お願いシン・ゴジラ♪ ~シン・ゴジラを読み解いてみる~ | 十姉妹日和

十姉妹日和

つれづれに書いた日記のようなものです。

またまた久しぶりにブログ更新します。

今年になってから、話題になる映画が多いんで、これはいいことだと思うんですけれども、友人たちから「ぜひ見ろ」、「いいぞ」といわれていたのが庵野監督の最新作「シン・ゴジラ」でした。

これ確かに私もtwitterでえらい話題になっていますから、どんなのか気になってはいたんですけど、もともとあんまりエヴァ好きじゃないんで「庵野監督のゴジラかあ。どうだろなあ」くらいと、なかなか気が向かないもんがあったんですよね。

だけども、「ゴジラ」といえば90年代の「VSシリーズ」を見るのが夏休みの定番だった世代としては、やっぱりどんな内容なのか気になる。そこで結局9日にいって見てきました。


感想としてはまず。


「うん。これゴジラじゃない。シン・ゴジラだ」


というところだと思います。

なんか、難しい作品でした。やっぱり随所にエヴァ・・・とくにこれはテレビ版第一話と雰囲気似てるとこがあるのに、ちゃんとゴジラなとこはゴジラだという。

そういうわけで以下は具体的な内容を含んだネタバレになりますので、これから見る人はご注意を。


――こんどのゴジラはどんなゴジラなの?――


まず、このシン・ゴジラ。作品ではなく、作中の「ゴジラ」のことですが、正直いって日本に何しに来たのかさっぱりわかりません。

これが正直本作最大の謎といってもいいでしょう。

そもそもゴジラとは何ぞや、というと大体これまでの作品では「放射能の影響で古代の生物が巨大化した怪獣」でした。

シン・ゴジラもこれはしっかりと守っていて、やはり古代の生物が海洋投棄された放射性廃棄物の影響で特殊な進化をした生物、となっています。


つまり「ゴジラ」はそもそもがきちんとした「生物」なわけです。


そしてこの「なんで日本に来たのかさっぱりわからない」という理由も、まさにこの「ゴジラは生物」という点にかかってくるんですが、90年代の「VSシリーズ」ではこれを踏まえていくつかの理屈付けがされていました。


まず「VSビオランテ」に見られるように、そもそも放射能の影響で巨大化した生物のため、原子力発電所などを襲ってエネルギーを蓄えるため、という「食事」説。

次にゴジラVSメカゴジラで見られた「同族(リトルゴジラ)」を助けるための「本能」説。

そしてゴジラVSスぺースゴジラに見られたような「縄張り争い」説です。


これはどれも確かに一定の説得力があります。

つまり生物である以上、行動には何かしらの原理があるはずで、ただなんとなく街を破壊するために、わざわざ日本に上陸してくるというのはおかしいわけです。

しかし、今作のゴジラにはそういう生物らしい動機がありませんでした。

この点ではむしろ初代のゴジラと同じように「なんとなく人間のテリトリーに入ってきてしまい、そのまま暴れだした」という可能性が高いわけです。


と、こういってしまうと単なる「偶然」に思えるんですが、ここでひっかかるのがこの物語の最初の出てくる漂流船。

この船は後に明らかになるように、ゴジラのような生物が将来出現したことを予測していた「牧教授」という人物のものなのですが、海上保安庁の巡視船がこの漂流船を見つけたまさにそのタイミングでシン・ゴジラが東京湾に出現することになるわけです。


ここで奇妙なのが牧教授という人物の行動です。

牧教授は物語中の話では、ゴジラ出現の一週間ほど前にアメリカから帰国し、その後行方不明になりました。

物語中では「死んでいのかどうか」ということさえ明らかになっていませんが、この帰国からゴジラ出現にいたるまでの数日間の牧教授の行動は、まるですでにゴジラが東京にあらわれることを予見していたようなものでした。

これは単なる偶然と思うのはちょっと難しいでしょう。


つまり牧教授はなんらかの方法でゴジラの幼体(といっていいのかわかりませんけども)を東京湾まで運んできた可能性が少なからずあるわけです。

そして、これも作中で明らかになるように、放射能とそれを生み出した人類に強い憎悪を抱いていた牧教授は「意図的」にゴジラに日本、それも東京を襲わせ、それに人類がどう対処するのかを見定めようとしていたのではないか。そうとれる描写もあちこちにありました。


