やや不完全燃焼のラブライブサンシャイン最終回~その理由を考えてみる~ | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

昨夜最終回が放送されたラブライブサンシャイン。

大ヒットした前作ラブライブの後を受けてのアニメスタートの中、これまでは順調に高い評価を獲て期待も高まっていた。

このため、ファンの中にはすでに「第二期」があることを想定している人も多い。

果たしてスクールアイドル「aqours」はラブライブ地区予選でどんなステージを繰り広げるのか。

そんなファンの思いを背負っての最終回。

内容もライブシーンあり、新曲ありのほぼ完ぺきな構成となっていた。

ところが放送後の評判はなぜかイマイチだったようだ。


本編の生放送と同時に行われたニコニコ動画のアンケートでは「とても良かった」と回答した人数の割合はおよそ39%。

これに「まぁまぁ良かった」という感想を合わせれば56%になるものの、ニコニコのアンケートでは人気作品、ファンの多い作品は「とても良かった」だけで90%を超えることもあるため、対象者の半数以上にどこかしら不満の残る点があったと見ていいだろう。

ではその不満の原因はなんだったのだろうか。


そこでもう一度最終回を見直してみると、前半パートの流れは非常によくできている。

いよいよラブライブへの地区予選が迫る中、毎日練習に励む「aqours」のメンバーたち。

学校存続のために、少しでもたくさんの人にステージで学校の魅力、街の魅力をアピールしたいという思いを強めていく。

そんな彼女たちの思いに共感し「aqours」へ参加したいという生徒たちも増えていくのだった。

そしてライブ当日には浦の星女学院の生徒たちの全員がライブに駆け付けるまでになる。

だが、ここで梨子から大会の規定で事前の登録メンバー以外の参加が認められていないことや、ステージの周辺に集まるだけでも規則違反になる、ということを告げられ、仕方なく他の生徒たちは会場からの応援に回ることとなった。


ここまでは非常にいい流れだ。

しかし、この後ステージに登場した「aqours」のメンバーたちは、なぜかライブではなく、これまでの自分たちの歩みをミュージカル調で行いながら、学校存続への思い、地元への愛を訴える。

このあたりでおそらく「アレ?」と思う視聴者は多かったのではないだろうか。

これはどう見ても「aqours」の歩みの解説であり、ライブパフォーマンスを期待していたファンからすれば、何かもやもやしたものがある。

番組冒頭にやる「これまでのラブライブサンシャイン!」をあらためてコーナーを設けて繰り返しただけに思えたからだ。


そもそもこの最終回前にラブライブサンシャインはネットで「これまでの歩みを振り返る」という内容の特番を金曜の夜と、番組放送前にほぼ同じ内容で配信している。

おそらく、これを見ていたファンも多かった、ネットの視聴者からすれば「え? またここでもやるの?」という気持ちになったのは確かだろう。


さらにもうひとつ問題なのがライブでのパフォーマンスだ。

新曲で、全員が新衣装での登場、さらに映像面も非常にいい出来だった。

しかしこれは前半までで、曲の途中で主人公の千歌がステージに向かい「みんなも歌おう」と訴え、それに応えて次々と浦の星女学院の生徒たちや、応援者が観客席からステージの周囲に集まってくると展開が大きく変わる。

これは「観客と『aqours』の気持ちがひとつになった」という象徴的な場面なのだが、梨子が指摘していたようにラブライブの予選内容として見ると規則違反ギリギリの行為であり、他のメンバーにも想定外だったためか、曜と梨子が驚いたように顔を見合わせて微笑んでいた。


このライブ場面の後、千歌のモノローグとなり、最後は「aqours」メンバーが海辺で集合写真を撮り。


「君の心は、輝いてるかい!」


と視聴者に問いかけるところで終了となる。

こう書いてみると、比較的にまとまっているようにも思えるが、しかしこのラストでは作中で問題となっていたことが解決している気配がまったくない。

それはいずれも作品のテーマと大きく関わることだが。


ひとつは「aqours」がステージで訴えていた、「浦の星女学院」の存続の問題。


そしてもうひとつが「aqours」は果たしてラブライブの決勝大会に進出することができたのか、ということだ。


この伏線を回収しないままでの最終回というのは、「当然二期があるだろう」という予測はともかくとしても、何か釈然としないものがある。

これが最終回の評価を押し下げた大きな要因だろう。

しかし、こうなった原因は単に最終回の構成がどうだったか、というよりは作品のテーマが途中でいくつかこんがらがってしまったことがより大きかったと考えられる。


―そもそも輝くとはどういうことか?―


ではここでラブライブサンシャインとはどういう話だったのかをもう一度振り返ってみよう。

まず、冒頭。東京に出かけた千歌がたまたま「μ's」(前作の主人公たち)のステージ映像を見たことで、「自分もあんな風に輝きたい」と思い、スクールアイドルを志すことから物語ははじまる。



