白石古墳群 | 異界行

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オカルト歴ン10年の著者が、過去に行ってきたミステリースポットの調査内容を報告します。

生活不安から来る体調不良で寝込んでしまい、しばらく間が空いてしまいました。

今回は再び古墳シリーズに戻って、白石古墳群を紹介します。以前にも何度か訪れた場所だけど、この時の調査日は2016年4月26日です。

 

<白石古墳群>

鏑川と鮎川にはさまれた藤岡市白石は、古墳の多い群馬県でも指折りの古墳の数を誇る地域です。鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって広がる白石古墳群には、前方後円墳、方墳、円墳など、さまざまな形の古墳があります。
古墳時代の各時期にわたる、数多くの素晴らしい古墳があって、さながら「古墳の野外博物館」といった雰囲気を持つ地域です。(群馬埋蔵文化財調査事業団のHPより)

 

まずは、「七輿山古墳」から。

七輿山古墳(ななこしやまこふん)は、群馬県藤岡市上落合に所在する古墳時代中期、6世紀前半に築造されたと見られる古墳(前方後円墳)で、6世紀代の古墳としては東日本最大級である。白石古墳群の1つ。

利根川水系鏑川とその支流・鮎川に形成された舌状の河岸段丘上に三段築成で造られ、大きさは全長145メートル、後円部直径87メートル、前方部幅106メートル、前方部と後円部の高さはともに16メートル。中提帯や外提帯と呼ばれる土手状の堤があって二重の周溝がめぐり、前方部の前面にあたる西側では「コ」の字状にめぐる三重目の溝も発見されている。提帯には葺石、埴輪列が確認されている。出土遺物は円筒・朝顔型円筒・人物・馬・盾など各種埴輪類、須恵器・土師器があり、特に円筒埴輪は7条突帯のある直径50センチメートル、高さ1メートルを越す大型品で、貼付口縁と低位置突帯の特徴がある。埋葬施設は未調査のため不明だが、横穴式石室と推定されている。(wikiより)

 

実は、しばらく前の群馬のドライブマップのような案内誌に、ここは「心霊スポット」として紹介されたことがある。その理由の一つが以下のもの。

墳丘の一部にズラリと並んだ仏像。五百羅漢である。

しかも、どの仏像にも頭が無い。辺り一帯は薄暗く、不気味な雰囲気があるため、心霊スポットなどと紹介されたのだろう。もっとも、相変わらず霊感ゼロの著者は何も感じなかったが。

墳丘上部にある仏像もこの通りで、とにかく徹底的に頭部が破壊されている。

これは、明治期の神仏分離と廃仏毀釈の影響と思われる。

さて、古墳部であるが、それなりに整備されていて、ぐるりと一周回って見ることができる。ただ、石室は見当たらなかった。ちなみに、ここは桜の名所でもあるので、もう少し早い時期に来れば桜が満開であったはずである。

なお、名前の由来だが、

「本古墳からほど近い群馬県高崎市吉井町にある日本三大古碑の1つ、多胡碑に「羊」と記されている人物と同一とされる多胡羊太夫の伝説に基づく。
奈良時代に多胡郡郡司となった羊太夫は、のちに謀反を図っているとして朝廷から討伐軍を差し向けられ、居城の八束城から逃れた羊太夫の一族が落ち合った場所が「落合」という地名になり、羊太夫の妻女ら7人がここで自害し、それぞれ輿に乗せて葬ったので「七輿山」という名前になったという。」(wikiより)

七人の自害者を葬った等、この辺りも心霊スポットの由来の一つかもしれない。

ちなみに、古墳の向かい側に以前来た時には無かった石垣を発見。

行ってみると、溜池施設だった。古墳とは関係ないだろう。

そして古墳周辺を散策。この辺りも古墳群の一帯なので、名も無き小さな古墳も多い模様。

奥手に円墳が二基見える。

まずは「平井地区1号古墳」。

墳丘上から、もう一つの円墳を臨む。

こちらは、「皇子塚古墳」。いずれも、石室は見られなかった。発掘調査後、埋め戻されたのだろうか。

この辺りは、「毛野国白石丘陵公園」として整備されていた。

皇子塚古墳上部から遠方に寺が見える。確かこの寺には古墳に関連するものがあった記憶があるので行ってみる。

ここは、「七輿山宗永寺」。その境内に、

あった、舟形石棺。

これは、「宗永寺裏東塚古墳」のものらしい。古墳自体は、この寺と併設する保育園で原型を留めていないが、前方後円墳だったようである。

 

続いては「白石稲荷山古墳」に向かうが、その途中に「藤岡歴史館」がある。

こちらは、オープン当時に一度見学したので、今回はパスした。古墳群の様々な出土物が展示されている。

そして、ここにも復元竪穴住居があった。良い物件だ。引っ越したい(しつこい)。

 

そして、「白石稲荷山古墳」に到着。

<白石稲荷山古墳>

全長170m
後円部径92m、高さ13.5m
前方部幅145m、高さ8.5m
鏑川と鮎川の合流地点の南方1.5kmの丘陵性台地上、標高120mの地点に立地する。直ぐ北には十二天塚・北古墳が並ぶ。
周堀は北と南で台地を切断する形で確認され、西側は自然の谷を利用し、東側は崖となっている。墳丘は基本的には三段築成であり、くびれ部は狭く途中からバチ形に開く。葺石は後円部では2段目と3段目に、前方部では3段目で全周するものと思われる。埴輪列は円筒埴輪と朝顔形円筒埴輪が検出され、後円部では3段に巡らされている。前方部では基壇と3段目に確認されているが部分的である。(wikiより)

 

石室は竪穴式なので外部から確認できる造りになっていない。また、ここからは珍しい家型埴輪が出土したとのことである(現物は東京国立博物館所蔵となっている)。

逆光で見辛いが、かつてあった稲荷神社の碑だと思われる。

改めて周囲を巡ってみると、かなり大きい前方後円墳である。ちなみに、隣はゴルフ練習場となっている。

そして、すぐ北には十二天塚・北古墳が並ぶようだが、特に目には入らなかった。

今回は「七輿山古墳」と「白石稲荷山古墳」をメインにしていたため、他の古墳についてはあまり調査できていない。先に「平井地区1号古墳」について触れたが、これは何と56号墳まであるようである。

いずれ機会があれば、これらも改めて調査してみたい。

 

<オマケ>

七輿山古墳脇には、知る人ぞ知る「ドライブイン七輿」がある。

ここはレトロ自販機が現役で稼働していることで有名。

この時はあまり空腹では無かったので購入しなかったが、次回はこれも購入してみたい。

 

ところで、七輿山古墳の名前の由来について「多胡羊太夫の伝説」について少し触れたが、これは日本三古碑の一つ「多胡碑」に記された「羊」であると思われる。

多胡碑は、山ノ上碑、金井沢碑とともに「上野三碑」と総称される。この上野三碑も以前に調査済みであるので、これらを次回に紹介したい。