実上の総旗艦となったムサシは、ヤマトがすでにいないという事実を他の艦に知らせることもなく、自身の主張をアドミラルティコードによる命令、総旗艦ヤマトからの指令と偽り、霧をコントロールするようになります。

この事実を知った群像、そしてイオナはムサシを倒し、「霧」と人類との対話の可能性にかけたヤマトの意思を受け継ぐかのように最後の戦いに赴くことを決意する、というのが映画版の趣旨なのですが、こうなると疑問が浮かんできます。


そもそもヤマト、ムサシの二隻がいなければアドミラルティコードからの指令を受けることはできず、二隻がそれを望んだとしても、何らの指令も得られない状態にあったということは、すでにこのとき「霧」そのものは「海上封鎖を続ける」という以外の目的を失っていたことになります。

ましてメンタルモデルというものを通じて、人間の感情を理解しようとしたヤマト、ムサシの行為は指令でもなんでもなかったわけです。


ですが、あくまでアドミラルティコードに忠実であろうとしたコンゴウやヒエイたちでさえ、そもそもメンタルモデルを生成し、人間の戦術を学ぶという思考自体がもはやコードの指令ではないことを知らず、すでに独自の進化をはじめていたことに気付いていませんでした。

では、彼女たちはそもそも何のために行動していたのか。

これに関しては、「本当は目的など最初からなかった」というのがもっとも正解に近いものに思えてなりません。

むしろ、そうした目的がないからこそ、いつの間にか彼女たちは必死で人間の価値観を「模倣」し意見を多様化させることで、「霧」という存在を保存させようとしたいたといえるのですが、このことにはムサシすら気付いていなかったようです。


劇場版をみていても、実はムサシが一番精神的には幼いメンタルモデルであり、ヤマトはイオナに思いを託し、自身の身代わりとしたことを「お人形遊び」と揶揄していますが、彼女もまた自分の大切な人間の複製を作り、それにしたがっているように振舞い、またヤマトに対しても異常な執着を見せるなど、ずっと過去を後悔していたように思われます。


主人公たちとムサシの戦いは、最終的にイオナの中に眠っていたヤマトのメンタルモデルをイオナが開放し、伊401を媒介にして超戦艦ヤマトを復活させた主人公たちの勝利に終わりますが、ムサシと共に眠りにつくことを選んだヤマトもまた地上から消滅し、これにより「霧」は完全に統括者を失うことになりました。


その最後にヤマトから発せられた命令は「すべての霧の艦船は以後自分自身の意思で行動せよ」というものであり、これによってアドミラルティコードを失った霧の戦艦たちは、それぞれが思い思いの道を歩んでいくことになる、というところで物語りは終わります。


こては一応のハッピーエンドとはいえのですが、しかし作品世界の背景を考えると、これはますますややこしい事態になっただけともいえます。

群像のセリフにもあるように、確かにこれで霧による海上封鎖は溶け、人類の活動領域は再び広がることにはなりましたが、それはさらなる混迷の時代のはじまりともいえるからです。

ヤマト、ムサシが消滅したといっても、「霧」そのものが消滅したわけではないことに加えて、指揮系統をもたなくなった彼女たちは、今後あるものは人類と敵対し、またあるものを共存することになるでしょうが、そうなれば膨大な数のオーバーテクノロジーを持つ戦力が世界中に点在するようになります。


こうなると世界各国はむしろ進んで彼女たち「霧」を迎え入れようとするのは間違いありません。

しかも「霧」への切り札として作られた「消滅弾道」が今後各国に配備された場合、経済、国力の回復と共に、世界は新しい秩序をめぐる睨み合いに突入することも見えているため、そこに「霧」の艦隊が巻き込まれるという最悪の結末にいたる可能性さえこのままでは高いといえるでしょう。

オーラバトラー「ダンバイン」ではありませんが、一度人類にもたらされた強大な力が地上に残ってしまえば、たとえ指導者が倒れたとしても、戦火をいずれ拡大し、返って人類の滅亡を早めることにもなるため、それを考えるならメンタルモデルはともかく、霧のオーバーテクノロジーと、それによってもたらされた兵器は消滅させる必要があったはずですが、ヤマト、そしてイオナはそこまでの結論を出せず、それぞれの戦艦の意思に任せることを選んでしまいました。


こういう風にみますと、制作サイドには「もしかしてまた続編を作る気があるんじゃないかな」とも思えます。

例えばヤマト、ムサシの超戦艦がいなくなった後、霧を統括する戦艦があらわれる可能性があるかといえば、これは非常に高いといえます。

おそらくは、ヤマト、ムサシに次ぐであろう大戦艦クラスの中でも非常に強い力を持つナガト(長門)やムツ(陸奥)。
そして、海外に展開している「霧」の艦船の中にも、それと同格にあると考えられるナガト以外の「ビッグ7」をモデルにした軍艦たちなどが存在していると予想はできます。

本編には登場しませんでしたが、彼女たちがどう動いていくかによって、今後の未来が大きく変わっていくのは間違えありません。


このようにみると「アルス・ノヴァ- Cadenza」は「あくまで映画完結編はひとつの区切りでしかなく、むしろ物語が面白くなるのはまだここから」という含みを残しているわけです。

そのため、今度の映画はこれまでのアルペジオの主題であった「ヤマト、ムサシ編」の完結だと考えるのが打倒かも知れません。

ヤマトのメンタルモデルが消滅したことで、完全に別の人格となったイオナはどうなるのか。

そして、アドミラルティコードの正体はなんであり、今後どのような行動に出るのか。

そのあたりを考えながら、続編の発表を待つのも楽しそうです。

できればそろそろまた艦隊これくしょんともコラボして欲しいところですが、さてこちらはどうなるでしょうか。




今回も読んでいただき、ありがとうございました。