トランプ大統領の誕生の背景とは何か ――「欧米の衰退と新しい『革命』」―― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

トランプ大統領が発布したイスラム教徒の多い7か国の国民を対象とした米国への入国停止措置をめぐって先日非常に興味深い結果が出た。

ロイター通信の行った行った調査によれば、アメリカ国民のうちトランプ氏の措置に賛成すると答えた人はおよそ49%であり、反対と答えた人は41%と、ほぼ二分されてはいるが、全体としては賛成派の方が若干多いものとなった。

 

米入国禁止の大統領令 国民の間で賛否わかれる

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170201/k10010860401000.html

 

連日反対派のデモや、各国首脳からの非難の声が報道される中でこうした数字が出たことは意外にも思えるが、これは大統領選挙前から指摘されていた「隠れトランプ派」、つまりメディアに取り上げられることのないトランプ大統領を支持する多数の意見があの大統領選挙の結果を大きく左右したことを考えれば妥当だろう。

トランプ大統領の誕生を予見できなかった国内外のメディアは今回もまた同様の読み違いをしていたといえる。

確かにトランプ大統領の言動は過激であり、急進的ではあるものの、必ずしもアメリカ国民はまだ大規模なデモを行う反対派のように、トランプ大統領の動向に正否の判断を下すタイミングではないと見ているのだろう。

 

だが、それではなぜこれほどトランプ大統領を支持する声が一方には根強くあるのだろうか。

それを考えるためには、そもそもトランプ大統領の誕生は本当に世界の潮流から外れた単なるグローバル化への「反動」から起きているものなのか、ということをまず疑ってみる必要がある。

 

結論からいえば、私はあまりそうは思っていない。

トランプ氏の大統領選勝利は「予想外」ではあり、確かに「衝撃」ではあったが、それはけして「想定外」のものではなかった。昨年同じく世界を震撼させた英国のEU離脱と同様に、本来ならば先に別のところで起きるはずの動きがいきなり「本命」の方で起きてしまった現象にも思える。

では、そのあり得るべき「変化の順序」とは本来どのようなものだったのか。

それを語っていけばおよそ今回のトランプ大統領誕生にいたる全体像が見えてるくるだろう。

 

・トランプを支持する海外の首脳たち

 

さて、現在フランスのオランド大統領やドイツのメルケル首相、さらにはトランプ大統領と会談を行った英国のメイ首相をはじめ、アメリカの入国停止措置への批判はなお強いものがある。

しかし、その一方でトランプ大統領のこうした言動を評価をする国々があることはあまり注目されていないようだ。

AFP通信は先日、チェコのイリ・オブチャーチェク大統領報道官がトランプ大統領のとった入国停止措置を称賛したと報じている。

 

トランプ氏の難民受け入れ停止措置、チェコ大統領報道官が支持表明

http://www.afpbb.com/articles/-/3115839

 

さらにハンガリーのオルバン首相はトランプ大統領の目指すアメリカファーストに対して「他国が追随できる先例だ」と歓迎の姿勢を見せているという。

 

トランプ氏の米国第一歓迎=他国の先例に-ハンガリー首相

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012400056&g=use

 

こうした東欧諸国の反応は、難民問題に揺れているEU内部の分裂を如実に反映している。

我々が見聞きする多くのEUの反応とは主に英国、ドイツ、フランスなどを中心とする「西欧諸国」のものであり、東欧圏のニュースが報じられることはあまりない。

だが、現在EUの中で起きている変化を見るには、むしろ東欧圏の方がより大きな「今目前にある」危機を的確に語っている。

 

まず現在、欧州が直面しているその危機とはもちろん「難民問題」であることは自明だろう。

この難民への姿勢をめぐって、現在EUの中でも排斥を訴えるなどの強硬な主張が強まりつつあるが、その批判の先鋒となっているのはチェコ、ハンガリー、さらにはスロバキア、ポーランド、さらにスロヴェニア、ブルガリアといった国々だ。

 

ドイツのメルケル首相は難民の受け入れは「先進国の義務であり」、EUの加盟国はその役割を分担するべきだという主張を依然変えてはいないが、ここにはひとつ大きな間違いがある。それはEU加盟国がすべて先進国であり、経済面、社会保障面での「先進国の義務」を必ずしも果たせる状態にはないということだ。