ここからしばらくの千歌はほとんど「μ's」の伝道師のようなものだった。

何がやりたいというわけではないが、とにかく「μ's」のように輝く存在になりたい。

自分たちと変わらない、普通の女の子たちがあんなパフォーマンスをできるなら、きっと自分たちにも何かができるはずだと、そんな思いを強めていく。


このあたりの作品テーマはおそらく「スクールアイドルとは何か」ということだった。

どうすればその理想である「μ's」のようになれるのか。

そのための試行錯誤と、千歌と同じ思いを抱くメンバーたちによって、少しずつ「aqours」は活動の幅を広げていく。

しかし、東京で開催されたスクールアイドルのイベントで惨敗したことでその気持ちに変化があらわれるようになる。

すでに「μ's」の頃とは違い、スクールアイドルの数も増え、強豪グループが連立する時代となった今では、結成から間もない「aqours」のパフォーマンスが評価されなかったのだ。


ここでもう一度「aqours」は自分たちの方向性を考えることになるが、ここで大きなテーマの変化が起きる。

それは千歌たちの母校、浦の星女学院が間もなく廃校になるということだった。

もともとこの廃校の話はかなり早い時期から作中では明言されており、放送開始前から「すでに浦の星女学院の廃校は『決まっている』」ということで、あまり注目されていなかった。

しかし、スクールアイドルとしての方向性を模索しているうちに、自分たちにとって大切なのは、学校と地元の人たちとの繋がりだと考えるようになった千歌は、活動を通じて浦の星女学院の素晴らしさを世間に訴えていくことを決意する。

これはスクールアイドルとして「μ's」が求めたものは何かを考える中で、自分たちが求めるべきものとは何かに悩んだ、千歌らしい決断といえるだろう。


だが、これは考えてみると少しおかしかった。

そもそも千歌は「スクールアイドルになりたい、輝きたい」というその情熱だけで「aqours」をはじめた。

そのため千歌にとっては、学校の廃校といっても、それは悲劇ではなくて、むしろ「μ's」のように自分たちの力で学校を救うという目標ができたというくらいのものでしかなかった。

このためどこか他のメンバーにもさばさばしたところがあった。

生徒会長のダイヤでさえ、スクールアイドルで学校が救えるとまでは考えておらず、いやむしろ、スクールアイドルのことをよく知っているからこそ、仮に「aqours」がある程度の結果を残したとしても、簡単に学校が存続するとは思っていなかったろう。

そのため全体的に「もう一度スクールアイドルがやりたい」、「何か輝けるものを見つけたい」という思いだけで活動することができたのだ。


こうした流れなら、例え目標をどこに置くにせよ「aqours」としてはまずラブライブの優勝を目指せばよかった。

しかし、ここで「なぜ自分たちが『μ's』のようになれないのか」を悩んだ千歌は、あらためてそれを問い直す中で、「μ's」を追いかけることそのものが間違いだったと気づく。

それは別によかったのだが、ここでテーマの交錯が起きてしまう。

千歌の出した答えは地元への愛情と、学校への愛情こそが今の自分たちには大切なことで、「輝く」というのは目の前に起きる問題のひとつひとつを受け入れ、それを楽しみながら解決すること、というものだった。

このとき、おそらく千歌にとってはもう「ラブライブ優勝」という目標はすでに本題ではなくなっていたのだろう。

そしてこの決心が最終回の展開へとつながることになる。

―梨子は本当のことをいっていたのだろうか?―



ここでもう一度最終回を見直してみると、千歌の行動にはやや不安定な部分が目立つ。

まず、前半パートの中でクラスメイトたちに「自分たちもスクールアイドルになれるかな」という話をされたとき、千歌はこれを大喜びで歓迎する。

これは他のメンバーたちにしても概ね同じ反応だった。

早速千歌はクラスメイトたちもステージに参加する形でのプログラムの変更ができないかと、作曲担当の梨子に相談するのだが、しかしこのとき梨子はあまりいい顔をしていなかった。

