続・思い出の大井町写真集~やっぱり路線バスと鉄道を中心に~ | ごんたのつれづれ旅日記

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このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

大井町で僕が撮影した写真の御紹介、続けさせて下さい。

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これは、大井町駅の南側にある跨線橋から大井町駅を撮影したものです。
大井町は京浜東北線のホームしかなく、東海道本線の列車は通過するだけでした。
右側の東海道本線普通列車、今はなき湘南型の旧型電車ですね。
懐かしい……。

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京浜東北線北行快速電車の到着です。
京浜東北線が日中だけ、山手線と並走する田町と田端の間で快速運転を始めたときは、大井町住民として快哉を叫びましたねえ。
長野へ帰るときなどに使う、東京・秋葉原・上野までが、わずか数分ですが時間短縮されたのです。
なにより、実際の時間より、用事のない駅をすっ飛ばしていく快感がありましたから。

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同じ跨線橋から、目を左側に転じて、駅前ロータリーを臨んでいます。
左の建物が旧阪急デパート、奥がイトーヨーカドー、左が線路にかぶさっているJRの駅ビルです。
並木の枝の向こうに見え隠れするロータリーに、渋谷からの路線バスが到着したようです。

──って、バスを見ただけで、どうしてどの系統の路線バスなのか、僕はわかってしまうのだろうか?

ひょっとして、僕って、マニア?

何をいまさら、という御意見は置いといて──

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駅前から南に伸びている道路に沿った、旧阪急デパート横の雑居ビル。
有名立ち食いそばチェーンは、比較的新しいのですが、確か東京で初めてカツ丼を手軽に食べられるようになったのは、ここだった気がします。
まだ「かつや」とかなかった時代ですから。
その左が、僕がよく行ったラーメン屋さんです。
ここの味噌ラーメンと餃子が大好きでした。

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跨線橋で、更に西南方向に目を転じています。
右へ入る路地の奥に、僕は東京に出てきて最初に住んだのです。
つまりは大井阪急デパートの裏側。
6畳1間の古いアパートで、学生時代を過ごしました。
ちなみに、大学を卒業して引っ越したワンルームマンションは、前回に御紹介した、武蔵野館で突き当たる大井町駅前の大通りを更に奥に入ったところでした。
左側の駐車場は、あとで出来たもので、その前が何だったか覚えていないのです。
バブルがはじけて、街なかに隙間が目立ち始め、そこに駐車場が増え始めた時期でした。
写真の左から線路をまたいで右へ伸びているのは池上通りで、右手の奥に、夏目雅子さん主演の映画「時代屋の女房」で有名な大井三ツ又商店街があります。
駐車場の手前から斜め右側に向かうタイル貼りの道路が三ツ又商店街です。
舞台となった時代屋は実在すると言われていましたが、大井町に住んでいる時に探し当てることはできませんでした。

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大井町から南側の線路を行き交う京浜東北線と東海道本線の湘南電車です。
僕が撮影している跨線橋は歩行者専用で、かつては、東海道線の撮影ポイントでもあったようです。
品川を出た東海道線の列車は、大井町の手前から長い直線に入るので、おそらく時速120kmの最高速度で突っ走っていました。
この線路沿いの右手、池上通りの立体交差の奥に、僕が3度目に住んだマンションがあります。
線路からは少し離れて引っ込んでいたのですが、窓を開けていれば、テレビの音も聞こえませんでしたので、失敗したあ!と思いましたね。
沿線に住んでいて、鉄道の騒音で1番うるさいのは、車輪の走行音ではなく、電車のモーター音だと初めて知りました。
夜間に通過する機関車に牽引された寝台特急列車などは、全然うるさくなかったですから。

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これが、そのマンションの前から撮影した東海道線です。
新型の湘南電車がすれ違っていますね。
新型のほうが、少しだけ静かだったかな?