そのため急増する難民、移民問題への方針をめぐっては、EU内部でもすでに分裂状態にあり、強い立場にあるドイツやフランスなども、次第に拡大している強硬論に一定の配慮を示すことを迫られている。

 

私が当初予想していた「世界の潮流の変化」はこうした部分から緩やかにはじまるだろうと思っていた。

つまりアメリカ、そしてEUという「欧米圏の衰退と分裂」が今後徐々に進んでいけば、彼らの中東政策はトルコやイラン、サウジアラビアといった中東の地域大国の力に頼らざるを得なくなり、東欧圏へ拡大するロシアの影響力を抑え込むこともできなくなる。

そうなったときに起きるであろう世界秩序の変化こそがその本命だと考えていた。

もしもこの予測の通りになれば、もはや外部に拡大することのできなくなったEU諸国では保守政党が台頭し、世界のリーダーとしての指導力を失った米国では、国内の分裂が起きる。それとともに世界が混迷に向かうのはほぼ必然だったといえる。

 

・英国のEU離脱という決断と「欧米の敗北」

 

しかし、この予想では英国、ドイツ、米国など「まだ比較的に余裕のある国々」に変化が起こるのはもっと遅くであるはずだった。

この場合の余裕とはつまり経済や、国の安定性でもある。

ここでよくある誤解をひとつ正しておかなければならないのは、現在東欧圏で移民、難民を排除するかのような意見が強まっているのは、別に彼らが極端なナショナリズムを持っているからではない。

これらの国々は西欧に比べればいずれも経済力が弱く、そもそもこうした余裕がないのだ。

さらにもうひとつ彼らを駆り立てる大きな要因は、今後の自国やEUの将来に対してまったく楽観的な希望が抱けない状況にある。

 

現在、アメリカや西欧で主流となっている寛容なリベラリズムの精神は本質的に裕福な層と、極端な博愛主義を信奉する人々を中心に信奉されているものであり、すでに半ば宗教のようになっているような趣さえある(これは日本でもほぼ同様だが)。

このため近年の彼らの「反ナショナリズム」の運動は、もはやナショナリズムそのものよりも過激でさえあることは、トランプ氏大統領選挙に勝った後の反トランプデモを見ても明らかだった。

これはもはや宗教戦争というよりも「正統」と「異端」との戦いのようになりつつある。

 

そのため彼らはこういった東欧圏に見られるような移民排斥の流れをポピュリズム、ナショナリズムだと批判することが多いが、まずこれは大きな間違いであるといえる。

難民に冷たい態度をとる多くの人々はけして難民にパンを与えるのを悪意で拒絶しているわけではなく、ただ多くの人々は他人に施しができるほどパンを多く持ってはいないことがすべての原因なのだ。

 

アメリカ大統領選挙において、トランプ大統領を支持した層が白人の労働階級であり、移民や難民の増加によって直接生活に影響を与えることを心配して人々であったことはこれで説明がつくだろう。

そのうえで彼らの考え方を変えようとするのならば、殊更に「愛」や「理想」を説くのではなく、彼らにまず生活の余裕を与えることが必要だと気づかない限り対立が解消することはないだろう。

また仮にそれに気づいたにせよ、社会はより閉鎖的にならざるを得ない現状がある。

ようするにこれらの動きは時代の「変化への反動」ではなく、むしろ「行き詰まりのムード」を打破できないことから起きているとものだと考えた方がいいのだ。

 

だが、ではなぜこれほど欧米は追い詰められてしまったのだろうか。

かつてはEUといえば新たな国家共同体の期待の星だったにもかかわらずだ。

 

おそらくその原因は、欧州がこの7年ほどの間に、少なくとも三回の大きな挫折と敗北を経験したことにある。

まず一つ目は2010年から2012年にかけて中東、アフリカ諸国で起こった「アラブの春」だ。

二つ目は「ウクライナ動乱」への介入。

そして「シリア内戦」の敗北へと続く。

 