このように見ると今作のゴジラはとことんまでに「人間の都合であれこれされてた生物」という他はないんですが、このゴジラの生態というのがまたとんでもないものです。

作中の解説ではゴジラのもとになったと思われる古代生物は「たまたま放射性廃棄物が捨てられた海中に住んでいたため、放射能に抵抗がついて進化した」と説明されていましたが、そもそも古代から生き残っていた生物が単一の個体だけで同じ場所に住んでいたとは考えられません。

少なくとも繁殖などで生き延びることができただけの数が周辺の海域に生息していると見た方がいいだろうと思います。

そして、その中の一個体がこれもたまたま特殊な進化をしてゴジラになったか、あるいは「誰かが意図的にそうした個体のひとつに手を加えることでゴジラとなった」可能性が高いわけです。



しかもこのゴジラの見せる「進化」は生物の常識をはるかに超えるものでした。

最初は巨大な尻尾だけのようなものだったのが、わずか一日のうちに地上に上陸する手足を得て、さらに二足歩行ができるまでに変態してしまう。

これには別に作中の「御用学者」でなくても「もはや予測ができないからわからない」と匙を投げるしかないのも当然でしょう。

ここまでの流れを見てもすでにわかるように、このゴジラは明らかにもう「生物」ではあっても、恐竜だとか、怪獣だとかいう理解の範疇を超えたものとなっています。

この。


「ただひたすらに進化して暴れまわる人類にとっては迷惑なやつ」


おおよそこの作品でのゴジラの「生命体」としての面(とくに市民にとって)はそういうものだと考えればいいでしょう。

この「トンデモ」ともいえるゴジラの生命力ですとか、「水と空気だけで核分裂ができるスーパーエネルギー」は後々他の国からも目をつけられて、これが日本政府の駆け引きの材料にもなるわけですが、そんなもんはゴジラ本人としては知ったこっちゃありません。

ここにも牧教授の意図がもしかすると働いてるのかも知れませんが、日本に上陸してからはただ東京を目指して街を破壊していくだけです。


そんな具合ですから、ゴジラがどんどん大きくなって、放射熱線(というよりもうビーム兵器です)を吐けるまでになっても、あまり知能が発達している様子はありません。

自衛隊や米軍の攻撃を受けると防衛本能ままにとんでもない攻撃を次々繰り出すという感じです。

しかし、それでもこのまま放っておけば、いずれはさらに強大な存在に進化することが作中でも予測されていましたから、最終的には日本だけでなく、人類そのものを滅ぼしかねない生物になるかも知れないわけです。

このためゴジラのヤバさがわかると。


「もうさっさと核兵器でも使って倒しちゃうしかないんじゃない? あれならさすがに死ぬでしょ」


という当たり前といえば当たり前の結論にアメリカはじめ世界各国の意見は落ち着くことになります。

しかしそれはまあ後の話で、この作品の見どころでもあるゴジラが出現してからの日本政府の対応を次に見ていきましょう。



――「日本の主役は誰?」――



この作品の評価はかなり「自衛隊の活躍」と「官僚のがんばり」をどう見るかで決まってくると思うんですが、それでも作中の前半と後半では政府の意思決定の方法にかなりの違いが見られます。

これにはもちろん様々な理由があります。


まず、ゴジラの登場した直後。

このときは東京湾の周辺に変異があっただけで、まさか原因が「巨大生物」だなんて誰も考えていませんから、政府の対応も関係省庁の対応もかなり淡々としていました。


「どうせ海底火山の噴火かなんだから、犠牲者も出てないんだし、適当に発表すればいいよね」


くらいの感じです。

これに総理補佐官の矢口だけが「でももしかしたら生物の可能性ないですかね」と主張しますが。


「何変なこといってんだ。そんなでかいもんいるわけないだろ。会議の邪魔すんな」


と相手にもされません。

まあそりゃ当然でしょう。

ここからしばらく会場を変えての会議シーンがいろいろ続き、民主主義は事務手続きがすべてということをしっかり見せてくれます。

しかし、その会議の最中ついに巨大生物が出現。

ここで政府は慌てて緊急対策本部を設置します。

平成ゴジラ「VSシリーズ」と比べて対応が悪いといえば悪いようにも見えますが、こっちはまだ怪獣なんて一度も出現したことがない世界なわけですから、何度もゴジラに日本が襲われてる世界と一緒にしてもしょうがありません。


