赤城神社(番外編) | 異界行

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オカルト歴ン10年の著者が、過去に行ってきたミステリースポットの調査内容を報告します。

思い残すことの無いように行ける所は行っておこうと思って(しかし、宿泊を伴う遠出は経済的に絶対無理)、以前に記事にした大洞赤城神社の旧社跡に行こうと思い立ち、先週の土曜日4月22日に行ってきました。

 

以前の記事でも紹介した「赤城の大鳥居」。交差点上にあるため、普段は通過するだけなのだけど、今回はちょうど赤信号に引っ掛かったので、助手席のカバンから急遽デジカメを取り出して撮影。

まずは目的地の近くにある「赤城ビジターセンター」に向かうが、山道を登るに従って気温がグングン下がって行く。さすがに路面に雪は無いけど、周囲の山肌にはまだまだ雪が残っている。

ビジターセンター駐車場もこの通り。そして、やはり寒い。麓は20℃近くに達する気温だったが、この山頂付近は8℃。寒さを予想して厚手のパーカーは着てきたけど、それでも寒い。コートやジャンパーが必要な気温だ。

ビジターセンターの入り口を入ると、かつての大鳥居にあった扁額が展示されている。デカい。

また、館内では赤城山の自然についての展示コーナーがあり、動物の剥製も多くあった。

「すっごーい!ここは赤城山のフレンズがいっぱいだね!」などとは思っても口にはしなかったが←

 

そして、旧社跡に行く前に、もう一つの目的地「覚満淵(かくまんぶち)」を目指す。元はと言えば、YouTubeでこの覚満淵の動画を見て、その幻想的な光景に惹かれて地図検索したら、近くに旧赤城神社跡地があるのを知ったのだが。

覚満淵の入り口はビジターセンターの目の前にある。

<覚満淵>

覚満淵(かくまんぶち)は、群馬県前橋市富士見町赤城山にある湿原。赤城山の山頂付近、大沼の南東600メートルの位置にあり、小沼にも近い。標高は1,360メートル、周囲長は800メートルほどである。「小さな尾瀬」、「小尾瀬」とも言われる。
古くは湖であったが、覚満川を通じて水が大沼へ流出し、湿原となったもの。「かつては大沼の一部であった」、「大昔は大沼とひとつの湖であった」といった説明がなされることもある。地名は平安時代の「覚満」という名の人物に由来する。比叡山延暦寺の高僧であった彼が、当地で法会を行ったとされる(wikiより)。

まずはこのようなネットカーテンを開けて中に入る。この寒さでは、さすがにシカは出ないだろうけど。

沼の周囲をこのような木の周遊道で歩く作りになっている。

沼の水は綺麗。春先ならば尾瀬の湿原のように草花で大層綺麗なのだろうが、

このように雪が残る寒さである。1ヶ月後くらいがちょうど良い季節なのだろう。

そして結局、周遊道もここから先は雪で進めないので引き返す。

春先や初夏ならばもちろん美しいのだろうが、この荒涼とした景色も悪くない。

しかし、とにかく寒いので、早々にビジターセンターの駐車場に戻り、車内で暖を取る。

ここで引き返しても良かったが、主目的地に行かない訳にはいかないので、続いて旧赤城神社跡地を目指す。地図上だと歩きでここから十数分の場所だが、この寒い中歩くのはキツいので車で行く。

地図を頼りに行ってみると、鳥居を発見。しかし、駐車場のような気の利いたものは無いので、やむを得ず路駐。しかし、

鳥居前にロープが張ってある。進入禁止ということだろうか?

だが、ここまで来て鳥居を見るだけなのも意味が無いので、ロープをくぐって侵入する。

鳥居の先にも雪が残っている。これがための進入禁止なのだろうか?