これらは一見するとそれぞれまったく異なる要因からはじまったものに見えるが、「EU圏の将来的な拡大」という観点から見ればいずれも同じであった。

「アラブの春」の際に欧米がとった動きは「独裁制の打破と民主主主義の輸出」を目的としたものであり、「ウクライナ動乱」の発端にしてもEUのウクライナ加盟をめぐる国内の分裂と混乱からはじまっていた。そして「シリア内戦」の拡大によるISILの脅威と、内戦における事実上のアサド政権(ロシア)の勝利はほぼEUの将来を決定づけるものとなってしまった。

 

これらの出来事をめぐる細かい経緯を説明することは省くが、仮にアラブの春が成功し、中東、アフリカ諸国の民主化が順調に成し遂げられていれば、いずれEUにとって北部アフリカ地域に新たな市場を開拓するチャンスになっていただろう。

同じようにウクライナが分裂せずにEUへ加盟していたのならば、ロシアの重要な拠点であるクリミア半島をEU、つまりNATOが抑えるとことになり、ロシアの東欧圏への影響力を低下させ、地中海への出口を塞ぐことにもなった。

 

EUはもともと「共通の市場」を掲げた共同体であり、それが成長していくにはどのような形であれ、経済圏を拡大させていく必要がある。

共通の経済圏を目指すとは、つまりEUの拡大こそがそれぞれの加盟国にとっても豊かな将来像を描く原動力になるからだ。

ところが、現在のEUはもはやこうした敗北から海外に新たな市場を見出すことはできない。

中東、アフリカ諸国はいずれも混乱の中にあり、ロシアの勢力はクリミア半島を併合したことで、事実上地中海にまで進出しつつある。

かつては強い姿勢で臨んでいたトルコにも、中東圏からのこれ以上の難民の流入を食い止めるために、返ってその顔色を窺わなければならず、結果的にクーデターの鎮圧後、強権政治へと突き進んでいるエルドアン政権に対してもむしろこれを黙認せざるを得ない。

しかも加盟国の間でさえ、ギリシャ危機以降の経済の展望はけして良好とはいえない。

こうした八方ふさがりの中での「敗戦処理」こそ、今のEUの直面している最大の危機といえるだろう。

 

共通の利害でまとまった共同体は外部へ拡大しているときには勢いがあるが、それが内向的な方面へ向かうと、今度は返って「利害」よりも「義務」が優先されるようになる。

英国がEUを離脱する際に見せたEUの態度は「EUを離脱した場合の制裁や

不利益」をちらつかせるという非常に見栄えのしないものだった。

これはEUにとっての拡大の時代がもはや終焉した証拠でもある。

「EUに加盟していれば将来もっと豊かになる」というメリットを説くよりも、「今EUから抜けるのは裏切りだ」というデメリットを強調する方が彼らはまだ現実に即していると意識するにせよ、無意識のうちにしているにせよ、みな自覚しているからだ。

 

この意味で、英国のEU離脱はけして無謀な判断でもなかった。

先の見えないEUに残留し、ともに衰退するよりも、あえて独立独歩の道に進む方が将来の可能性があると(それが現実にどうであるかはともかく)国民の多数が信じたからである。

しかし大国のEU離脱という、「本来であればより後に起こるであろう」出来事であったために、世間にはそれがどのような意味を持っていたのかを見落とされたに過ぎない。

 

・大国をもう一度目指すアメリカの選択

 

では、こうしたEUの現状に対してアメリカはどうだろうか。

なお、ここで断っておきたいのは、私は今もアメリカ人の多数がトランプ大統領を信任しているとは思っていない。

大統領選挙でのトランプ大統領とヒラリー・クリントン候補の得票数を見れば、総合的な数の上ではヒラリー氏の方が優位であったし、世論調査では4割以上がトランプ支持を表明しているとはいっても、おそらくはこれから起きる変化がどのようなものになるのかを「ほんのわずかな期待と、大きな不安」の中で眺めている人々が多いと思われる。

 

しかし、そうした不安の中でもなおトランプ氏を選ぶ有権者がこれだけ多かったことには、やはりアメリカを取り巻く状況の変化が大きかったと思われる。

オバマ政権に対する評価は現状まだまとまったものにはなっていないし、これを判断するにはおそらくまだ時間もかかるだろう。

 