で、対策本部ができるわけなんですが、これまでに類例のない事態なのでどうしていいのか政府もなかなか判断できず、専門家の予想もぜんぜんあてにならない状況が続きます。

そうこうしてるうちにもゴジラは多摩川を遡り、東京都心部へと向かいはじめました。

このゴジラの動きにも政府は。


「いやでもあれ水生生物でしょ? 上陸とかないから河川に近づかなきゃ大丈夫。専門家もそういってるし」


と、まだどうやってゴジラに対処するかの方針も定まらない中、国民向けの記者会見の場では「上陸の可能性がない」と首相自ら断言してしまいます。

ところがゴジラはここで変態して第二形態となりあっさり蒲田に上陸。

街を破壊しつつ都心部を目指して進撃を開始します。


こうなると政府もいよいよ「怪獣を倒さないといかん」ということになるわけですが「害獣駆除」の名目で自衛隊の出動は可能だとはいっても、こうした事例が過去にないので判断がなかなかできません。

そうこうしてる間に東京都知事から「災害出動」の要請があり、ようやく自衛隊が動くことになります。

こう見るといかにも「後手後手」なんですが、この総理や政府がけして無能というわけではありません。

想定外のことが続いている中、現行法でどうやったら対処できるかと悩んでいるわけですから、よくも悪くも書類処理が第一の日本らしいんですね。


ですからようやく出動した自衛隊がゴジラに攻撃をしかけるぞ、といっても「あ、まだ避難してない住民がいました」と判明すると。


「自衛隊の装備を国民に向けるわけにはいかん。攻撃中止だ」


と総理が判断し、結局この第一回の上陸騒動では自衛隊とゴジラの間に戦闘は起きませんでした。


政府としては「人道的措置」、「戦後日本の譲れない部分」としての苦肉の判断だったんでしょうが、これに一部の国民は当然激怒します。

これは実際現実でもそんなもんでしょうが「自衛隊の出動が遅すぎる」、「さっさと攻撃しないから被害が拡大したんだろ無能政府」と、国会前で抗議デモが展開されることになりました。


幸いゴジラも急速な変態に疲れたのか海へ帰っていったものの、またいつ上陸してくるかわからないという恐怖への不満が国民にも大きかったわけです。


なお、これだけの騒ぎがあったにも関わらず、翌日になると首都圏はすでに平穏を取り戻したように、電車が動きはじめ、会社や学校も再開されます。

このあたり非常にリアルだなと思いました。

もちろん街にはかなりの被害が出てるわけですが、劇中のニュースでもいわれているように「犠牲者、行方不明者は100人以上」という、怪獣騒動としてはともかく、大規模災害としては「壊滅的な被害」まではいかない程度にすんだため、市民の反応も「この世の終わり」のような騒ぎではなく、「バカでかい台風」か「地震にでもあった」というくらいに受け止めているのかも知れません。

ですから、政府の対応も「またゴジラが襲ってきたらどうするか」という対応策を検討するのと同時に「ゴジラの被害にあった街の復興に関連する法案を急いで整備する」という、事後処理を行っているわけです。


このあたり政府にもまだ「いざとなったら次は自衛隊で迎撃しなきゃいかん。でも自衛隊がいけばさすがにあんな怪獣くらいどうにかなるだろ」という油断があったのもそうでしょう。

それでも「これまでに見たことのない巨大生物」に対応するために、各省庁から選りすぐりの「変わり者」を集めた特殊チームが編成され、ゴジラの生態解明が進められることになります。


と、ここで思い出したのがかなり昔に放送されていた「ブルーシード」というアニメです。

このブルーシードでは太古から日本を荒らす謎の生物「荒神」に対処するために「国土管理室」という特殊な部署が存在しており、各省庁から優秀な人材(変わり者ともいう)が集められているという設定になっていますが、シン・ゴジラでは「謎の巨大生物」対策班として、同じようなものが設置されたと考えるべきでしょう。
彼らの活動はその後、日本の対ゴジラ戦略で重要な役割を担うことになっていきます。


