第百弐拾伍話 ~自分の時間を奪われるという嘘~ | ~人生の壁の破壊者(デストロイヤー) カツヤ~【あなたの魂に火をつけたい人が綴る 己の高め方BLOG】




【自分の時間】とは何か?

たまに考えたりする。


周りには
仕事が忙しくて自分の時間が持てないだとか、家族や友達との付き合いで自分の時間が無いと言う者さえもいる。
自分の時間を自分以外の者から奪われているんだそうだ。



違う。
よく考えてみよう。



僕たちは皆、うまれて死ぬまでの全部が自分の時間として与えられている。
これを命と言い、人生と言う。


つまり
仕事や他者の為に費やしている時間、その人生において自分に関係することは全てが自分の時間だ。

自分の時間が無いとかブツブツ言っている時間も自分の時間の一部だ。


そもそも他者に与える自分の時間を持っている人間なんて一人もいないんだ。
一人の行動、存在は全てその人のもの。

もちろん、仕事や他者の為に自分の時間を奪われるという事も絶対無いんだ。
それは自分の時間を大切にしない者のごまかしに過ぎない。


仕事や家族、友達との時間は自分固有に与えられている生命としての時間を有意義に過ごさせていただく有り難い存在であると思うのが良いではないのか?


仕事は、自分が自分の時間をつかって社会的生産行為に参加すること。
人間がうまれて生命を燃焼する意味はこの中にも強くある。


仕事や家族、友達からは この世における自分の時間を有意義で美しいものとなるような多くのものを与えてもらっているんだ。
自分の時間が少しでも社会的に役立っている喜びを与えてくれる存在だ。

第一、仕事がなければ生命の燃焼ができない。
他者が存在しなければ生命の燃焼のしがいが無いのだから。


人間ひとりひとりは
うまれて死ぬまで全て自分の生を生きる。
その生を活かす為に、この世のあらゆるものが存在している。
他者との関係、文化や自然との関係から生かしてもらっている。



民主主義もどきのニセモノや物質主義に侵されるな。
僕たちはこの与えられた命という時間をひたむきに、高貴性を持って生ききっていこう。
生ききる為には、自分のこの血と魂の叫びを発していくんだ。
人生を芸術と化する事が僕たち人間に与えられた使命でもあるのだから。









これもヒガンバナ?