映画「キャロル(Carol)」 | 彼方、英語勉強中

彼方、英語勉強中

最近、イギリスとアメリカで活躍している俳優のJohn Barrowmanさんのファンになりました。
映画、好きな本(村山早紀さん、有川浩さんなど)、音楽(斉藤和義さん、岡幸二郎さん)などについてとりとめもなく書こうと思っています。

ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラー W主演の映画「キャロル(Carol)」を観てきました。

Carol



以下、盛大にネタバレ&見てないとまったく分からない、細かいところを書くのでご注意くださいね。あと、長いです(^▽^;)


この映画を観ながら、文学作品を読んでいるような気分になりました。行間と行間の間をくみ取るように、2人の女性の視点の間を行き来して、2人の心の動き、考えていることをなぞるように見ました。そして、それが可能なように、丁寧に描かれた映画でした。2人がその時考えたことを、原作も読んで、より理解したいと思わせられる作品でした。
原作では、キャロル視点は無くて、テレーズから見た一方的な視点で描かれているようですが。


映画は、クリスマス前のにぎわうデパートのおもちゃ売り場から始まります。
このシーン、原作ではキャロルとテレーズが同時に目が合うように書かれているそうですが(映画パンフレットより)、映画では、先にテレーズ(ルーニー・マーラー)がキャロル(ケイト・ブランシェット)に気づきます。
このとき、キャロルが着ているのは高級そうな毛皮のコート、そして目を引くのがサーモンピンクの帽子とスカーフ、ネイルです。クリスマス前の混雑した色に溢れるデパートの中でも、キャロルは一際目を引きます。テレーズが彼女から目を離せなくなるのを、私も一緒に追体験しているようでした。
「こっちに気づいて!」
と思わず思っちゃいましたもん。
そして印象的に交わされる視線。
ここから、もう映画の世界に引き込まれてしまいます。


キャロルとテレーズが初めて昼食を一緒に食べるシーン。
特に印象的だったのが、キャロルのゆったりとした喋り方でした。
低い声で、他のシーンよりもよりゆっくりと喋っているように感じられます。
「テレーズ・ベリベット」
その印象的な声でフルネームを呼ぶシーン、とてもセクシーでした。


ずっと、テレーズはいつからキャロルに恋をしていたんだろう、と思いながら見ていたんです。
たぶん、最初は身近にいないタイプへの憧れに近い感情だったんじゃないでしょうか。
大人の女性で、自分を理解してくれる人。未知の世界に連れて行ってくれる人。
そういう憧れが、いつ恋に変わったのだろう。
たぶん、キャロルの家から泣きながら汽車で帰った夜、でしょうか。
あの夜、弱ったキャロルの助けになりたいと思い、必要とされなかった悔しさを感じたとき、単なる憧れではなくなったのかな?
でも、憧れと恋の境界線なんて、きっとはっきり引けないのが普通だと思うので、ここでは断言するだけ野暮でしょう。


洗練されたキャロルに比べて、テレーズに言い寄る男性たちのなんと即物的なこと!
だから余計に、キャロルが洗練されて見えました。
1950年代、女性が働くことも珍しかったのかもしれませんね。
後でテレーズが働くことになる新聞社さえ、女性記者やカメラマンはおらず、テレーズは事務として働くことになります。
この時代に、キャロルが「不道徳」とされたテレーズとの愛を貫くことは、とても大変だったのではないでしょうか。
私個人的には、このキャロルが親権を巡って心理療法を受けさせられたり、テレーズとの関係を否定させられるシーンは怒りを感じましたね。
古い時代のことのようですが、今もこういった考え方はあると知っています。
ただ、それは道徳ではない。
道徳とは多数決で決まるものでしょうか?そうではないはずです。
ましてや、病気なんかではありません。
魂の底から誰かを愛するとき、性別も国籍も人種も関係ないと思うのです。
たとえそれを理想や夢物語と言われようと、これは私のゆるぎない立ち位置です。
だから、娘の親権を放棄してでも「本当の自分」であろうとしたキャロルを、誇りに思います。
キャロルは、誇りになんて思ってほしくないでしょうけどね。


劇中の音楽もすばらしくて、残念ながら私は「ビリー・ホリデイ」ぐらいしか分からなかったのですが、衣装や当時のニューヨークの風景、車、音楽に浸ることができます。
後でパンフレットを見たら、どこかのシーンで「サンセット大通り」が流れていたそうですよ。
どこだろう?


原作は「太陽がいっぱい」(リプリー)を書いたパトリシア・ハイスミスだそうです。
もともと、クレア・モーガンという別名を使って「The Price of Salt」という題で出版されていました。後にパトリシア・ハイスミス名義で「Carol」という題で出し直されています。
同性愛に寛容ではなかった当時、いろいろな紆余曲折があったと想像されますが、意外にも、ベストセラーになったそうです。それに、それまで同性愛者の物語は悲劇で終わる話が多かったのに、ハッピーエンドだったのも反響を呼んだそうです。


ところで、どうでもいい話なのですが、なぜ最初は「The Price of Salt」という題だったのでしょう。私のお世話になっているwiki先生によると、このフレーズは原作の中にも出てこなくて、2回だけ“salt”という単語が比喩として文中に出てくるそうです。

"...they were playing one of the songs she had heard with Carol everywhere.... The music lived, but the world was dead. And the song would die one day, she thought, but how would the world come back to life? How would its salt come back?"

"She felt shy with him, yet somehow close, a closeness charged with something she had never felt with Richard. Something suspenseful, that she enjoyed. A little salt, she thought."

塩が、欠かせないもの、の暗喩になっているんでしょうかねぇ?


欠かせないお互いの“塩”を手に入れたキャロルとテレーズ、これからどうなっていくのでしょう。映画は happily ever after ではなく、これから2人の関係が続いていくように終わります。
時代は変わったのか、2人が時代に流されてしまうのか。
60年以上前の話ですが、今でも時代の流れは厳しいものがあります。
せめて、キャロルのように顔を上げ、毅然として生きていきたいです。


以上、「キャロル」に関した長話でした。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。