さて、一方こうした「なんでも後手後手」の日本政府の行動に「こりゃダメだ」と思ったのが日本の同盟国、というよりも「ボス」であるアメリカでした。

もともと牧教授からゴジラの存在に一定の情報を持っていたアメリカは、それを日本政府に伝える見返りとして、日本側にあれこれと行動を要求してきます。

ここで登場するのが石原さとみが演じる謎の日系アメリカ人姉ちゃんの米国特使。

以後、ゴジラが出てくる前に「あれ巨大生物じゃないの?」といっていた、総理補佐官の矢口さんとコンビでゴジラ対策を色々やることになるんですが、この姉ちゃんのいうセリフがなかなかきつい。


「うち(の国)じゃなんでも大統領(政府)が判断するけど、あなたの国はどうなの?」


はい。おっしゃるように日本にはそんな判断くだせる人はいません。

実はここに思想の左右がどうの、というよりも根底にある。


「アメリカと日本じゃそもそもの考え方が違い過ぎる」


というのが作品のもうひとつのテーマになっていることをうかがわせるものがあります。

大体アメリカの場合、いつでも大統領の判断ひとつで戦争がはじめられる(極端ですけども)だけの準備ができているわけで、これは冷戦期から核戦争の当事者となる覚悟がいつでも必要だったアメリカらしいものだといえますが、日本はといえばそもそもそうした考え方そのものが希薄です。

ですから、何をするにもいちいち手続きが必要で、総理の役割といってもあくまでも「最後にハンコを押す人」であって、国民から全権を委任されている国家指導者とはかなり役割が違うのは当然なわけですが、とにかく緊急事態の判断としては遅くなりやすい欠点があります。


そして何より致命的なのは「そもそも何を第一に優先して守るのか」という順序が立っていない。

首都圏の防衛に重点を置く、というのは適切な判断なんですが、ようするにそのためには「他の地域にどれだけ甚大な被害が出ようと首都に入る前にとどめを刺す」というところまでは、この時点でもまだ考えていませんでした。

つまりなんとか「自衛隊と日本政府で対処できるだろう、まして核兵器の使用とかない」というのが日本政府のスタンスでした。



――「首都あっさり壊滅」――


ところがそんな日本政府の甘い見通しをよそに、ゴジラは数日後に再び出現。しかも体調が前回よりもさらに巨大化して、より恐ろしい姿になっています。

体長はなんと120メートル。

歴代ゴジラと比較しても最大サイズです。

相変わらず無茶苦茶な生命体だなあ。

しかもこれ「第四形態」であって「最終形態」ではないんですね。そもそもこのゴジラには「完全体」というのがなく、どんな変態をとげるのか誰も予測ができないわけですから。

この意味で変態ではなく、作中でももう「進化」といってるのは正しいのでしょう。この意味では。


「進化するゴジラ」 = シン・ゴジラ という感じです。


さすがに今回は自衛隊の投入をあらかじめ想定していた日本政府は鎌倉から進行してくるゴジラに、多摩川に防衛ラインを設置し、陸と空からの攻撃で迎撃するプランでいくことを決めます。

