ゾウを輸入し、高位まで与えた徳川吉宗 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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一応『暴れん坊将軍』のモデルでもあります、徳川8代将軍・吉宗。

進歩的でアイデアマン。目安箱や人足寄場を設けるなど、積極的

な政策でエピソードも沢山残していますが、極めつけはゾウを輸入

したことでしょう。


鎖国といっても、オランダや中国とは盛んに交流をしていたわけで

すから、諸外国の事情はいくらでも耳にはいるのです。


そして吉宗がいたく興味を抱いたのが、ゾウなのでした。1728年、

彼は中国商人を通じて、実際にゾウを輸入しています。


オスとメスの2頭が同年、長崎に上陸します。しかしメスの方が長崎

滞在中に死亡してしまったため、残されたオスの方は、とても大事

にされました。


江戸に向かう途中の京都で天皇が「ゾウを見たい」と言い出した時、

参内に入る資格を得るためという名目で、そのゾウに位を与えてい

ます。与えられた位は、「従四位」。これは、大名より上なのです。


要するに、「我が国にとって、国宝級の大事な存在なのだから、その

つもりで崇めるように」との意味もあって、このゾウ、大名より出世し

てしまったのでした。


翌1729年5月に江戸に到着してからは、ゾウに関する様々な書物

やグッズが多数発売され、どれもヒットしました。あちこちで、「ゾウ

ブーム」が、沸き起こったのです。


しかしそのゾウ、飼育が幕府の環境では難しいため、やがて源助と

いう農民に年間130両という手当てと共に下げ渡されましたが、ゾウ

人気は衰えることなく、彼の持つゾウ小屋には多くの見物人が訪れた

そうです。


ゾウは死後解剖され、皮が墨の材料に使われました。骨は東京・中野

の法仙寺に17両で買い取られまして、参詣人が自由に見られたので

すが、1945年、第二次大戦で爆撃を受け、牙1本残すのみとなって

います。それも今、見物禁止。門外不出になっているようです。