大室古墳群(その二) | 異界行

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オカルト歴ン10年の著者が、過去に行ってきたミステリースポットの調査内容を報告します。

またしても更新に間が空いてしまいました。依然として私生活が非常に困難で、全くもって趣味の活動どころではない状態です。

しかし、前回記事が続きものなので中断したままなのも気持ち悪いし、それに現実問題として今後費用面が賄えずネット自体を切断せざるを得ない状況も十分に考えられるので、今の内に更新しておこうと思います。遺言書代わりにもなることだし。

 

と言う訳で、前回の続きで「大室古墳群」の他の箇所を紹介します。

こちらは、公園施設の「時の広場」。土器だか埴輪だかを模した巨大なオブジェがある。

その背後は高台(カスケード)になっており、上まで登れる。そして、

「岩室ゾーン」なる箇所がある。古代の石切り場だったとのことだが、石室の石はここから切り出したのだろうか?

周囲は公園とは思えない秘境状態。ワクワクする。

無論、人っ子一人おらず静寂に包まれ、大変心地よい。

これらが石切り場の跡だろうか?

案内板にあった「水琴窟」がコレ。洗った水が地下に入る時に音がするとのことだが、ご覧の通り水がほとんど無く、音は聞こえなかった。

 

そして、つかの間の秘境探検を終え、再びメインの公園施設に戻る。

こちらにも、「M-1号墳」なるものがあった。

M-1号と言っても↑ではない。「内堀1号墳」ということらしい。

「帆立貝式古墳」という形状である。円墳と前方後円墳との中間形といったところか。

この辺りは子供たちが遊んで賑わっている。

こちらは小さ目の「M-4号墳(内堀4号墳)」。石積みと埴輪が復元されている。

さらに、公園内には「古代住居」コーナーもあり、竪穴住居や高床式倉庫が復元されている。

竪穴住居内部。良い物件だ。引っ越したい。

「平地式住居」などというものもある。

中に入ると、住民(?)がおりました。失礼しました。

さらには古民家の「旧関根家住宅」といったものもある。

良い物件だ。引っ越したい(再)。

さらに、同じ敷地に倉庫を利用した「はにわ館」もある。

撮影自由かつ他に人もいないので撮りまくる。

そして、こちらが紹介する最後の古墳「前二子古墳」。公園とは道を挟んで反対側にある。

大きな前方後円墳だが、特にこれといったものはなかった。石室も入れない。

写真でお分かりのように、すでに日が傾いている。自宅まではそこそこ距離があるので、公園を後にした。

 

さて、この大室古墳群だが、これだけの古墳がある以上は、その埋葬者はかなりの勢力を誇った豪族である。

公園内に特に説明書きは無かったが、これは古代に赤城山南麓を支配した「上毛野氏」であろう。

<上毛野氏>

第10代崇神天皇皇子の豊城入彦命を祖とする皇別氏族で、「上毛野君(公)」のち「上毛野朝臣」姓を称した。
『日本書紀』には豊城入彦命に始まる氏族伝承が記載されており、上毛野氏以外にも伝承を共有する諸氏族がある。(wikiより)

 

ちなみに、群馬の古名は「上毛野」であり、お隣の栃木は「下毛野」である。

二つ合わせて、この一帯は「毛野国」だったということだろう。実際、wikiにも「毛野政権」について書かれているし、つまりは東日本の中心地だったのかもしれない。

著者は以前から、この「毛野国(けのくに)」は「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国と対立していた「狗奴国(くなこく)」ではなかったか?と推測している。事実、群馬の太田市には東日本最大の前方後円墳「天神山古墳」がある。(こちらも以前に調査に訪れているので、機会があれば記事にしたい)

上毛野氏も下毛野氏も始祖は「豊城入彦命(崇神天皇皇子)」となっているが、これは大和政権に東国が平定されたことなのかもしれない。

ちなみにこの毛野国=狗奴国という発想は著者オリジナルだと思っていたが、狗奴国東国説というのは割と古くから言われている説らしい。

いずれ、この辺りも深く考察してみたいが、とにかく生活が全く成り立たない状態なので、いつ記事にできるか全く分からない。これ以外にも多くの古墳に訪れているので、いずれは全て記事にしたいとは思っているのだが。