なんだか鎌倉幕府末期の分倍河原合戦みたいですね。


そしてゴジラがいよいよ武蔵小杉まで迫ったところで、自衛隊は攻撃を開始。政府では防衛大臣が。


「いいですね総理? 本当にやりますよ」


と念を押す中で、ついに自衛隊のヘリからの銃撃がはじまりました。

しかしこのあたりがなんていうか、エヴァの第一話とよく似てるんですよ。ヘリからの攻撃が全弾命中するもまったく無傷のゴジラ。

それを見て。

「1万6000発(だったかな)も弾薬を受けたのに」

と、驚愕する要人。

ほとんどこれゴジラというか「使徒」です。

続いて誘導弾による攻撃が開始され、地上からも戦車部隊による砲撃と自衛隊全力の攻撃が展開されます。

しかし、そんな自衛隊の猛攻にもゴジラは大してダメージを受けません。

そのまま戦車部隊を突破し、司令部も壊滅させたゴジラは引き続き東京へと進んでいきます。

というよりこのゴジラ、別に自衛隊をそれほどの「脅威」とは感じなかったようです。

ですから街を破壊したり、自衛隊を倒すというよりは「とにかく邪魔なものを壊しながらまっすぐ東京に向かってる」だけなんですね。


なんでそこまで東京にいきたがるのかはわかりませんが、可能性としては生命体としてのゴジラが「より強力なエネルギー」を求めているため、一番エネルギー供給の多い首都圏に向かっている、というくらいのものだと思います。ですから出現した場所がアメリカならニューヨーク、ワシントン。中国なら上海あたりに向かっていたのではないでしょうか。

ここで。


「やむをえないから、在日米軍に出動頼んで、最悪多摩地域が壊滅してでも首都進攻だけが阻止しよう」


と政府が判断することもできたろうとは思いますが、ここでも政府はその判断をできないでいました。

このあたりが「優先順位」の問題なのですが、「首都をなんとしても守る」のではなく「できるだけ人的被害を少なくさせる。そのためならゴジラを倒すとか、首都を守とかは後回しでもいい」というあたりに考え方の重点がいってしまっているため、もはやゴジラに対処する手段が政府としてはなくなってしまったわけです。

日本らしい判断としてはわからなくはないんですが、一方でこれに完全にブチ切れたのがアメリカでした。


「もうお前らに任せてらんない。何にもできない属国は属国らしく指加えて見てろ」


とばかりに、米国大使館の防衛のためグアムから爆撃機を出動させてきます。

相談もされてなかった日本政府は当然大慌てになりますが、日本としてはもうどうしょうもありません。

ゴジラと米軍。

どっちも相手にしたら恐ろしい、というわけで、東京都民には急いで退避して欲しいと呼びかけをはじめ、爆撃に備えた地下への避難誘導を開始します。

政府もその巻き添えを逃れるため、急きょ立川の自衛隊基地への政府機能の移転を決定。

総理以下の閣僚も移動することになります。


そんな中、ついに米軍は地上で暴れまわるゴジラに爆撃を開始。

もちろん地上の住民避難が済んでいるかどうかとか、そんなことはあまり考慮していません。

ゴジラを倒すのだけが彼らの任務だからです。

さて、ここで米軍が使ったのが地中貫通爆弾というやつです。

これは地面の下の敵の拠点を壊滅させるための兵器で、生物に使用すれば相手の外皮を貫通してから、内部で爆発するという大変に「エグい」攻撃手段となるわけですが、さすがにこれにはシン・ゴジラもたまらずかなりのダメージを負い地面に倒れてしまいました。

これを見て。


「さすが米軍だ」


なんて感心してる要人もいましたが、政府の力不足で、首都が今まさに米軍とゴジラに蹂躙されているのにそれでいいんかい・・・と思わないでもないんですけども、まあ戦後日本なんてそんなもんです。

しかし、そのとき不思議なことが起こります。

ゴジラの背びれが発光したかと思うと、いきなり立ち上がり口からビームを発射します。

いわゆる「放射熱線」なんですが、どちらかというとこれもう「風の谷のナウシカ」に出てくる巨神兵の「なぎ払え! ビーム」に近いもので、地上ばかりか上空の米軍爆撃機までも焼き払ってしまいました。


たぶんこのときはじめてゴジラは「生命の危機」を感じたのでしょう。

そのため、「空からくるやつはやばい」と学習したことで、以後空から近づいてくるものは何であろうとビームで迎撃するようになります。


しかも、米軍機を撃墜しても、出力の収まらないゴジラはなおもビームを吐き続け、首都のビルをことごとく薙ぎ払っていきます。

地上は完全に火の海となり、ついでに首相以下の閣僚が乗っていたヘリも巻き添えで粉砕。

いわゆる「内閣総辞職ビーム」です。


実はこのシン・ゴジラを見る前に、あらかじめ「あるんじゃないかな」と予想していたのがこういうシーンでした。

前に地上波で「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」が放送されたときに一緒に「巨神兵東京にあらわる」という短編特撮(庵野監督)が公開されましたが、これはいきなり東京のど真ん中に「滅びの使者」ともいうべき巨神兵があらわれて、東京を壊滅させる、というそれ「だけ」のものでしたけれども、庵野監督がゴジラを描くならたぶん生命というよりは、巨神兵と同じように「(人間が生み出した)世界を崩壊に導く超生命体」というニュアンスはどこかに残すだろうと思ったわけです。

