前回の続きで、榛名神社参拝時のレポートをします。
前回が一般的な境内紹介に終わったので、今回は一般の人たちがまず行かない場所を報告します。
一つ目はまず「九折岩(つづらいわ)」。
この岩の存在を知ったのは、以下のDVDによる。
日月神示にもとづく超パワースポット「岡本天明の歩いた軌跡 〜北関東編〜」 [DVD] 4,937円 Amazon |
日月神示を自動書記した岡本天明氏は、自動書記後、日月神示に関連する日本全国を歩き回りました。その中でも最も重用視したのが首都を護る北関東の上毛三山です。現在でも妙義山 赤城山 榛名山が結界を張り、首都を護っていると言われています。この超パワースポットを岡本天明氏の足取りと共に追いかけ、日月神示の謎や示す方向にさらに踏み込んだ初のDVDです。日月神示の中矢真一と岡本天明氏を徹底研究した黒川柚月の対談なども含め、超パワースポットを巡ります。(Amazon商品説明より)
このDVDで九折岩が紹介されている。
前回の次回予告でアップした写真だが、これは本殿の位置から写したもの。中央やや上部に見える岩が九折岩である。しかし、この位置で境内は行き止まりで、どのように行ったらよいか分からない。例のDVDにも、事前にネットで調べた際にも、行き方までは紹介されていない。
仕方ないので境内付近をグルグル探索したものの手掛かりはつかめず、参拝路を引き返す羽目に。
そして、売店付近まで戻った時に、トイレの脇に道が伸びているのを発見。いわゆる遊歩道であった。
遊歩道の位置からは、先ほどの瓶子の滝の滝つぼも見られる。
この遊歩道は山頂の榛名湖へと続いているらしいが、県道が出来るまでは神社から榛名湖までの唯一の道だったとのこと。
少し行くと、榛名山番所跡がある。番所の設置は寛永8年(1631)9月、廃止は明治2年(1869)1月という記録が残っている。信州大戸通りの裏往還の通行を取り締まっていたとのこと。
番所跡を過ぎると、奥手に砂防堰堤が見え、さらにその奥に九折岩が見える。
榛名川上流砂防堰堤。榛名川上流域にあり、昭和30年の竣工以来、半世紀にわたって地域の防災上きわめて重要な役目を果たしていた。高さ17メートルの練石積粗石コンクリート構造の大規模な堰堤は、群馬県内に5基しかない。当時、高度な石積技術が用いられたことがうかがえる。
しかし、遊歩道はここまででその先をどう行ったら良いか分からない。が、よく見ると山道はあった。
このような道を延々と歩く。奥手に九折岩は見えるのだが、一向に近づいている気がしない。
やがて砂防堰堤の上部に出るが、立入禁止で上部を歩くことは不可能。
九折岩は位置的に川の反対側にあるようだが、どうやって反対側に行くのか?
おまけに、砂防堰堤の先はもはや道らしき道すら無い状態。本格的な装備が無ければ先へは進めない。
仕方ないので、ギリギリ行けた所から遠景で撮影。ズームで寄ってもこの程度しか写せなかった。
参道や境内の各巨石同様、山伏でもなければ近寄れないのだろう。
出来れば近寄ってレポートしたかったが、仕方ないので上述のDVDから解説しようと思う。
日月神示ファンにはおなじみの中矢伸一氏と、岡本天明の研究で知られる黒川柚月氏。
日月神示については、当ブログの記事「麻賀多神社(里宮)~天之日津久神社と日月神示」を参照。
その日月神示の初期には、「榛名の仕組み」とか「榛名の御用」といった言葉がよく出てくるらしい。
しかし、これらのカットを見ると二人とも九折岩の間近まで行っているようだが??
別カットだと背後に砂防堰堤が見えるので、この先の道が撮影時にはまだしっかりしていたのかもしれない。DVD中の会話でも、元は榛名湖へ通じる唯一の道で人が多く通っていたが、県道開通後はほとんど人が通らず道が荒れた、と言っている。
いずれまた装備を整えて、この辺りを確認してみたいと思う。
神示の一節「この神のまことの姿見せてやるつもりでありたが、人に見せるとびっくりして気を失うかもしれんから石に彫らせて見せておいたのに」とあるが、この九折岩こそが「石に彫らせた神のまことの姿」ということらしい。
日月神示の神は艮の金神=国之常立神であるが、その姿は龍体蛇身であるという。龍が身をくねらせて天に昇ろうとしているかのような九折岩は正に神の姿なのかもしれない(ちなみに、日本列島もまた龍体の形である)。
ここで気になるのが神のまことの姿が龍(あるいは蛇)であるというのは、昨今流行りの「レプティリアン(爬虫類型エイリアン)」との関係である。これは、龍は西洋においては悪魔、東洋においては神とされていることとも関連するので、いずれ詳しく考察してみたいと思う。
そして、九折岩の先に通じているであろう道を行けば榛名湖に出る。そこには、見事な神奈備型の「榛名富士」がある。山頂には榛名神社の奥宮がある。
そして、神示には榛名富士の脇の「蛇ヶ岳」のことも語っており、岡本天明も御神行としてこの地を訪れ、天之日津久神を祀る祠を建てたとのこと。
この辺りの調査もいずれまたしてみたいところである。
<オマケ>
砂防堰堤までの遊歩道には、このように小石を積んだものが多くあった。川沿いの遊歩道なので、賽の河原の石積みのような意味合いもあるのだろうか?
こちらも巨岩が多い。
さて、九折岩のレポートが思ったより多くなってしまったので、次回予告にあった古びた赤鳥居についてはまた次回に回したいと思う。(その三へ続く)