夜中の三時過ぎ。猫たちと祈ったキャンドルナイトでひとつ結構な真実が見えた。
私はずうっと間違っていた。
私は文学を志していくつか児童書や絵本を出して来たが、とんでもない間違いを冒していた。
私は己の無能を知りそのことで苦しみ、それ故に、自分の居場所が欲しくてならなかった。
そうだ、私は孤独ゆえに、己が己でいられる居場所が欲しかったのだ。そうしてあっちへ行ったりこっちをのぞいたり、友を求めた。(※この友というのは、普通の友達のこと。私は見栄でいかにもなことを言いたがる癖があるが、友というのは常に普通の友達のことだ。ワルイカ!)
私の舌は、ただそのためにあった。
恥ずかしいことだが、私は、居場所を求めているつもりで、実は、いごごちのいい場所を求めていたのだ。
居場所を希求し続けたのはいいのだ。それほど私は寂しかったのだから。それは恥じることではないのだ。凡人が凡人らしく正直であって何が悪かろう。
恥じるべきは、私を苦しめたのは、松山のあの穢い嘘つき女悪党でもなければ児童文学界の狡い無知な悪党どもなどではなかった。
奴らとその取り巻きはただの奴らであるだけだ。というだけのことだ。
夜中の三時過ぎ。猫たちと祈ったキャンドルナイトでひとつ結構な真実が見えた。と冒頭に書いたが、まだそこに留まっている自分であるということだ。悲しい事だが、私はそうなのだ。
猫たち、動物たち、こんな自分であるが、仲良くしていこう。
キャンドルナイトの貴重な夜に。 佐々木和恵あるいはマオアキラ。