ところでここで終わりとはならないんですね。

総理、閣僚も行方不明となり、政府機能も壊滅したかに思われた日本ですが、翌日には拠点を立川に移した上で、臨時に就任した里見総理大臣のもとで、閣僚人事も行われます。


「私が死んでもかわりはいるもの」


ではなくて。


「トップがいなくなっても次がいる」


と作中でいわれるように、日本というのは官僚組織の総体みたいなものですから、頭がつぶれたらすぐに壊滅するわけではなく、新しい体制ができるのが強みなわけですね。

作中にも「ゴジラより怖いのは人間」というセリフがあったと思いますけども、この日本の官僚組織、お役所のしぶとさも間違いなくゴジラ並みといえるでしょう。


――「大逆転! がんばれニッポン!」――


というわけで一応の新政府はできたものの、すでに日本政府にはゴジラと戦う力がないのは明白でした。

さすがにゴジラもあんまりにもビームを吐いて暴れ過ぎたせいで、しばらくは動けなくなったようですが、次に活動を開始したらもう打つ手がありそうにありません。

当初はゴジラのエネルギーシステムに目をつけていたアメリカも。


「こんなのがアメリカに上陸したらたまらん」


と判断したようで。


「もう核兵器撃って東京もろともゴジラ倒しちゃえばいいじゃん」


とか言い出します。


「あんまりだ。いくらなんでもひど過ぎるこんなの」


と嘆く日本政府ですが、アメリカはさっさと安保理に話を持っていってしまい、ロシアや中国も。


「こっち来られても困るしそれでいいや」


と了承ムードになります。

そして日本政府内にも。


「核兵器使われるのは悔しいけど、その後の復興費は世界が負担してくれるみたいだから、しょうがないかな」


という意見がちらほら出はじめるようになります。

このあたり自国の命運も他国に任せるしかない「敗戦国の悲哀」を感じさせるわけですけれども、そんじゃ他に何かプランがあるのか、というと・・・あるんですね、これが。

それがなんだかんだでゴジラ対策の最高責任者になった矢口さんと変人ぞろいのゴジラ対策チームが考えた「矢口プラン」です。


その理屈は意外に単純で、ごく大雑把にいうと。


「ゴジラだって生物だ」

「生物なら当然エネルギー活動をしてる」

「あいつの場合核反応で動いてるけど血液循環でそれやってるはず」

「つまり血液が固まればエネルギーもなくなるんじゃない」


というものです。

つまり大量の「血液凝固剤」を投与すれば、ゴジラの活動を停止させることができるのではないか、というわけです。

ところがこのプランには二つの問題がありました。

ひとつはその大量の凝固剤をどうやって調達するか、という点です。

幸いにもゴジラの血液サンプルはあるので、凝固剤そのものを作ることはできそうなのですが、そのデータ解析と、凝固剤の生産は政府だけでは到底手が回りそうにありません。


さらにもうひとつの問題はゴジラの生態。とくにどうやって体内でエネルギーを生成しているかの仕組みがよくわからないことです。

これは牧教授が残していったデータにヒントが隠されていることまでは判明しているのですが、そのデータの読み方がまだぜんぜんわかっていないのが原因でした。


牧博士は確かに人類に対して絶望と激しい怒りを持っていたようですが、一方で人類がこの「ゴジラ」という脅威にどのように対処するか、というテーマには関心があったようです。

ゴジラの有しているエネルギーシステムは旧来の理論を覆し、研究が進めばいずれさらなら巨大なエネルギーを人類にもたらす可能性がある一方で、使い方を間違えればいつでもゴジラのような存在を生み出してしまうという諸刃の刃でした。