ただ少なくとも、オバマ政権の「日本での」評価はおそらくかなり好意的だった。

 

確かにここ二年ほどの動きを見ても、オバマ政権は非常に日本との関係を緊密に保とうとしていた。

二年前の2015年4月には安倍総理がアメリカの上下両院合同会議で演説を行い日米間の親密ぶりをアピールし、昨年にはオバマ大統領が広島をアメリカ大統領としてははじめて公式に訪れ、日米の戦後関係が大きく変化したことを象徴する出来事となったのは記憶に新しいが、しかし、これは考えてみれば日本にとっては大きな成果であったとはいえ、アメリカにとってはいささか「多すぎる贈り物」であった。

 

近年、日本はアメリカの「同盟国」としての立場をより鮮明にするために集団的自衛権行使のための法整備などを順序行ってはきたが、かといって、日本が期待しているほどアメリカは「日本を信用しているのか」となるとどうもそうではないように思われる。

 

むしろこれは国際社会でのアメリカの立場がそれだけ変化した。

つまり日本のような「極めて米国への依存が強い国」にさえ、これだけの配慮をしなければならないほどの事態が起きていたのではないか、という可能性をここでは考えておく必要があるだろう。

 

そうして見ると、オバマ政権の外交、とくにウクライナ騒乱以後のアメリカのそれは相当に妥協的なものがあった。

 

これをよく象徴しているのがイランとの関係だろう。

アメリカにとってイランは、かつてブッシュ政権が「悪の枢軸」として名指しで批判したほどの仇敵といっていい間柄だった。

中近東地域で強い影響力を持つイランは、ヒズボラやハマスといった団体を支援し、パレスチナ紛争ではイスラエルとはきわめて険悪な関係にあり、またアメリカの同盟国であるサウジアラビアにとっても脅威とみなされている存在でもある。

 

ところが昨年の2016年1月。アメリカを含む米欧六ヶ国は長年行ってきたイランへの経済制裁などを解除すると発表した。

これは中東地域の勢力図が大きく変わりかねない外交上の大転換といえる。

アメリカと欧州がこれほどまでにイランとの関係修復を急いだ原因は、おそらく中東地域へのロシアの影響力の拡大を防ぐためと、シリア、イラクで勢力を広げていたISILへ対抗するための意図があったとものと考えられる。

 

この時期、欧米、とくにアメリカはISILを中東地域での最大の脅威とみなし、頻繁にシリアでの空爆を行っていたが、しかしかつてのイラク戦争の反省(トラウマ)から、地上部隊の投入は結局のところ実現しなかった。

その代わりに欧米が支援していたのがもともとアサド政権と戦っていた反政府勢力、そしてイラク軍(イラク治安部隊)、さらにクルド人などの勢力だった。

 

だが、イラク軍はもともとフセイン政権崩壊後に作られたものであり、ISILがイラクに侵攻するや主要都市を次々と占領されるなど、お世辞にも強い軍隊とはいえず、シリアの反政府組織にいたってはそもそもが「アサド政権と戦うために」集まった組織がほとんどであったため、ISILとの戦闘にはけして乗り気ではなかった。

 

ここに入り込んできたのがロシアだった。

もともとアラブの春以降、国際的にアサド政権が孤立する中でも擁護する姿勢をとっていたロシアは、シリア政府軍とともにシリアでのISIL掃討作戦を開始する。

これによってシリア内戦でのロシアの存在感は一気に増加することになる。

 

しかし、オバマ政権としてはクリミア併合以来、一貫してロシアの姿勢を非難し続けていた関係から、中東地域でのロシアの存在感が強まることだけは避けなければならない事態だった。

このためあくまでも自国の犠牲を最小限に抑えたい欧米はかなり早い時期からISILに対してはイラクと共闘する姿勢を見せていたイランとの関係強化に動かざるを得なかったのが実情だろう。

 

だが、こうした欧米の判断はイスラエルやサウジアラビアにとってはある種の裏切りとも思えたに違いない。

誤解のないようにいえばサウジアラビアやイスラエルがこの場合「正しい国」であるというわけではない。

そもそも政治的に「正しい国」というものがあるのかはわからないが、すべての国にとっての死活問題は国の安定であり、これを求めることはごく自然なことでもある。

 