後に梨子はその理由を「規則でできない」と話しているが、これはしかしどうも疑わしい。

もしもこうした規則が決まっているのなら、ラブライブに詳しいダイヤやルビィがもっと早くに指摘していてもおかしくはないし、当日梨子がいうまで誰も確認していなかったというのはいささか不自然だろう。


そこで考えられるのが、実は規則ではそこまで厳密に決まっているわけではないが、あえて梨子が規則を理由にして「aqours」メンバー以外の参加を断った可能性だ。


千歌は確かに他の生徒たちの参加を歓迎していたし、地区予選の会場で全員が合唱すれば、学校存続のための大きなアピールになると考えていた。

しかし、そうしたパフォーマンスは「スクールアイドル」の演技としてみれば、人数が増えるほどにまとまりは悪くなり、完成度が低下することも確実だった。


作曲担当で、ピアノのコンクールにも出ている梨子にすれば、そうなればラブライブ本選への出場が難しくなることがわかっていたため、ここはあえて「aqours」のメンバーたちだけで臨むべきだと考えたのは当然といえる。


また梨子の場合、浦の星女学院という学校そのものよりは、今の「aqours」のメンバーにより強い思い入れがあるのも確かで、自分たちがこれから活動を続けるためには結果を出し続ける必要があるのもよくわかっていただろう。

千歌にとっては「学校生活」の一部だったスクールアイドルの活動も、梨子にとってはより大きな存在となっていたのだ。


と・・・いうのはあくまでも仮定の話でしかないが、この最終話の千歌の行動が他のメンバーたちの思いとどこかズレている理由があったとしたらやはりそのためだろう。



―前作「ラブライブ」の壁―



こうして振り返ってみると、サンシャインはほとんど千歌が崇拝していた「μ's」の影響から脱却して、自分たちらしいスクールアイドルの姿を獲得するまでの物語だったと見ることができる。

しかし、その答えは「μ's」が自分たちの活動はあくまでも今のメンバーだけで完結するものであり、三年生の卒業と同時に解散を決め、「μ's」に関するものを母校に一切残していかなかったのとは対照的に、あくまでも学校への愛情と地元との繋がりを重視するものだった。


これは「どんな場所で、誰でも輝ける」というテーマとしてはともかく、自分たちのメンバーの活動、つまり「思い出の時間」を大切にした「」と比較すると、青春学園ドラマとしてはいささかメッセージ性が弱いようにも思う。

今後二期があるとすれば、当然そうした点が新たなテーマになってくるのだろうが、「輝きたい」という情熱を「学校の存続」に結び付けてしまった「aqours」はやはりどこか「μ's」の影響から脱し切れていないようにも思う。

もともとの「μ's」の活動動機がまさに学校存続のために、スクールアイドルの活動をはじめるということにあったのだから。

前作の「ラブライブ」でも、やはりこの「学校存続」、そのための「ラブライブ優勝」というテーマが途中で動いたことがある。

これは学園祭ライブでリーダーの穂乃果が倒れたため、ラブライブへのエントリーを取り消したにも関わらず、その直後に学校の存続が決まってしまったときだった。

これはやはりネット上ではあまり評価がよくなかった。

ファンとしては作品のテーマそのものは、できれば作中のイベントで消化してもらいたいもので、なし崩し的に展開が変わることは歓迎していないのだろう。

ラブライブには最終回までの間にこうしたテーマの変更を挽回する時間があったが、サンシャインは最終回でこれをやってしまっただけに、ファンとしてはやはり「二期に期待」ということになるだろうか。


ただ、これでラブライブサンシャインという作品評価が決まることもないだろう。

今でこそ大ブームになっている前作ラブライブも、放送当時はけして評価が高い作品というわけではなかった。

これはニコニコ動画などで視聴していた層にはわかりやすいと思うが、作品としての完成度が高いのではなくて、みんなで盛り上がるのが楽しい作品だったため、ファン層が緩やかに形成されていき、それが次第に拡大していったからだった。


実際、このアニメ本編の評価はともかく、メディアミックスとしてのラブライブサンシャインはここまで順調に来ていると思う。

そのため今後二期があるかを含めて、ファンの応援次第でどうとでもなる作品だろうといえる。今はその行方を見守ってみたい。



今回も読んでいただき、ありがとうございました。