つまりそれだけの危険なエネルギーを人類が使うのに値するかどうか、そしてゴジラのような存在を生み出した人類に、この先地上の支配者たる資格があるのかどうかを博士は問おうとしていたわけです。


まあ、一般市民からすれば迷惑この上ない博士の理屈なんですが、大体特撮ものに出てくる博士は「どっかおかしい」のであまり気にしないようにしましょう。


こうした課題を抱える中、日本側に与えられている時間はわずか二週間。

この間に課題を克服して、矢口プランを実行するか、大人しく東京での核兵器の使用を容認するかのいずれかを選択することが日本政府に迫られるわけです。


それでも東京を核で壊滅させるわけにはいかない。

というよりは、また日本に核を使わせるのだけはどうしても避けたい、という矢口さんたちは、諦めませんでした。

そんな中、ようやく牧博士の残したデータが、博士が船の中に残していた「折り鶴」にあることに気づき、ゴジラの生態のヒントとなるデータの読み方が判明します。

しかし、これを分析するには、日本中のスーパーコンピューターを並列させるだけではまだ何日かかるかわかりません。そこで、矢口さんたちは海外の研究機関や大学にも協力を要請し、さらに血液凝固剤の確保のために、生成プラントを使わせてほしいと民間企業などにも要請を行う必要が出てきました。


まさに人脈総動員、という感じなんですが、このあたりの日本の政治家の本領は「決断力」とかではなくて「人脈使っての根回し」にある、というのはあまり間違っていません。


こうした中で里見総理も覚悟を決めたようで。


「うんそうだな。まあ、ここは素直にいこう」


と、矢口プランに日本の将来をかけることを決めます。これまで「派閥の中でのし上ってきただけの地味な人」という里見総理ですが、実は以外に駆け引きになれているんですね。

矢口プランに必要な時間を稼ぐため、安保理にも核兵器使用の決定を待ってもらうため、フランス政府に直接頭を下げ、ゴジラの核エネルギーに関する情報をリークするなど、色々と裏で動いてくれます(これはラストでわかるわけですが)。

こうした日本の動きに石原さとみ・・・アメリカ姉ちゃん以下の米国大使館サイドも。


「そこまでやってるなら、本国に掛け合って少し時間を作ってやろう」


というあたりまで態度を変えるようになりました。

さらに米軍からも「ゴジラと戦うなら協力するよ」という打診があり、次々に志願兵が集まってきます。

これはさすがに米国も想定外のようで。


「あなたの国は愛されてるわね」


とアメリカ姉ちゃんがいっていますが、こうして自衛隊と米軍によるゴジラ最終攻撃作戦(やしおり作戦)が開始される準備が整いました。

政府による時間稼ぎと、民間企業などの協力のおかげで血液凝固剤もどうにか間に合い、自衛隊などで編成された「決死隊」のもと、現場指揮官となった矢口さんのもとで、ついに日本VSゴジラの最終決戦の幕が上がります。


さて、この「やしおり作戦」ですが、ここでは日本政府も完全に「核兵器を使わせない」と腹を決めているだけに、首都の被害を完全に度外視した全面攻撃に出ます。

これはもちろん東京都民すべてがすでに避難している、というのが前提になっているわけですが、在来線や新幹線に爆弾を登載して無人操縦でゴジラに突っ込ませたり、周囲のでかいビルをわざと誘導弾で破壊してゴジラにぶつけるなど、もはや経済的被害は完全に後回しの覚悟を決めたものでした。

おそらく事前にプランを知っていてであろうアメリカの大使が。


「危機は日本さえも成長させるんだな」


とつぶやいたように、日本だって首都を捨てる気になればここまでできるんだぞ、という感じです。

この「やしおり作戦」のプランは以下のようなものでした。

まずゴジラの足元を崩して動きを止める。

次にゴジラに熱線(ビーム)を吐かせてエネルギーを消耗させる。

そこでゴジラをひっ倒して、口から血液凝固剤を流し込む。


正直これはかなり危険なプランです。

ほとんど無人操縦のもので行うにしても、血液凝固剤の投入作業には人海戦術で当たらなくてはいけません。

そのため殉職者が出ることは予想されますし、司令部にいる人間もゴジラの熱線による放射線被ばくを想定しないといけないからです。

しかし、それでもここが日本の正念場。

まさにオールジャパンでのゴジラとの決戦がはじまります。


これがたぶん戦前か、戦後すぐなら「国のために命を捨てるのは男子の本懐だ」となるわけですが、現代日本の場合「これは自分たちの未来のための戦いなんだ」というのが大儀になるわけです。

