桜井誠という男 その1 ――または活動家というものについて―― | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

 昨年の夏に行われた東京都知事選挙では、主要政党からの公認を受けずに出馬した小池百合元防衛大臣がおよそ290万票を獲得し、初の女性都知事が誕生した。

 自民党の推薦する増田寛也候補、民進党、共産党ら野党連合の推すジャーナリストの鳥越俊太郎候補との三つ巴の争いも、終わってみれば大差での小池氏勝利だった。

 

 この選挙の勝因がどこにあったかはともかくとして、当初からこの三氏のいずれかが勝つだろうという見通しであったことから、選挙中の報道もほとんど三人の動向に注目が集まっていた。

 しかし、これら三者に次いでネットで注目を集めていた候補者がいる。

 「在特会」こと「在日特権を許さない会」の前会長であり、創始者でもある桜井誠だ。

 桜井はとくに2014年に行われた橋下徹大阪市長(当時)との会談で、はじめて世間にも広く知られるようになったが、以前からネットでは「行動する保守活動」の主要な指導者として知られていた存在だった。

 そのため、この都知事選で桜井がどれだけの票を集めるかは、ネットにいる彼らの支持層がどれだけの力をまだ有しているかを見定める上でも注目が集まっていた。

 

 結果、桜井の得票数はおよそ11万票。全体の5位という結果に終わっている。

 以前からネットの保守活動を取材している評論家の古谷経衡は「縮む東京の「極右」地図~桜井誠氏の得票から見る都知事選分析~」という記事で、桜井がネットの保守層からの票の多くを取り逃がし、前回2014年の東京都知事選挙に出馬した、チャンネル桜などの保守陣営が推していた田母神俊雄元航空幕僚長が獲得した60万票に比べれば、ほぼ想定内の範囲であり、行動する保守層そのものが縮小していると指摘した。

 この古谷氏の分析にはおおむね同意できる部分もある。

 ただ、そもそも二つの選挙の情勢を踏まえれば、2014年の選挙での舛添前知事の圧勝と今回2016年の小池都知事の圧勝とではいささかネットでの応援ムードが違っていたことは考慮する必要があるだろう。

 2014年の選挙の場合、舛添は田母神を応援するネット上の右派、保守派とされる人々からは相当の批判を浴びており、「保守系」の候補とはとても見られていなかった。これには、自民党が2009年の衆議院選挙で野党に転落するや、自民党批判を繰り返した末に新党を結成して離脱した経緯なども関係していた。

 

 このため当時のネットでは舛添へのネガティブキャンペーンと、田母神支持の運動がほとんど並行して広がっており、石原慎太郎元東京都知事も田母神氏の応援演説に加わるなど、単純にネットばかりではなく、旧来の保守層の支持の多くも田母神に集中する形となっていた。

 それが60万票という獲得票につながったのだろうが、しかし結果からすればこのときも舛添に遠く及ばない「大敗」であり、これに憤慨したネットの保守、右派層も多く、舛添の都知事就任後にもたびたびネットではリコール運動が展開されていた。

 

 つまりもともとネットには根強い「舛添アンチ」が多かったのである。

 そのため舛添都政に対するネットの目は厳しく、とくに韓国人学校を都有地に新設すると決めた今年の3月以降は保守層からの反対や批判が相次ぎ、これが結果的に一連の舛添氏の疑惑を公にする呼び水となった側面がある。

 それに比べ自民党議員の中でも「タカ派」と見られていた小池百合子の場合、ネットではほとんど批判の声が出なかった。さらに当初の予測では小池、増田の分裂となった与党陣営に対して、知名度もあり革新系の支持層が厚い鳥越俊太郎が当選する確率が高いと見られていただけに、小池応援の声はネットの保守層ではほぼ圧倒的といってよかった。