この点からいって、彼らの「盟主」であるアメリカが彼らの仇敵であるイランとの接近を急いだことは当然許せるものではなかった。

 

そしてアメリカのこうした外交方針の転換は、すでに旧来の枠組みでの米国の優位。

すなわち「米国を頂点とする同盟関係」の構図が大きく揺らぎはじめていることを自覚させるのには十分なものだった。

 

これが単に中東だけではなく、日本にとってもけして他人事ではなかったのは「同盟国にも相応の負担をしてもらう」というアメリカの戦略方針の転換が、当然アジア地域にも及んできたたためだ。

 

若干イメージがつかみ難いかも知れないが、旧来のアメリカと同盟国の関係をアメリカをトップとした「ピラミッド」だとすれば、オバマ政権のアメリカが目指してきたのはアメリカを盟主とながらも同盟国が相互に関係を強化する「ラウンドテーブル」のようなものだったといえる。

 

このためTPPをめぐる交渉でも、当初アメリカが一方的に自国に有利な条件を突きつけるものと思われていたのが、次第に参加国の「相互利益」に重点を置くという、アメリカとすれば相当に妥協したものとなっていたようだ。

 

ここにある種のアメリカの矛盾した態度が垣間見えるが、アメリカはあくまでも「世界の盟主」としての座は維持しながらも、かつてのような「世界を主導する超大国」の立場からは降りようとしていたといっていい。

 

それがアジア地域での日本の厚遇に繋がっていたものと思われる。

アメリカが求めたのは「よりよく尽くしてくれるパートナー」のような存在であり、日本はそのためには都合のいい存在だった。

 

だがこうしたアメリカの方針は国内から見ればやはり衰退局面の選択としか思われなかったに違いない。

「ウィンウィンの関係」といえば聞こえはいいが、それでは「盟主」としてのアメリカの利益はどこで補填するのか。

同盟国どころか、かつては名指しして批判した相手にさえ配慮をしなければならない政府の姿勢には、ある種の落日を見る思いがしただろう。

 

ここに「世界最強の国でありながら、その力を振るうことができない」自国に対するもどかしさを感じていたアメリカの有権者はやはり多かったように思われる。

彼らがもう一度望まんとした「古き良きアメリカ」。

あの世界をリードする超大国、並ぶもののない民主主義のリーダーの栄光を取り戻したいという誘惑は多くのアメリカ人にはやはり魅力的だったろう。

 

トランプ大統領候補の演説は、共和党の候補者指名選挙の段階からしばしば暴言と批判されていたが、こうした観点からいえば、非常に巧みであったようにも思う。

 

「果たしてアメリカはこんなみすぼらしいままでいいのか」

「アメリカに防衛を依存する日本や、新参者の中国に国内の市場さえ奪われつつあるこの『グローバル化』は果たしてアメリカのためになるものなのか」

 

こうした問いかけは少なからず有権者の胸に響いたに違いない。

なかんずくそれは地方に追いやられていた「かつてのアメリカの労働者たち」を動かすのには十分なものがあったことは、大統領選挙の投票結果を見ても明らかである。

 

この意味で、トランプ政権の誕生は「意外」ではあったものの、その要因となる要素は確かに存在していた。

その本質はつまり「緩やかな衰退に向かうよりも、もう一度国家としての強さを取り戻そうとする」ことにある。

 

実はこれこそが今の世界に起こりつつあるひとつの潮流ではないかと私は思っている。そうであるのなら、これは単なる反動ではなく、むしろ「民主主義」という制度の中で生まれたひとつの「革命」の形として見る必要があるだろう。

拡大する世界が人々にかつてほどの希望をもたらさなくなったとき、我々はもう一度国のあり方というものを考えることになる。

国家がそれが拡大していくときには常に意識は外に向かうが、縮小していくときには常に内面へ向かい出す。

この意識の転換こそがおそらく今世界で起こりつつある大きなうねりの正体ではないかと思う。

 

 

 

今回も読んでいただき、ありがとうございました。