そして、それができたのは皮肉にも本来守るべき首都圏がすでに機能を失い、しかも内閣府以下の省庁が機能不全に陥るという、極限状態だからでした。


このため序盤のゴジラ上陸と、矢口プラン、やしおり作戦に代表される首都の壊滅以降では、政府判断の裁量で行える決定権がかなり変化しているのがわかります。

つまり首都の壊滅で「平時の完全な意思決定システム」が、ようやく「緊急時のなりふり構わない総力戦」に切り替わったわけです。

ここでようやくアメリカから「日本も自分とこがやばいとわかったか」と評価されるわけですが、これを「今の日本が平和でよかった」と思うか「日本もいざとなったときの制度は用意しといた方がいい」と思うべきなのかは、これはそれぞれだと思います。

里見総理がいうように米国などのような国家の存在を重んずる「覇道」に対して、日本のように民を第一とする「王道」の姿勢が別に劣るわけではないからです。


ただ、それがゴジラのような強大な存在や、明確な脅威を相手にしたときにはどうなるか。問題なのはおそらくそこでしょう。

その点で、この作中での日本は「何もせずに諦める」ことは選ばなかったというだけでした。

かくして首都のインフレを総動員したゴジラとの戦いに日本は勝利することに成功します。

廃墟となった首都に活動を止めたゴジラの体がたたずむ中、矢口はアメリカ姉ちゃん(結局名前覚えられなかった)に「これからの人類はゴジラと生きていくしかない」という持論を告げますが、これは受け取り方によって牧博士の審判に打ち勝った人類が、ゴジラのエネルギー生成をもとにした新たなエネルギー生成の可能性を得たとも、それによって生まれる脅威を嫌でも享受しなければならなくなったという、どちらともとれます。


これ劇場版の「蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ」のラストでも似た部分がありましたが、ゴジラとか超戦艦のような存在が一応消えたとはいっても、そこから生まれたものが消滅したわけではないんですね。

つまりここからは人類がそれで手に入れた能力をどう使うかはわかりませんし、あるいは将来またゴジラのような生物が新たに生まれて、人類を脅かす可能性が消えたわけでもありません。

むしろ平成「VSゴジラシリーズ」からすれば、ここからがはじまりであり、日本も将来新たな怪獣の襲来や、ゴジラが何らかの理由で活動を再開したときに備えての装備開発や、巨大生物対策チームの設置を行うでしょうし、アメリカにしても残されたゴジラの肉体や、そこから得た細胞には当然興味があるはずです。


ここからはじまるさらに終わることのない駆け引き。さらには新たな混乱の予兆。

こうしたものを常に抱えながらやっていくしかない「国」というもの。

しかし、それでもなお日本という国は守っていくのに値するものだという信念。

大体今回の作品が帰結するのはそういうところだと思います。


と。

こんな具合に長々と考察してみたわけですが、正直この「シン・ゴジラ」がすごく面白かったか、というとよくわかりません。

確かに色々考えさせられる作品ではあるんですが、ガルパンとかアルペジオみたいに「また見たい」というのはありませんでした。

というか、疲れるんですよねやっぱり。

「ああ、あれがこうなって、これがこうなってるのか」と考えていないと理解できませんでしたから。


映画にも「一度見たら満足。もうおなか一杯」というタイプのものと「これいいね。何度でもおかわりしたい」というものがあるとしたら、シン・ゴジラは私にとってはたぶん前者の方です。

しかし特撮が好きな人は間違いなくたまらない作品だと思います。

「よくぞここまでやってくれたな」と。

好きな人はそう思うに違いありません。


また追加で感想など書くことがあるかも知れませんが、大体ここまで書くのに6時間近くかかりましたから、とりあえず満足しています。誤字、脱字など、多いとは思いますが、そこはなにとぞご容赦ください。




というわけで、今回はここまでです。

読んでいただき、ありがとうございました。