 そうした中でわざわざ勝率の低いと見られる桜井の応援にまわるネットの保守層はほとんどいなかったろう。

 つまり今回の情勢は保守、右派層にとって小池、桜井の「分裂」というようなものではなく、主流派の小池に対して、少数派の桜井一派が加わらなかったという程度のものでしかなかった。そのため古谷のいうようにこれを「極右」の縮小と見るよりは、桜井のような強硬論者を推そうという一派がどれだけの勢力を持っているかを明らかにしたものといった方がいい。

 そう見た場合、この11万票という数字を田母神氏と比較しての「縮小」したとはいえない。

 そこで同じく「ネット上の保守、右派層の支持」を集めた候補者と比較してみると、2010年の参議院選挙の際、当時インターネット上で強い人気を集め、討論番組などにも頻繁に出演していた評論家の三橋貴明が、比例区から出馬して獲得した票数がおよそ4万2000だった。

 さらにチャンネル桜など、保守系の文化人たちとも繋がりの強い維新政党・新風代表(当時)で、韓国に対する抗議活動でも知られる鈴木信行が2013年の参議院選挙に東京選挙区で出馬した際の獲得票数も7万7000票あまりとなっている。

 もちろん、比例区や参議院選挙の得票数を都知事選挙のそれとを単純に比較することはできないが、当時次々とベストセラーを出し、ネット保守層の論客として注目されていた三橋や、保守政党代表としての基盤がある鈴木と比較しても、桜井の票はけして少なくはないといえるだろう。

 実際この選挙にも見られたように、桜井はその思想や、主張はともかく非常に活動家として嗅覚の利く人物なのは間違いない。

 彼はどうすれば世間の注目を集められるかをよく知っている。

 都知事選後、即座に新党「日本第一党」(略称・日本一)を立ち上げたというのもそのひとつだろう。

 これはもちろん政党としてみればさほど大きなものではないが、ごく少数の人間の応援組織としてみればかなりの力を持つ可能性はある。

 

 政治家としてはともかく、活動家、運動家としての彼は支持基盤と、今後の活動の中心となるものをこうして手に入れたというわけだ。

 そもそも東京都知事選挙の以前、桜井をはじめとするネットの「行動する保守活動」はほぼ袋小路に陥っていた。

 ひとつはネット、リアルを問わず多くの保守、右派層、文化人などが応援する安倍政権の支持率が圧倒的に高いこと。

 さらにもうひとつは在特会が武器としていた過激な街宣活動が「ヘイトスピーチ」に該当するとして、左派系の政治家、文化人をはじめ、世間からも批判を受け、ネット上の保守層の中からも「ああいう運動は反対者に批判する口実を与える」と否定的な意見が目立つようになっていたことがある。

 このため2013年あたりからは、安倍政権の支持に回っていた穏健なネットの右派層、あるいは中道右派というべき層からの在特会への期待感をもはやなく、従来の方法での抗議活動を続けることが難しくなっていたために、近年はデモの参加者の数も減少傾向にあった。

 つまり在特会という名前だけでヘイトスピーチとイメージが結びついていく中で、運動を行うことがもはや難しかったのだ。

 

 事実、2015年以降のヘイトスピーチとされる活動は、在特会が主導していたというよりも、むしろ新興の右翼団体などが在特会の活動を「模倣」しているものが多くみられた。おそらく、右翼団体からすれば、わずか数年間世間の注目を集めるほどの巨大団体となった在特会を意識しているのだろう。

 この点で、桜井や在特会を批判的にせよ、肯定的にせよとりあげる人々は少なからず彼の活動に関心を持ち、その行動力を一面では評価していることも間違いではない。

 従来の方式が通用しなくなったとき、桜井はどんな活動をはじめるのかも当然注視していたと思われる。

 結果、彼が選んだのは都知事選への出馬による「過激な右翼活動家」という旧来のイメージからの脱却にあった。

 それが成功したかはともかくとしても、保守界隈という世界に関していえば、彼の与えたインパクトはやはり相当のものがあったと思えるのである。

 

 ――続く