前回の佐久市調査行の帰りに立ち寄った、群馬県富岡市の「菅原神社」を紹介します。
参拝日は同じく2017年4月25日。
<菅原神社>
天暦4年(950年)の創建と伝えられ、菅原道真公を祭神とし、神像は、道真が25歳の時に自ら彫ったとされています。
現存する菅原神社の本殿は、寛政8年(1796年)に落雷で焼失したものを、その後領主松平氏が再建したといわれています。本殿の建築構造は、三間社の形式で、屋根は身舎に千鳥破風、向拝軒唐破風が付き、屋根はもともと茅葺(現在は銅板葺)であったといわれています。千鳥破風には鬼面の彫刻が付き、他に類例がないとされ、鬼面彫刻の背面には延享4年(1747年)の銘があることから、焼失前の鬼面を再利用したと考えられています。外部の板壁に彫られた彫刻は妙義神社本殿の影響を受けているとされ、彫刻や細工など江戸中期の建築様式を残すとして、富岡市の重要文化財に指定されています。境内には富岡市指定天然記念物のヒノキもあります。(群馬県観光地ページより)
入口には立派な石柱が建っている。駐車場が見当たらなかったので、道路わきに車を停め、参拝開始。
この辺りは、この神社の祭神である菅原道真ゆかりの地らしい。著者は群馬生まれの群馬育ちであるが、菅原道真が群馬にゆかりがあるなどとは全く知らなかった。
図には、以前に当ブログで紹介した「妙義神社」と「妙義中之嶽神社」も記されている。
石柱を超えた先はこんな感じ。その先の石段を登る。
ひたすら登る。その先に鳥居が見える。
鳥居は両部鳥居。
その先に手水舎があるが、水は張っていない。
反対側に倉庫らしき建物がある。
その先はまた石段。ひたすら登る。
石段左側に社殿らしきものが見える。末社だろうか。帰りに寄ってみよう。
そしてまた石段をひたすら登る。先に神門が見える。
神門を潜る。右側にヤンキーがスプレー缶で落書きしたかのような「天神」の文字がある。
神門上部の額。
その先にある手水舎には水があったので、手と口をすすぐ。
拝殿正面。神紋は「丸に梅鉢」と呼ばれるものらしい。梅紋は天満宮で用いられるもので、ここも菅原道真を祀った神社であることを思えば当然である。
拝殿を横から。奉納神楽の巨大な額が飾ってある。
拝殿から本殿を望む。実はここに「あるもの」が写っていたのだが、これについては後述。
拝殿横には社務所があったが、無人だった。呼び鈴らしきものも無い。
もっとも、御朱印帳は車に置いてきてしまったので、御朱印を頂くにはあの石段をまた一往復してこなければならないが。
社務所の先に神楽殿と石碑。
再び本殿に戻る。
こんな寂れた山奥にある神社(失礼)とは思えないほどに見事な装飾が施されている。
市指定の重要文化財である本殿の説明書き。ここに気になる一文を見つけるが、これも後述するとして、まずは本殿背後に回る。
そこに県指定の天然記念物「菅原神社の大ヒノキ」と小さな石祠がある。
そのヒノキの横に門らしきものと奥に何かの建物が見える。気になるので行ってみる。
そこにあったのは「便所」の文字。つまりトイレだが、こんな所で用を足す人間がいるんかい?と思えるような様相である。
ちなみに、前述の石碑の横にトイレは別にあるので、参拝される方はご安心(?)を。
大ヒノキから本殿に戻る。
こちらは境内摂社。詳細は不明。
さて、先ほどの説明書きで気になった一文とは以下のものである。
「千鳥破風鬼板に鬼面彫刻が付いているが、これは他に類例がない。」
…鬼面彫刻だって??
確かに、社殿に鬼の面があるなど見たことがない。ともかく、本殿周りをグルグル回って探してみる。
しかし見つからない。そして拝殿前に戻った時…
鬼面あった!
なかなかに怖い顔である。本来なら、神門を潜った時点で気づくべき場所であった。
あの誰もいない山中の石段を延々と登った先にこの鬼の面があるのだから、かなりゾッとするものだ。
しかし、あの説明書きは本殿について書かれたものであったハズ。対して、この鬼面は拝殿のもの。はて……。
ともかく、石段を下って境内を後にした。そして、登る途中で見えた社殿を目指す。
その社殿がこちら。最初は、今の本殿が移される前の元宮かと思ったが、そうではないようだ。
「御爺守乃宮(御祭神菅根之乙彦翁)」とある。菅根之乙彦翁とは何かと思って後でググってみたが、出てくるのはどれもこの神社のことだけだった。名前からして菅原道真の祖先か何かかと思ったが、そうではないらしい。
それにしても、この看板。御爺守乃宮の「乃」の文字が書き忘れたのを後から書き足したかのように小さく書いてある。間違ったのなら書き直そうという判断はなかったのだろうか?
社殿背後。特にこれといったものは無い。
社殿横には納屋らしき建物があった。
ちなみに社殿のある場所はこのようになっていて、どうも駐車場になっているようだ。奥の建物は旧社務所かとも思ったけど、そういうわけでもないらしい。ともかく、この神社はあまりに資料が乏しすぎて、わからないことが多い。
この場所は最初の鳥居の前を横に行った所で、つまり
鳥居前まで車で登ってきて、先述の倉庫を横切り、この駐車場まで来られるということである。
別に一番下から石段を登る必要は無かったわけだが、本来の参拝の意味を考えれば、やはり石段を全て登ることに意味があると思う。
さて、帰宅後、デジカメで撮った写真をPCに取り込み、確認している内に、先述の本殿を写した写真に「あるもの」が写っているのに気付き、拡大してみた。
本殿の鬼面を発見!あの説明書きにあった鬼面はこちらのものであった。
しかし、何故神社の社殿に鬼面なのか?祭神の菅原道真は怨霊(祟り神)として天満天神として信仰された。その怨念を恐ろしい鬼の面で表したということだろうか?いずれにせよ、これまた資料不足で詳細はわからない。