これが、旧赤城神社の社殿跡。人によっては「すごいパワーを感じる」らしいが、霊感ゼロ体質の著者は相変わらず何も感じない。

赤城神社創建当初は神庫山(ほくらやま:後の地蔵岳)中腹に祀られていたというが、806年(大同元年)、大沼(おの)の南の畔(現在の大洞旧社地)に遷座したということで、それがこの場所。

ここは現在の社殿と同様に大沼(おの)に面した所にあるが、湖面はまだ半分くらい凍結している。そして、湖近くにも鳥居が見える。

行ってみたら、この状態。長靴も無いし、おぶってくれる職員もいないので←、ここの探索は諦める。

凍結した大沼の向こうに現社殿も見えるので、行ってみる。

 

大洞赤城神社到着。湖面はまだまだ凍結している。ちなみに、真冬の大沼はワカサギの穴釣りの名所である。

石鳥居を潜った先の参道も手水舎もこの通り。とにかく寒い。

こちらの社殿も以前の記事で多く写真を載せたが、今回は社殿西側の多宝塔裏の社叢も探索してみた。

ここも雪が残って歩き辛いが、長靴やおんぶが必要なレベルではない。

やはり、神社探索は木々の間を歩いてなんぼのものだろう。自然崇拝好きの著者にとっては特にそう。

こちらの向きから社殿を見るのは初めて。御神木らしき木もある。

この地からは祭祀で用いられた鏡も出土したようだ。

多宝塔横にある「万葉歌碑」。…読めない。

そして、大沼沿いの参道を戻りながら、凍結した湖面を撮影。

橋の上から鴨と鯉を撮影。動物たちはよく寒くないものだ。人間が弱すぎるのだな。

そうそう、今回は御朱印を頂きました。

そして、この駐車場から出る際に、道の反対側にあるこの鳥居がいつも気になっていたのだが、今回歩いて近づいてみると、古い稲荷神社であった。上の方に狐像と祠も見えるが、石段は半壊しているし、草が塞いでいて登れる状態ではない。これまた装備を整えて、次回の宿題である。

 

そして、いい加減寒いので帰ろうと思ったが、せっかくここまで来たのだから、前回来た時のお気に入りの「小沼(この)」にも行ってみようと思う。

が、その前に山頂付近にも行ってみたくなる。ちょうど大沼から小沼へ行くには近くを通るので。

山頂付近の赤城公園とバーベキューホール。

ちなみに、このバーベキューホールには、いつも↓の軽トラが停まっている。

店の車だとしたら、店主は立花藤兵衛か?←

このバーベキューホールの裏側は、かつての展望台(調べたら、かつてのケーブルカーの駅だった)の跡で、廃墟マニアが喜びそうな光景である。

さらにその先には「御神水」が湧く泉(?)があるようだが、このようにゲートで塞がれている。まあ、まだ山開きしていないのだから仕方ない。周囲の人目もあるし、ゲートを超えて進むのはやめた。

反対側には、先ほどの覚満淵が見える。この付近の写真は以前の記事にも載せたので、道を引き返して小沼に向かう(ここは山頂なので、これから先に進む車道は無い)。

 

小沼駐車場に到着。ここから小道を歩いて下って行くので、雪が塞いでいたらどうしようと思ったが、

湖面は凍っていても小道に雪は無かった。

相変わらずの不気味なまでの静寂さが心地よい。寒くなかったら、湖畔のベンチに座ってしばらく眺めていたいところだ。

これは、小道の入り口付近にある祠。仏像らしきものが見えるが、鳥居(ホームセンターで売っているようなパイプをつなぎ合わせたもの)があるし、仏教関係ではないらしい。小沼の龍神の像だろうか?

そして、wikiでは「小沼の畔には小沼宮(このぐう:後の豊受神社)が建てられた」とあるが、そういったものの跡地は見つけられなかった。

こちらの周遊道自体も鎖で封鎖されているし。

 

といったところで、寒さで風邪を引かない内に帰ることにした。

帰路でも、赤信号に引っ掛かって、大鳥居の裏側も撮影することが出来た。

 

以上、「番外編」と銘打って記事にしてみました。番外編である以上、これを分割記事にするのも何だし、一気にまとめてみたけど、思いのほか時間もかかり、体調も依然として優れないので疲れてしまった。

ともかく、この番外編を挟んで、次回からはまた古墳シリーズ行きます。