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さて、跨線橋を降りて、三ツ又商店街の入口です。
僕が最初に住んだ古アパートは、右側の静かな通りの奥にありました。
三ツ又商店街は午後になると歩行者天国になりまして、賑やかなんです。
でも、商店街の入口に建つ「ヨジゲン」って、おそらくは健康食品の会社らしいんですが、なんかアヤしくありません?(笑)

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これが、僕が撮影していた跨線橋です。
奥に並んだビルの左側が駅ビル、右側が丸井です。
手前には開かずの踏切がありました。
踏切を渡ると、パチンコ屋さん、格安の雑貨屋さん、行きつけだった弁当屋さん、僕が大好きだった喫茶店があり、その奥には全国チェーンの牛丼屋がありました。
喫茶店は、いい雰囲気で、休日にモーニングをする時など、本当にくつろげました。
でも、僕が大井町を去る1年ほど前に閉店してしまいました。
あ!──突如として思い出しましたです!
雑貨屋さんの隣りにもソープランドがあったです!
昔の大井町は、ホント、そういう街だったんですね。

だからあ!行ってませんてば!──

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線路を渡ってきた池上通りの脇から合流する、大井町駅からの通りを登ってくる品川と蒲田駅を結ぶ路線バスです。
昔は、品川-大井町-池上という系統と、大井町-池上-蒲田という系統に分かれていたのですが、いつの間にか合体していました。
いつか、品川と蒲田の間を乗り通してやる!──と思っていましたが、叶わないまま引っ越してしまいました。
蒲田にも、古本屋などによく出かけたものですが、行きは京浜東北線の電車で6分、帰りは30~40分かけて路線バスで帰ってきたものです。
歩き疲れた時に、たいてい座れるバスは、本当に重宝していました。
池上本門寺の門前町や、大森駅西口商店街と山王の高級住宅街の合間の狭い池上通りを、他の車と譲り合いながら走る車窓も楽しかったですから。

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これが大井三ツ又の交差点です。
右手が、大井町の東側の第1京浜から来る池上通りで、そのまま左の大森方面へ向かいます。
奥は、西大井方面へ向かう通りです。
その3つの通りの交差点だから三ツ又なのかなあ?
三ツ又のバス停に立たずむおじいちゃん、なんか絵になりますねえ。

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実は、東から来た池上通りと、西大井へ向かう通りの間に、大井三ツ又商店街の通りと、大井町駅前のロータリーへ下っていく一方通行の狭い通りがあります。
だから、ホントは五ツ又?
バスは、西大井駅から大井町駅へ向かう路線バスです。
昔は、西大井-大井町-荏原営業所とコの字型に循環する系統でしたが、お客さんの流れは大井町で真っ二つに分かれていたためか、いつの間にか大井町-西大井と大井町-荏原営業所の2系統に分割されてしまいました。
バスが下っていく通りの左手には、風呂なしアパートに住んでいた僕が通った銭湯とコインランドリーがありました。

近くに大きな桜の木がありました。

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風呂付きマンションに住むようになってからは、薄情なもので銭湯には1回も行かなくなりましたけど、番台のおばさんは本当に気さくな方でした。
今でも、あの広々とした浴槽や、「ケロリン」の広告が入った黄色い洗面器が懐かしくなります。
僕が大井町を去る直前、その銭湯は大きなマンションに建て替えられました。
銭湯は、ちゃんとその1階に残っています。

「老後の備えだね!」

と笑っていたおばさん。

そして──

よく、アツアツの手羽先が入ったお惣菜を差し入れしてくれた、三ツ又商店街のお肉屋さん。

コメ騒動の時、2kg1万円のお米を前に泣きべそをかいていた貧乏学生の僕に、タイ米をサービスしてくれたお米屋さんのおじさん。

行きつけのラーメン屋さんで、味噌ラーメンをいつも大盛りにしてくれたハチマキ姿のおじさん。

同じアパートに住んでいたおじさんやおばさん、おじいちゃんやおばあちゃんたち。

アパートの大家さんだった三ツ又商店街の洋品店の御家族。

みんな、どうしているのかなあ?

牛友チェーンだけでなく、大井町には、僕の学生時代を優しく包み込んでくれた人情が、いっぱいいっぱいありました。

そして、気分が落ち込んだ時にふらりと乗り込めば、たちまち僕の気晴らしをしてくれた大井町発着の路線バスたち。

本当にありがとう!──

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